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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第3章 印の輪郭

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98/125

第098話 渇きの街道

挿絵(By みてみん)


街道は乾いていた。

 見渡す限り、褐色の土が続いている。灌木(かんぼく)の影はどれも短く、日差しを遮るものがない。空が近い。森にいた頃は木々が空を区切っていたが、ここでは頭の上に何もなく、ただ白い光が降り注いでいる。


 草鞋(わらじ)の底が、乾いた土を踏むたびにざり、と鳴った。

 その音が三人分、規則正しく続いている。あさひが先頭、こよいが真ん中、久遠(くおん)が最後尾。峠を越えてからずっと、この並びだった。

 道の両脇に、枯れた灌木(かんぼく)が並んでいる。葉は落ち、枝だけが白い骨のように突き出していた。その枝の先に、蜘蛛(くも)の巣が張られているが、巣も乾いて、風が吹くと糸ごと千切れた。


 風が吹くと、細かい砂が頬に当たる。

 目を細め、(そで)で顔を(かば)う。風は冷たくない。乾いていて、肌の水分を剥ぐような風だった。唇が割れ、舌先で触れると薄い血の味がした。


 遠くに鳥の影が一つ、乾いた空を横切った。

 (とび)だろうか。翼を広げたまま風に乗り、円を描いている。この乾いた土地にも、命はいる。水がなくても飛ぶものがいる。


 「水」


 あさひが振り返らずに言った。

 こよいは竹筒を渡し、あさひは一口だけ含んで返した。飲み方に無駄がない。久遠(くおん)も同じように一口だけ含み、蓋を閉める。竹筒を振ると、中の水は半分を切っていた。水場は遠い。三人ともそれを分かっていた。


 巾着(きんちゃく)の中で、神々が弱々しく脈打っている。

 森にいた頃の力強さはない。乾いた空気が、雨の神から力を奪っているのだろう。脈の間隔が長く、一つ一つが薄い。こよいは布越しに(てのひら)を当て、ここにいるよ、と心の中で告げた。


 月の神は強い陽射しの中で息を潜め、巾着(きんちゃく)の底にかすかな冷たさだけを残していた。硝子(びいどろ)の神も静かだ。強すぎる光は硝子(びいどろ)を透かすだけで留まらない。

 風の神だけが、外の風に応えていた。巾着(きんちゃく)の布が内側からふわりと膨らみ、街道を吹き抜ける西風に小さく身じろぎしている。


 道標(みちしるべ)が一つ、砂に半ば埋もれて立っていた。

 文字はかすれていたが、久遠(くおん)が指でなぞり、「北の町まで二日」と読んだ。


 「二日か。水が持つか微妙だな」


 「次の水場は半日先にある。枯れていなければ」


 久遠(くおん)の声は平坦だったが、「枯れていなければ」という言葉の裏に、枯れている可能性が高いことが滲んでいた。


 こよいは空を見上げた。

 白い空。雲はなく、青さえ薄い。ただ光だけがある空だった。

 陽射しが目を刺し、すぐに俯いた。地面に落ちた自分の影が短い。昼に近いのだ。影の中に、巾着(きんちゃく)の丸い形がくっきりと映っていた。

 こよいは影を踏まないように歩きながら、日が傾くまでにどれだけ進められるかを歩幅ごとに数えていた。


 道標(みちしるべ)の根元に、干からびた蜥蜴(とかげ)の死骸があった。腹を上にして、四肢を広げている。こよいはその小さな(むくろ)を避けて歩いた。乾きは、全てのものから水を奪う。


 昼を過ぎた頃、灌木(かんぼく)の影に座って休んだ。

 影は小さく、三人が身を寄せてようやく収まる程度だった。あさひは剣を膝に横たえ、布で刃を(ぬぐ)った。砂が(はがね)の表面に張りつき、拭いても拭いてもざらつきが残る。

 久遠(くおん)は懐から地図を出し、指先で街道の線をたどった。


 「この先に()れ沢がある。雨季には水が流れるらしいが、今は乾いているだろう」


 「雨季って、いつだ」


 「分からない。この土地の(こよみ)は、ぼくの知る暦とは違う」


 あさひは舌打ちし、剣の(つか)(ひじ)を乗せた。

 久遠の指が地図上で止まった位置を、こよいは横目で見ていた。涸れ沢までの距離を自分の歩幅に換える。足を止めても雨雲は待たない。


 こよいは巾着(きんちゃく)に目を落とした。

 神々の脈が、さっきより更に弱くなっている。水のない土地は、雨の神にとって身体を削られるようなものなのだろう。指先で布を撫でると、脈が一つだけ強く返った。弱っていても、触れれば応える。


 「……大丈夫?」


 声は巾着(きんちゃく)に向けて(つぶや)いた。

 返事はない。

 でも脈は途切れなかった。それだけで十分だった。


 午後の日差しは更に強くなった。

 地面が熱を持ち、草鞋(わらじ)の底を通して足裏が焼ける。遠くの景色が揺らぎ、地平線が(ゆが)んで見えた。陽炎(かげろう)だ。揺れる空気の向こうに、町や森が見える気がするが、全て幻だった。


 あさひが足を止めた。


 「……あれ、見えるか」


 指差した先に、空の色が変わっている場所があった。

 白い空の端に、灰色の帯が横たわっている。薄く、低く、地平線に沿うように。


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)を細めた。(あお)い光が一瞬だけ(とも)り、すぐに消えた。


 「雲だ。南東の方角に雨雲がある。……こちらに来るかどうかは分からないが」


 雨雲。

 その言葉を聞いた瞬間、巾着(きんちゃく)の中で神々が跳ねた。

 弱々しかった脈が急に速まり、布越しにはっきりと振動が伝わってくる。雨の神が、遠い雲の気配を感じ取ったのだ。


 こよいは巾着(きんちゃく)を胸に当てた。

 四柱(よはしら)の脈が、それぞれの速さで動いている。雨の神は速く、月は静かに、硝子(びいどろ)は深く、風は外の風に合わせて揺れていた。

 乾いた街道の上で、神々が同時に空を向いている。巾着(きんちゃく)の布越しに、四つの気配が南東を指していた。

 こよいはその方角を自分の目でも確かめようとしたが、白い光に遮られて雲の輪郭は見えなかった。それでも、神々の指し示す先へと足先が自然に向いた。


 あさひが目を細めた。


 「雨か。降ってくれりゃ助かるが」


 「この距離だと、明日の昼頃になる。風向き次第だが」


 久遠(くおん)は地図を畳み、懐に仕舞(しま)った。


 灰色の雲は、まだ遠い。

 けれど、街道の先に色がある。白一色だった空に、初めて別の色が混じっていた。

 こよいは唇の割れ目を舌先で触れ、その痛みの向こうにある湿り気の予感を、胸の奥に仕舞った。


 三人は立ち上がり、また歩き始めた。

 草鞋(わらじ)の底が乾いた土を踏む音が、再び三つ揃う。

 風が砂を巻き上げ、頬に当たる。


 けれど、その風の中に、かすかに湿り気が混じった気がした。

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