ケットシー
とあるケットシーの話である。彼は気まぐれに魔法を使って、異世界に転移した。
そして、宿屋に着くとミルクを頼んだのである。
チビチビと味わいながら、宿屋の客たちを見ていた。人間観察をするかのように。
虹色の帽子を被った魔女がいた。グラスにはワインが注がれている。美味しそうに吞んでいた。赤ら顔になりながら。
その様子を時計守は見ていた。他の客には無い懐中時計を持っていたからだろう。
小竜たちが賑やかに談笑していた。約束は守られていたと互いに語り合っていた。気になるが眺めているだけにしようと決めていた。
喫茶店の店主らしき妖精がいた。月明かりに照らされながら焼いたパンを宿屋の主人に渡していた。
大笑いが聞こえる。妖精の羽を生やした髭面の男が笑っていたのである。鍛冶師の匂いがした。鉄と火の混じった匂いがしたからである。彼は美味しそうにビールを呑んでいた。がぶ呑みしているからだろう。態度が酒によって変わる者がいるのだから。
ケットシーはチビチビとミルクを飲んでいた。静かに微笑ましく。その様子を客である風の妖精が見ていた。少年のような姿だが熟達者の気配もある。年は分からない。酒は呑めるのだろう。グラスには透明な酒が注がれていたから。水のようで水でない、風の結晶を溶かしたものかもしれない。
見られていることを気にすることなく、ケットシーはミルクをチビチビと飲んでいる。すでに2杯は空けただろうか。ミルクをパンに浸して食べている姿は美味しそうに笑っている。
ハープの音がした。猫の姿の吟遊詩人がいた。これから何を演奏するのだろうか。同族かもしれない。ケットシー本人の格には及ばないだろうけど。
やがて、ハープの音に合わせて、吟遊詩人は語りだす。それはとある空中庭園でのみ育てられている実について。その実は宝石で地上で発掘されるものよりも大きいのだという。そして美しいのだと。
その場所を知っているのは空飛ぶクジラ。ただの巨大なクジラではなく、宝石の羽が生えているのだという。
ハープを奏でながら吟遊詩人は語りゆく。古き神々との戦いを。古き神々は魔王と戦い、やがて勝利した。しかし、魔王は亡くなる前に転生の術を自分にかけていた。何に転生するかは分からない。けれども、古き神々との戦いを終わらせるためなら、何になっても構わなかったのだから。
ケットシーに気づいた。どこまで自分のことを、異世界に転移しただけなのに知っているのか。
吟遊詩人は語りながら、目線をケットシーに向けていた。ケットシーも吟遊詩人を見ていた。他の客たちは酒によって気づいているのかすら分からないのだが。
やがて吟遊詩人が語り終えると、ハープの音をかき鳴らして宿屋から去っていった。何者だったのか、元魔王であるケットシーはミルクを飲みながら思った。しかし、会うことは無いのだろう。もしかしたら彼は、偽神とコンタクトを取られて、幻を見せられたのかもしれないのだから。
今日の気まぐれの転移は楽しかった。そう思えただけで十分である。そして彼は魔法陣を出すと、元いた世界に帰ってきた。
自分にはここが心地良いと思っていたのだからーー。




