第14話 反撃
「発言だと?」
エドワード殿下は、面倒そうに目を細めた。
「弟が姉を庇うだけの話なら、聞く必要はない」
「ええ、ですから」
ルシアンは、穏やかに微笑んだ。
「僕ではなく、ミア嬢ご本人の声を、お聞きいただこうかと」
ルシアンが上着の内側から取り出したのは、手のひらほどの透明な石だった。淡い光が、石の中でゆらゆらと揺れている。
「録音の魔石……?」
誰かが、小さくつぶやいた。
ミアの顔色が、さっと変わったのが見えた。
ルシアンが石に軽く魔力を通す。次の瞬間、大広間に、聞き覚えのある甘い声が響き渡った。
『教科書? あれ、自分で破ったんですよ。だって、ロザリンド様が全然いじめてくれないんだもの』
会場の空気が、凍りついた。
『ロッカーの泥も、私です。泣きながら殿下のところに行ったら、すぐに信じてくれました。殿下って、ちょっと優しくするとすぐ心を開いてくれるから、楽なんですよね』
『階段の件は、殿下が目撃者を用意してくれるって。ほら、殿下も婚約破棄の理由が欲しいから』
ミアの声は、楽しそうに弾んでいた。
『殿下ですか? うーん、正直どうでもいいんです。ルシアン様に会うための踏み台っていうか。ルシアン様ルートに入るには、王太子ルートを途中まで進めないといけないので』
ぴたりと、録音が止まった。
大広間は、しんと静まり返っていた。誰も、一言も発しない。
その沈黙を破ったのは、ミアの悲鳴だった。
「ち、違います! それ、偽物です! ルシアン様、ひどい、どうしてこんな……!」
「偽物かどうかは、魔導院で鑑定していただければすぐにわかりますよ」
ルシアンは、魔石を手のひらで転がしながら答えた。
「もっとも、ミア嬢がご自分の声だとお認めになるなら、その手間も省けますが」
「だって、だって、おかしいじゃない!」
ミアが、取り乱して叫んだ。
「シナリオじゃ、ルシアン様はロザリンドを憎んでるはずなのに! 私が救ってあげるはずだったのに! なんで、隠しキャラが悪役令嬢の味方なんかしてるのよ!」
会場が、ざわりと揺れた。
「シナリオ……?」
「隠し、何ですって?」
「聖女様は、何を仰っているの……?」
ミアは、自分が何を口走ったのかに気づいたらしい。はっと口を押さえたけれど、もう遅かった。
「次に、こちらの三名ですが」
ルシアンが、壇の脇で青ざめている三人の生徒に視線を向けた。
三人は、びくりと肩を震わせた。
「あなた方が先週、王太子殿下の側近から受け取った金貨の枚数を、ここで申し上げましょうか」
「ひっ……」
「それとも、ご自分で署名なさった告白書を、皆様の前で読み上げましょうか」
ルシアンが懐から取り出した三枚の書類を見て、三人のうち一人が、その場に崩れ落ちた。
「も、申し訳ありません! お、お金をもらって、見てもいないことを証言しろと言われて……!」
「僕もです! 断ったら、家の商会との取引を切ると脅されて……!」
次々と膝をついて頭を下げる生徒たちを、殿下は無言で見下ろしていた。
相変わらず、感情の読めない顔。けれど、その指先がかすかに震えているのを、私は見逃さなかった。
殿下の視線が、ゆっくりとミアへ向けられる。
「……踏み台、か」
ぽつりと、殿下がつぶやいた。
「エ、エドワード様、違うんです、あれは」
「私が母上を亡くしたことも、誰にも言えなかったことも。お前だけは、わかってくれると思っていた」
殿下は、ミアの手をそっと自分の腕から外した。
「それも、その『シナリオ』とやらに書いてあったのか」
ミアは、答えられなかった。
殿下は、ほんの一瞬だけ、ひどく傷ついたような顔をした。
初めて見るその顔に、私は、少しだけ胸が痛んだ。
殿下は、私に興味がなかった。私を切り捨てる口実が欲しかっただけ。それでも――彼もまた、誰かに本当の自分を見てほしかっただけなのかもしれない。
「もうよい」
重々しい声が、大広間の奥から響いた。
人垣が割れる。現れたのは、豪奢な外套をまとった壮年の男性――この国の国王陛下だった。
会場中の貴族たちが、一斉に膝を折る。
「父上……」
エドワードが、かすれた声でつぶやいた。
陛下は壇上へゆっくりと歩み寄ると、息子を冷たく見下ろした。
「エドワード。王族の権威を私欲のために使い、無実の公爵令嬢を罪に陥れようとした。それも、金で偽証を買ってまで」
「……申し開きは、ありません」
「よかろう。本日をもって、お前の王太子位を剥奪する。王位継承権は第二王子に移す。沙汰があるまで、離宮にて謹慎せよ」
会場が、大きくどよめいた。
殿下は、何も言わなかった。ただ深く頭を下げ、近衛騎士に伴われて大広間を出ていく。
去り際、エドワードはちらりと私を振り返った。
「……すまなかったな、ロザリンド」
小さな声だった。
四年間の婚約で、殿下が私に謝ったのは、それが初めてだった。
「ミア・ローレル」
陛下の声に、ミアがびくりと肩を跳ねさせた。
「聖女の名を騙り、虚偽の訴えで王家を欺いた罪は重い。教会と協議の上、そなたの聖女の称号を剥奪する」
「そんな……! 私、本当に聖女の力があるんです!」
「力があるならば、なおのこと。その力は、己の欲のためではなく、民のために使われるべきだ」
陛下の傍らに控えていた大司教が、静かに進み出た。
「北の果てのセリーヌ修道院にて、生涯、病人と貧しき者への奉仕に身を捧げなさい。それが、神が聖女の力をお与えになった意味です」
「嫌、嫌よ! こんなの、私の知ってるエンディングじゃない!」
ミアは近衛騎士の手を振り払い、私を睨みつけた。
若草色の瞳が、憎悪に燃えていた。
「あんたのせいよ! 悪役令嬢のくせに、なんで悪役やらないのよ! あんたが大人しく断罪されてれば、全部うまくいったのに!」
その言葉に、私は不思議と怖さを感じなかった。
隣で、ルシアンが私の手を握っている。その温かさが、まっすぐに背中を支えてくれていた。
「ミアさん」
私は、静かに口を開いた。
「ここは、ゲームの中じゃないわ。私たちは、ちゃんと生きているの」
ミアが、大きく目を見開いた。
「誰かに決められた役なんて、ないのよ。私は悪役令嬢じゃない。ただの、ロザリンドよ」
ミアの唇が、何かを言おうとして震えた。けれど、言葉にはならなかった。
近衛騎士に両腕を取られ、ミアは大広間から連れ出されていった。
扉が閉まる直前まで、彼女の泣き叫ぶ声が響いていた。
陛下が、私の前まで歩み寄ってきた。
慌てて膝を折ろうとした私を、陛下が手で制した。
「よい。エーデル嬢、愚息が大変な無礼を働いた。王家を代表して、心より詫びよう」
「へ、陛下……もったいないお言葉です」
「婚約は、王家の有責として解消とする。エーデル公爵家には、改めて正式な謝罪を送ろう」
陛下はそう言って、私の隣に立つルシアンへと視線を移した。
「見事であった、ルシアン・エーデル」
「恐れ入ります」
ルシアンは、優雅に一礼した。
陛下は、なぜかしばらくルシアンの顔をじっと見つめていた。まるで、何かを確かめるように。
「……その瞳の色。どこかで見たことが……」
陛下の小さなつぶやきの意味を、私はまだ知らなかった。
大広間に、少しずつざわめきが戻り始める。
私は、ようやく大きく息を吐いた。全身の力が抜けて、ルシアンの腕にもたれかかる。
「よく頑張りましたね、姉様」
「……ルシアン、あなた、いつからこんな準備を」
「秘密です」
ルシアンは、いたずらっぽく笑った。
「それに、まだ終わっていませんよ」
その視線の先には――顔面蒼白で、会場の隅から逃げ出そうとしている、お義母様とダミアンの姿があった。




