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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第3章 印の輪郭

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第071話 増幅反射の策

挿絵(By みてみん)


宿に戻った三人は、久遠(くおん)の部屋に集まった。

 泥と夜露(よつゆ)に濡れた着物が重い。畳に腰を下ろすだけで、膝の裏に鈍い痛みが沈む。

 部屋の隅で、あさひが黙ったまま指先の血を水で洗い流していた。その水音だけが夜の静けさを刻んでいる。


 久遠(くおん)は濡れた(そで)を絞り、卓を挟んで腰を下ろした。

 こよいは巾着(きんちゃく)を胸に抱いたまま、動けなかった。月の神の悲鳴が、まだ耳の奥にこびりついている。

 巾着(きんちゃく)の中で、三柱(みはしら)の神々の鼓動が不安げに共鳴していた。


 「……あの結界(けっかい)は単なる壁じゃない。光を(ゆが)めて内側に閉じ込める、捕食型の術式だ」


 久遠(くおん)が、墨で汚れた紙に図を描きながら説明を始めた。


 「外からの干渉を拒絶し、閉じ込めた神気を絞り取る。剣で斬っても、力の衝突はすべて吸収される」


 紙の上に円が幾重にも重なり、中心に小さな点が打たれている。

 久遠(くおん)はそこへ鋭い線を伸ばし、「(くさび)」と書き込んだ。


 「多層構造だ。術式の(くさび)が打ち込まれた特異点で、神気が(うず)を巻いている。その(かく)を断ち切らない限り、裂け目を作っても瞬時に修復される」


 「俺の剣で全力で斬っても、暖簾(のれん)に腕押しってわけか。……(しゃく)な話だな」


 あさひが腕を組んで鼻を鳴らした。腕の甲には擦り傷が走り、乾いた血が赤黒く張り付いている。


 「ああ。結界(けっかい)は斬った端から修復する。既存の力とは違う、別の力が要る」


 「猶予(ゆうよ)もない。時間をかけるほど、勝機は消える」


 久遠(くおん)は紙の上の円を指先でなぞった。


 「結界(けっかい)は月の神から吸い上げた神気を防壁に転用している。放置すれば、壁はどんどん厚くなる」


 「別の力……」


 こよいは膝の上の巾着(きんちゃく)を見つめた。風の神と、救い出したばかりの硝子(びいどろ)の神がいる。


 「ビードロ。……ビードロなら、何かできるんじゃないかな?」


 こよいは震える声を絞り出した。


 「ビードロの力は『反射』だって久遠(くおん)が言ってた。……あの光を跳ね返せるかもしれない」


 「反射か。光を以て光を制する」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)の左目を細めた。


 「結界(けっかい)の最小単位は圧縮された光だ。それを硝子(びいどろ)の瞳で逆流させ、術式にぶつけられたなら……」


 久遠(くおん)巾着(きんちゃく)を指差した。


 「出せ。硝子(びいどろ)の瞳の意志を直接確かめる」


 こよいは一瞬、指先が凍った。

 もし、この作戦で硝子(びいどろ)の瞳が砕けてしまったら。

 恐怖が紐を解く手を躊躇(ためら)わせる。


 それでも、今この壁を破れるのは、ビードロの光しかない。

 こよいは息を吸い、慎重にビードロを巾着(きんちゃく)から取り出した。

 僅かな明かりを吸い込み、内部に深い青を宿す球体。


 「……ビードロ。聞こえる?」


 こよいはその冷たい肌に呼びかけた。


 「あの赤い光。……君の力で、跳ね返せるかな?」


 『……できる。わたしには、みえる。光の、つなぎめが』


 ビードロの返答が響いた。救出時の弱々しさはない。決意の込もった声だった。


 『……わたしは、ただ見ていただけじゃない。世界の(ゆが)みも、うそも、ぜんぶ写し取ってきたの』


 『……写して、返す。それが、わたしの命』


 硝子(びいどろ)の瞳が強く発光した。

 行灯(あんどん)の火を収束させ、天井に向けて鋭い光の筋を投射する。

 ただの反射ではない。光の筋が天井の木目(もくめ)を浮き彫りにし、空中の(ほこり)を銀色に変えていく。


 こよいは目を細めた。光が「返ってくる」感覚。それは物理現象ではなく、神の意志そのものだった。


 「……凄まじいな。これはただの反射じゃねえ」


 あさひが唸った。


 「光を吸い込んで、増幅して撃ち出してやがる。……これなら風穴を開けられるかもしれねえな」


 「ああ。この増幅反射が唯一の鍵だ」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)に計算の光が宿った。


 「ビードロに結界(けっかい)の光を反射させ、構造的な弱点に一点集中させる。過剰な負荷で術式を内側から自壊させる」


 「弱点は、どこ?」


 「結界(けっかい)の天頂。赤い光が最も密に集まる焦点だ」


 「そこに全力を叩き込めば、結界(けっかい)は自らの光で焼き切れる。……だが、ビードロへの負担は計り知れない」


 久遠(くおん)の声が沈んだ。


 「下手をすれば、硝子(びいどろ)の瞳は砕ける。……それでも、この一手しかない」


 作戦が決まった。

 あさひが正面から突っ込んで(おとり)となり、敵の注意を引きつける。

 その隙にこよいと久遠(くおん)結界(けっかい)に肉薄し、ビードロの全力を解き放つ。


 「おいおい、(おとり)なんて不名誉な呼び方はよせ」


 あさひが肩をすくめて笑った。


 「俺が剣で道を切り(ひら)く。戦士としちゃ、最高の役回りだ」


 冗談めかしていたが、その瞳にはこよいたちを死なせないという覚悟(かくご)が燃えていた。

 久遠(くおん)は頷き、星読みの盤の歯車を指先で確かめた。


 「決行は明日の夜。満月が中天に掛かる時だ。神気の流動が最大になる」


 久遠(くおん)の指先が白く硬直している。気づいたように、素早く視線を逸らした。

 あさひは黙々と愛剣の刀身を布で拭い、(つか)の緩みを確かめていた。


 こよいは硝子(びいどろ)の瞳を、壊れないように、けれど力を込めて握りしめた。

 冷たいのに、今は頼もしい戦友の温もりを感じた。


 「……お願い、ビードロ。君の力を、ぼくに貸して」


 「……一緒に、月の神様を、あの暗い(おり)から助け出そう」


 『……うん。約束、だね』


 『……こよいが望むなら、わたしは、砕けても構わない』


 小さな神が、命を賭して戦おうとしてくれている。嬉しくて、切なかった。

 こよいは硝子(びいどろ)の瞳にそっと頬を寄せた。


 「……絶対に、君を一人にはしないから」

 三人はそれぞれの戦いに備えた。

 久遠(くおん)は星読みの盤を調整し、あさひは研ぎ石で刀身を研いだ。こよいは巾着(きんちゃく)を抱きしめ、神々に祈った。


 「……もう、眠れ」


 あさひの低い声で、三人は布団に横たわった。

 久遠(くおん)行灯(あんどん)の火を落とし、闇の中で赤い月を見つめていた。


 眠りの淵で、月の神の声が聞こえた気がした。


 『……まっているよ。こよい』


 こよいは胸の(ともしび)を確かめた。

 隣では久遠(くおん)がまだ起きている気配がした。星読みの盤の金属がキチ、と微かに鳴る。

 同じ夜を戦う仲間が、すぐそばにいる。


 こよいは布団の中で小さく頷き、眠りの底へ沈んでいった。

 赤い月の影が障子を()う。それでも、胸の灯だけは消えなかった。

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