第81話 海の道
海が道を開いた。
その先にあるものを、
誰も知らない。
ただ一つ分かっている。
あの道は、
悠真を呼んでいる。
海が割れていた。
正確には。
割れたように見えているだけだった。
巨大な黒い水の壁。
その中央だけが。
まっすぐに開いている。
海底へ。
そして。
その先の暗闇へ。
「……道。」
澪が呟いた。
悠真は答えなかった。
目の前の光景を見つめている。
海の中に。
本来なら存在しない空間ができている。
水が左右へ押し退けられ。
その中心だけが完全な無水状態になっていた。
「水圧は?」
神崎が端末を見る。
「……測定不能。」
「どういうこと?」
「水圧そのものが存在しない。」
澪が眉を寄せる。
「そんなこと……。」
「分かってる。」
神崎の声が低い。
「だから測定不能なんだ。」
悠真は一歩前へ出た。
すると。
海の向こうにいた少年が。
こちらを見た。
深い青色の瞳。
悠真と同じ顔。
だが。
今度は声が聞こえない。
少年はただ。
手招きをしている。
「……俺に来いって?」
少年は頷いた。
「危険だよ。」
澪が言う。
悠真は振り返った。
「分かってる。」
「なら……。」
「でも。」
悠真は海を見る。
「行かなきゃならない気がする。」
澪は何も言わなかった。
しばらく悠真を見つめ。
やがて。
一歩前へ出る。
「じゃあ、私も行く。」
「澪。」
「一人で行かせない。」
短い言葉だった。
悠真は少しだけ笑った。
「……ありがとう。」
神崎が二人を見る。
「待て。」
二人が振り返る。
神崎は古い記録媒体を手にしていた。
「これを持っていけ。」
「何?」
「蒼一の研究記録の一部だ。」
悠真が受け取る。
「なぜ今?」
「この先に何があるのか、私にも分からない。」
神崎は一度だけ海を見る。
「だが。」
「蒼一なら、おそらくこの道を知っていた。」
悠真の表情が変わる。
「父さんが?」
「ああ。」
神崎は頷く。
「二十八年前。」
「この道が一度だけ開いた。」
「その時、蒼一は海の向こうへ行った。」
悠真は息を止める。
「……帰ってきたの?」
「一人でな。」
「もう一人は?」
神崎は答えなかった。
その沈黙だけで。
十分だった。
悠真は海へ向き直る。
「……SUBJECT 02。」
その名前を呟いた瞬間。
道の奥で。
少年が振り返った。
そして。
一瞬だけ。
笑った。
悠真と澪は。
海の道へ足を踏み入れた。
一歩。
水に触れない。
二歩。
何も起こらない。
三歩。
背後の世界が遠ざかる。
「……不思議。」
澪が呟いた。
「何が?」
「音がない。」
本当に。
音が消えていた。
施設の警報。
機械の駆動音。
自分たちの足音。
すべて。
海の外側へ置き去りにされたようだった。
悠真は振り返る。
神崎の姿が見える。
だが。
すでに遠い。
「戻れるのかな。」
澪が聞く。
悠真は少し考えた。
「分からない。」
「正直だね。」
「今さら嘘ついても仕方ないだろ。」
澪が笑った。
「それもそうね。」
二人は歩き続ける。
しばらくして。
道の中央に。
何かが落ちているのが見えた。
悠真が近づく。
それは。
古い深海探査用のヘルメットだった。
傷だらけ。
側面に。
見覚えのある文字。
【S.O】
悠真の手が止まる。
「これ……。」
澪が見る。
「誰の?」
悠真は分からない。
だが。
ヘルメットへ触れた瞬間。
頭の中に映像が流れ込んできた。
深海。
二十八年前。
若い蒼一。
そして。
もう一人の男。
二人は海底に立っている。
蒼一が何かを叫んでいる。
『戻れ!』
もう一人の男が振り返る。
顔は見えない。
ただ。
手に何かを抱えている。
小さな子ども。
蒼一が叫ぶ。
『その子を置いていけ!』
男は首を振る。
『無理だ。』
『そいつは人間じゃない!』
『分かってる。』
男は子どもを抱きしめる。
『だからこそ、連れて帰る。』
映像が乱れる。
最後に。
蒼一が泣いていた。
『……すまない。』
そこで映像が消える。
悠真は膝をついた。
「悠真!」
澪が支える。
「……父さんが。」
息が苦しい。
「子どもを……連れて帰った。」
「誰を?」
悠真は答えようとする。
しかし。
分からない。
ただ。
一つだけ。
ヘルメットに刻まれた文字。
【S.O】
その意味だけが。
なぜか分かった。
「……蒼一じゃない。」
「え?」
「S.Oは……。」
悠真はヘルメットを見る。
「別の人間の名前だ。」
その瞬間。
海の道の先で。
少年が立ち止まった。
そして。
初めて声を出した。
『悠真。』
「……。」
『その人を探して。』
「誰なんだ?」
少年は答えない。
代わりに。
海の奥を指差す。
そこに。
巨大な構造物が浮かび上がった。
都市。
いや。
都市に似た何か。
第41話で見た。
あの光の街だった。
ただし。
今回は違う。
無数の光の中心に。
巨大な黒い塔が立っている。
その塔の頂上に。
一つの文字が浮かんでいた。
【ORIGIN】
悠真は息を呑む。
「……オリジン。」
その言葉を聞いた瞬間。
少年の表情が変わった。
初めて。
恐怖が浮かんだ。
『……そこには行かないで。』
「なぜ?」
少年は答えた。
『あそこにいるのは――』
声が途切れる。
海全体が震えた。
――ドクン。
少年が悠真を見る。
『僕たちを作ったもの。』
その瞬間。
都市の光が。
一斉に消えた。
完全な暗闇。
そして。
闇の中から。
巨大な目が開いた。
第81話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、悠真と澪が初めて「海の道」へ踏み込みました。
そして、第41話で登場した「海底の都市」と再び繋がりました。
過去に蒼一が海の向こうへ行っていたこと。
そこで何者かが、一人の子どもを連れ帰ったこと。
そして新たに登場した、
【S.O】
という謎の人物。
さらに、海底都市の奥に存在する【ORIGIN】。
ここで過去作「HYDRA CHRYSALIS ―ORIGIN―」へ直接繋がるような言葉を置きました。
ただし、まだすべてを説明しません。
「ORIGIN」が何を意味するのか。
そして最後に現れた「巨大な目」が何者なのか。
これまで積み重ねてきたシリーズ全体の伏線を、少しずつREBIRTHの物語へ繋げていきます。
次回もよろしくお願いいたします。




