第67話 最終記録室
真実は、隠されるから価値があるのではない。
誰かを守るために隠された時、
その真実は、最も重い意味を持つ。
扉の向こうで待っていたのは、
過去ではなく、未来へ託された意志だった。
重厚な隔壁が、ゆっくりと左右へ開いていく。
長い間閉ざされていたはずの最終記録室には、不思議なほど埃がなかった。
室内は円形だった。
中央には透明な円柱状の装置。
その周囲を幾重にも取り囲む演算装置は、今なお微かな駆動音を響かせている。
「……生きてる。」
澪が思わず呟いた。
三十年以上前に閉鎖された施設とは思えない。
まるで誰かが、昨日まで管理していたかのようだった。
悠真が一歩踏み出す。
その瞬間だった。
――ドクン。
胸の奥でNOAHが脈打つ。
【NOAH LINK 4.8%】
【最終記録室と同期】
【管理者権限を承認】
円柱の内部へ蒼い光が灯る。
続いて、部屋全体へ柔らかな光が広がった。
『ようこそ。』
女性の声だった。
穏やかで、どこか懐かしい。
澪が周囲を見回す。
「誰?」
姿はない。
だが声だけが、部屋全体から響いていた。
『私は榊美咲。』
『この記録は、西暦二〇四八年六月十八日に保存されました。』
悠真は息を止める。
写真の女性。
記録庫で見た女性。
その人物が、今まさに語りかけている。
蒼い粒子が集まり、一人の女性の立体映像が浮かび上がった。
白衣をまとい、穏やかな笑みを浮かべている。
『もし、この映像が再生されたのなら。』
『蒼一の願いは届いたのでしょう。』
その笑顔が、一瞬だけ寂しげに揺らぐ。
『私は研究者でした。』
『でも、本当は一人の母親でもありました。』
悠真の心臓が大きく鳴る。
「母親……?」
幼い頃から失われていた記憶。
その欠片が胸の奥で震え始める。
『悠真。』
美咲は真っ直ぐこちらを見つめる。
『あなたが、この映像を見ているのね。』
その優しい眼差しに、悠真は言葉を失った。
『あなたは実験のために生まれた子ではない。』
『誰かの代用品でもない。』
『あなたは、私たちが心から望んで生まれてきてくれた、大切な子どもよ。』
澪が静かに目を伏せる。
悠真は拳を握り締めていた。
長い間、自分はHYDRA計画のために作られた存在なのではないかという恐れがあった。
その恐れを、美咲の言葉が静かに打ち消していく。
『HYDRA計画は、人を作る計画ではありません。』
『人類が、人類であり続けるための計画でした。』
映像の背後に、巨大な青い球体が映し出される。
「これが……。」
責任者が思わず前へ出る。
『これが初代HYDRAコア。』
『すべては、この一滴の水から始まりました。』
球体の中心では、一滴の蒼い水が重力を無視するように浮かんでいた。
それは鼓動するように、ゆっくりと脈打っている。
『生命は水から生まれました。』
『そしてHYDRAは、水そのものが生命へ近づいた存在です。』
『だから敵ではない。』
『ただ、人類とは違う進化を選んだだけ。』
悠真は黒海で聞いた言葉を思い出す。
――帰りたい。
あの願いは嘘ではなかった。
突然、映像が小さく乱れる。
ノイズが走る。
美咲は少しだけ表情を曇らせた。
『……時間がないようね。』
『最後に、一つだけ伝えるわ。』
部屋全体が低く振動し始める。
責任者が無線を取る。
「外で何が起きている!」
『こちら外部班!』
『山全体で地震を観測!』
『施設の地下から巨大な反応が……!』
通信が途切れる。
同時に、美咲の映像も不安定になった。
『悠真。』
『地下へ行って。』
『そこには、私たちが最後まで封印し続けたものが眠っている。』
『でも覚えていて。』
『封印されている理由は、危険だからではない。』
『まだ、人類には早かったから。』
映像はそこで静かに途切れた。
部屋には再び静寂が戻る。
しかし、その静寂は長く続かなかった。
ゴゴゴゴゴ……
床の中央がゆっくりと左右へ開き始める。
暗闇の奥へ続く螺旋階段。
その底からは、淡い蒼い光が静かに漏れ出していた。
悠真はその光を見つめ、小さく息を吸う。
「……行こう。」
誰も反対しなかった。
すべての始まりへ向かうために。
第67話をお読みいただき、ありがとうございました。
ついに榊美咲が姿を現し、HYDRA計画の本来の目的が語られ始めました。
悠真の出生に関する大きな誤解も解け、物語はいよいよ「起源」へと迫ります。
次回は、研究棟地下に眠る封印と、HYDRA計画最大の秘密が明らかになります。
引き続き『HYDRA CHRYSALIS ―REBIRTH―』をよろしくお願いいたします。




