表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第3章 印の輪郭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
75/125

第075話 月の解放

挿絵(By みてみん)


閃光(せんこう)

 世界が白に呑まれた。耳が(しび)れ、焦げた金属の匂いが肺を満たす。

 こよいは息を吐き切り、足元の感覚が一瞬消えた。


 (てのひら)の中で、ビードロが限界を超えた熱を放ち続けている。指先が焼ける。それでも離さなかった。


 銀色の光が一本、赤い結界(けっかい)の頂点に(くさび)のように突き刺さった。

 結界(けっかい)の表面が(ゆが)み、術式の幾何学(きかがく)の線が浮き上がっては崩壊していく。

 空気がぱちぱちと鳴り、(おり)の奥から月の神の細い息遣いが聞こえた。


 「何っ……!? 馬鹿な、計算が……すべての数値が、反転しているだと……?」


 黒い狩衣(かりぎぬ)の男が、初めて声を裏返した。


 「記録にない変動だ! 観測不能のエネルギーが、術式の回路を逆行しているぞ!」


 杖が振り上げられ、黒い鈴が甲高く鳴る。だがその音は、崩壊する結界(けっかい)(きし)みに呑み込まれた。

 男の周囲に展開されていた防御の術式が火花を散らし、一枚、また一枚と()がれ落ちていく。


 「管理下に置いた神の力を……逆流させているのか!?」


 久遠(くおん)が、血の味のする口で短く笑った。


 「当たり前だ。(ゆが)めた分だけ、そのまま叩き返してやる」


 久遠(くおん)の左目が青く燃え、星読みの盤の針が狂ったように回り始めた。

 盤の歯車が噛み合う音が甲高く鳴り、久遠(くおん)の鼻から一筋の血が垂れた。義眼(ぎがん)を酷使した代償だ。それでも指先は止まらなかった。

 バヂヂヂヂッ。

 赤い結界(けっかい)の表面に、蜘蛛(くも)の巣のような亀裂が走った。

 割れ目から過剰な熱が噴き出し、足元の草が一瞬で灰になる。こよいの草鞋(わらじ)の底が焦げ、鉄の匂いが鼻を()いた。


 「臨界点(りんかいてん)だ! 退避しろ!」


 あさひが叫んだ。面の男たちがたじろぐ。

 熱風がこよいの頬を焼き、視界が赤く歪んだ。膝が笑っている。倒れそうだった。

 そのとき、天の頂から澄み切った声が落ちてきた。


 『……わたしは、確かに、ここにいる』


 『……管理される名のない光なんかじゃない。わたしは、世界を照らす月そのもの』


 (おり)の中の光の球体が、本来の輝きを取り戻し始めた。

 濁っていた光が透き通り、真珠のような高貴さが戻る。月の拍動が正しいリズムを刻むたびに、こよいの胸の(ともしび)も温かく返った。


 「こよい! 無事か!」


 あさひの声が(かす)れている。肩の傷から血が滴り、(つか)を握る手が赤く染まっていた。

 それでも剣は振るわれ続けた。片膝をつきながら、なお三体の泥人形を()ぎ払う。


 「今だ! (おり)を断ち切れ!」


 あさひが最後の泥人形を蹴散らし、こよいへの道を開けた。


 「……うん。もう、大丈夫だよ」


 こよいはビードロを掲げ、結界(けっかい)の裂け目に向けた。


 『……もっと、つよく。おもいを、わたしに預けて』


 月の神の光がビードロに繋がった。


 「この(おり)を壊して。月の神様を、外へ!」


 パリン、と透明な音が響いた。

 結界(けっかい)の骨格が折れた音だ。衝撃波(しょうげきは)がこよいの身体を弾き、地面に叩きつけた。

 土の冷たさが頬に触れる。痛い。けれど、この痛みは勝利の痛みだ。


 砕けた赤い光の破片が降り注ぎ、すぐに白い煙となって消えた。

 崩壊した結界(けっかい)の向こうから、銀色の月光が(せき)を切って溢れ出す。

 その光が、こよいの火傷した肌を冷やすように撫でた。氷のように冷たいのに、痛くない。清らかで、慈愛に満ちていた。


 「うあ……光が……目が、洗われるみたいだ……!」


 涙が一滴、こぼれ落ちた。

 面の男たちが月光を浴び、輪郭(りんかく)から崩れていく。砂のように静かに散り、白い面だけが地面に転がった。


 隊長格の男の影が揺らいだ。


 「……我らの観測記録が……(ちり)に還るというのか……」


 その声は形を成す前に消えた。白い面が一つ、乾いた音を立てて地に落ち、ひびが入って二つに割れた。

 山頂(さんちょう)に静寂が戻った。


 止まっていた風が動き出す。焦げた匂いに代わって、夜露(よつゆ)に濡れた木の葉の匂いが混じり始めた。

 森の奥で、一羽の鳥が澄んだ声で鳴いた。

 祭壇(さいだん)の上に、柔らかな光の球体がふわりと浮かんでいた。月の神だ。

 球体はゆっくりとこよいの元へ近づき、傷ついた手の甲にそっと触れた。冷たい。けれどその冷たさが、火傷の痛みを静かに鎮めてくれる。

 光は躊躇(ためら)わず、傷口に沿うように沈み込んだ。まるでこちらを選んだと言いたげに。


 「……終わったんだね」


 こよいはその場にへたり込んだ。腕が震え、膝が笑い、身体中の力が一度に抜けていく。

 ビードロは熱を失い、静かな硝子(びいどろ)の球体に戻っていた。表面に細い傷が一筋走っている。限界まで戦った証だ。こよいはそれを丁寧に巾着(きんちゃく)へ戻した。


 「ありがとう、ビードロ」


 返事はない。けれど巾着(きんちゃく)の底で、硝子(ガラス)がカチリと小さく鳴った。


 あさひが剣を(さや)に納めた。カチリという音が、勝利の幕引きを告げる。

 立ったまま肩で荒い息をしている。傷口の血はまだ止まっていなかったが、口元だけが笑っていた。

 久遠(くおん)は盤を胸に抱え、重い息を吐いた。鼻血の跡を袖で雑に拭い、何事もなかったように目を閉じた。

 こよいは久遠(くおん)の横顔を見た。義眼(ぎがん)の奥で、暴れ続けていた計算の光が静かに収まっている。


 こよいは空を見上げた。

 赤い呪いは消えていた。銀の満月が、静かに輝いている。


 「……救えたんだね。月の神様を」


 堪えていた涙が落ちた。月の神がこよいの頬にそっと寄り添い、慈しむように触れた。


 「一緒に行こう、月の神様。ぼくの巾着(きんちゃく)の中へ」


 「もう、誰にも奪わせない。約束するよ」


 久遠(くおん)が鼻で息を吐いた。


 「……勝手に仲間にするなよ。運び屋(はこびや)なんて割に合わない商売だ」


 口調は辛辣(しんらつ)だったが、硝子(ガラス)の左目の光は柔らかかった。

 あさひは短く笑い、肩の止血布を締め直した。


 月光が傷ついた山肌に広がり、焼かれた土を冷やしていく。森の奥で、生き物たちの気配が戻り始めた。

 こよいは巾着(きんちゃく)をそっと押さえた。新たに宿った月の神の重みが、指先に伝わる。


 こよいは立ち上がった。身体はまだ震えている。

 それでも、歩みはもう止まらなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ