↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】屋根裏の義弟に手を差し伸べたら、九年越しに求婚されました  作者: フトダマノミコト


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/20

第4話 あんたは、変な人だ(ルシアン視点)

 物心ついたときから、僕のそばにいたのは母さんだけだった。


 王都の外れの、古い小さな家。母さんはいつも何かに怯えていて、知らない人が家の前を通るたびに、僕を戸棚の中に隠した。


『いい、ルシアン。誰にも、あなたの名前を教えてはだめよ』


 理由は教えてもらえなかった。聞く前に、母さんは冬の流行り病で死んでしまったから。


 そのあと、僕は母さんの知り合いだという男の家に預けられた。そこでの暮らしは、思い出したくもない。


 殴られないように、黙っていること。欲しがらないこと。期待しないこと。


 それが、僕が覚えた生き方だった。


 


 だから、公爵とかいう男が迎えに来たときも、何も期待していなかった。


『今日からお前は、エーデル公爵家の息子だ』


 息子。どうせ、言葉だけだ。


 実際、連れてこられた屋敷は前の家と大して変わらなかった。派手な服を着た女が、僕を虫でも見るような目で見る。その息子のダミアンとかいうやつが、にやにや笑いながら近づいてくる。


 ああ、またか。そう思っただけだった。


 突き飛ばされても、痛くなかった。痛いと思うのは、とっくにやめていたから。


 


 ――なのに。


『や……やめて、ください』


 僕の前に、女の子が立った。


 金色の髪の、きれいなドレスを着た子。この屋敷の、本物のお嬢様だ。


 その子は、震えていた。


 広げた両手も、声も、膝も。かわいそうになるくらい、がたがたと。


(なんだ、こいつ)


 怖いなら、黙っていればいいのに。僕なんか放っておけばいいのに。


 あの女に睨まれて真っ青になって、それでも僕に手を差し出してきた。


『はじめまして、ルシアン。私はロザリンド。あなたの……お姉様よ』


 お姉様。


 その言葉が、ひどく嘘くさく聞こえた。


 だって、今日会ったばかりの子だ。僕のことなんて、何も知らない。


 それでも、震えるその手を、僕はなぜか振り払えなかった。


 


 その夜、あいつは屋根裏にやってきた。


 パンとスープと、毛布を持って。


 何か企んでいるんだと思った。あの女の娘だ。食べ物に何か入れて、僕が苦しむのを見て笑うつもりなんだと。


 だから「いらない」と言った。


 なのにあいつは、怒りもせず、パンをちぎって自分で食べてみせた。それから、それ以上は近づかずに帰っていった。


『おやすみなさい、ルシアン。また来るわ』


 また、なんて言葉を、僕は信じない。


 ……そう思っていたのに。


 あいつは、本当に次の夜も来た。その次の夜も。ひと月経っても、一晩も欠かさずに。


 


 あいつは、変な人だった。


 僕が何も話さなくても、勝手に一人でしゃべっている。今日は庭に鳥が来たとか、料理長のスープが美味しかったとか、どうでもいいことばかり。


 本を置いていくくせに、「読んで」とは言わない。わからない字を聞いたら、すごく嬉しそうな顔をした。字くらいで、なんであんなに笑うんだろう。


 それに、あいつはいつも少しだけ顔色が悪かった。


 階段を上ってくる足音が、ときどきふらつく。座るときに、どこかが痛むみたいに眉を寄せる。僕が見ていると気づくと、すぐに笑ってごまかす。


(……ダミアンか?)


 あいつなら、やりかねない。


 そう考えたら、なんだか胸の奥がむかむかした。自分が突き飛ばされても何も感じないのに、変な話だ。


 


 あの日の昼間、廊下で、あいつが柱の陰にいるのが見えた。


 ダミアンに本を取り上げられたときだ。あいつは真っ青な顔で、こっちを見ていた。


 出てこなかった。


 それでいい、と思った。


 あの女まで来たのに、あいつが出てきたらどうなるかくらい、僕にもわかる。あんなに震える子が、わざわざ痛い目に遭いにくる必要なんてない。


 ……でも、ほんの少しだけ。


 ほんの少しだけ、出てきてくれないかと思ってしまった自分がいた。


 それが、一番嫌だった。


 期待なんて、とっくにやめたはずなのに。


 


 その夜、ダミアンに物置へ閉じ込められた。


 扉が閉まる音を聞いたとき、正直、ほっとした。今夜はあいつが屋根裏に来ても、僕はいない。待たなくて済む。


 寒さで指の感覚がなくなっていく。眠くなってくる。このまま眠ったら、たぶん母さんのところに行ける。


 それでもいいか、と目を閉じかけたときだった。


『ルシアン! ルシアン、そこにいるの!?』


 聞き慣れた声がした。


 ありえない、と思った。ここは庭の外れだ。こんな雪の夜に、わざわざ探しに来るやつなんて――


「……うぅっ」


 声を出そうとしたら、唇がかじかんでうめき声しか出なかった。

 

 扉が開いて、ランプの光が差し込んできた。


 髪を乱して、息を切らして、あいつがそこに立っていた。


『来るに決まってるでしょう!? こんなところに一晩いたら、死んじゃうのよ!?』


 初めて、あいつが怒るのを見た。


 あの女の前ではあんなに震えていたくせに。僕のためには、こんな大きな声が出せるのか。


 肩にかけられた外套は、あいつの体温でまだ温かかった。


 


 屋根裏に戻って、あいつが帰ろうとしたとき。


 気づいたら、袖をつまんでいた。


 自分でも、なんでそんなことをしたのかわからない。慌てて手を離して、適当な理由をつけた。


『……外套。明日、返す。……だから、明日も来て』


 あいつは、ぱっと花が咲くみたいに笑った。


 その顔を見て、また胸の奥がむかむかした。でも今度は、嫌な感じじゃなかった。


 


 あいつが帰ったあと、僕は借りた外套にくるまって横になった。


 まだ、信じたわけじゃない。


 お姉様なんて、呼んでやらない。どうせいつか、あいつも僕に飽きる。来なくなる。みんなそうだった。


 だから、これは保険だ。


 あいつが来なくなっても、この外套があれば、少しは温かい。


 ……そう思うのに、目を閉じると、明日の夜のことばかり考えてしまう。


 あいつは、また来るだろうか。


 来なかったら、どうしよう。


 もし、あいつが僕以外の誰かにも、あんなふうに笑うんだとしたら。


(……それは、なんか嫌だ)


 理由はわからない。


 ただ、あの笑顔を向けられるのは、僕だけならいいのに、と思った。


 外套の端を、ぎゅっと握りしめる。


 ダミアンの名前と、あいつの顔色の悪さを、頭の中で並べた。


 僕はまだ小さくて、弱い。今は、何もできない。


 でも、いつか。


 いつか大きくなったら、あいつを困らせるものは、全部――



 そこまで考えて、僕は眠りに落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。