第77話 海の向こうの記憶
記憶は、自分の中だけにあるとは限らない。
誰かが失った記憶を、
別の誰かが持っていることもある。
もしそうだとしたら――
悠真が思い出しているものは、
本当に「悠真の記憶」なのだろうか。
暗闇の中。
誰も言葉を発しなかった。
通信は切れている。
端末も沈黙している。
それでも。
悠真だけには、まだ聞こえていた。
――ドクン。
――ドクン。
自分の心臓とは違う鼓動。
遠く。
どこまでも遠く。
海の底から届いている。
「……まだ聞こえる?」
澪の声だった。
悠真は小さく頷く。
「ああ。」
「どこから?」
「分からない。」
目を閉じる。
すると。
ほんの少しだけ、音が大きくなった。
――ドクン。
「……こっちだ。」
悠真が歩き出す。
「待って。」
澪が追いかける。
神崎も後ろから続いた。
施設の奥。
これまで何度も調べたはずの通路だった。
しかし。
今まで存在しなかった扉がある。
「こんな扉……あった?」
澪が呟く。
神崎は首を振った。
「ない。」
扉には何も書かれていない。
ただ中央に、小さな円形の窪みがある。
悠真はそれを見た。
なぜか分かった。
ここに何を入れるのか。
「触らないで。」
神崎が止める。
「危険かもしれない。」
「分かってる。」
それでも悠真は手を伸ばした。
指先が窪みに触れる。
――カチッ。
扉が開いた。
神崎が息を呑む。
「……認証された?」
「俺が?」
返事はない。
扉の向こうには、小さな部屋があった。
研究施設というより。
誰かの個室に近い。
机。
椅子。
古い棚。
そして。
壁いっぱいに貼られた写真。
悠真が足を止めた。
写真には海が写っている。
一枚。
二枚。
十枚。
何十枚も。
すべて違う海。
昼。
夜。
嵐。
凪。
深海。
だが。
一枚だけ。
悠真の目に引っかかった。
幼い少年が海辺に立っている。
その隣には女性。
二人とも後ろ姿。
写真の日付を見る。
二十八年前。
悠真の指が震えた。
「……これ。」
澪が近づく。
「誰?」
悠真は答えられない。
女性の顔は見えない。
少年の顔も見えない。
それでも。
分かってしまった。
「俺だ。」
神崎が写真を見る。
「……いや。」
「何?」
「これは、お前が生まれる前の写真だ。」
悠真が振り返る。
「……何?」
神崎は写真の日付を指差した。
「二十八年前。」
「お前が生まれるより、ずっと前だ。」
悠真は写真へ視線を戻した。
少年は海を見ている。
女性は、その少年の肩に手を置いている。
そして。
写真の端に、小さな文字が書かれていた。
【SUBJECT 01】
悠真の呼吸が止まる。
「……俺じゃない?」
澪が呟く。
神崎は答えなかった。
その時。
写真の中の少年が――
ゆっくりと振り返った。
「……っ!」
悠真が後ずさる。
写真なのに。
少年の顔が見えた。
悠真と同じ顔。
同じ目。
同じ表情。
ただ一つ違う。
その少年は。
笑っていた。
そして写真の裏側から。
一枚の紙が滑り落ちた。
神崎が拾い上げる。
そこには短い文章だけが残されていた。
『第一の器は、完成した。』
その下に。
別の文字。
『しかし、魂は入らなかった。』
悠真の背中に冷たいものが走る。
「……器?」
澪が紙を見る。
神崎の顔色が変わった。
「神崎。」
「……。」
「続きを読め。」
神崎は黙って紙を裏返した。
そこには。
たった一行。
『だから、海からもう一人を呼んだ。』
――ドクン。
施設の奥で。
二つ目の鼓動が鳴った。
そして。
壁に貼られていたすべての写真が。
一斉に海の写真へ変わった。
その海の底に。
二人の少年が立っていた。
第77話をお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、SUBJECT 01の正体へ少しだけ近づきました。
二十八年前の写真。
そこに写っていた悠真と同じ顔を持つ少年。
そして、
『第一の器は、完成した。』
『しかし、魂は入らなかった。』
『だから、海からもう一人を呼んだ。』
という謎の記録。
悠真とは何なのか。
SUBJECT 01とは誰なのか。
そして「もう一人」とは――。
まだ答えは出しません。
ここから過去の出来事と現在の悠真が、少しずつ一本の線へ繋がっていきます。
次回もよろしくお願いいたします。




