第059話 解放
番人は倒れたが、観測者たちはまだ残っていた。
彼らは武器を構え、じりじりと包囲を縮めてくる。
足音は一定で、まるで演習のように距離を詰めてくる。ライトがこよいの目を刺し、視界の端が白く滲んだ。機械の唸りは止まらない。むしろ怒るように強くなり、床が震える。
「逃がすな。サンプルとして確保しろ」
隊長が命じた。
観測者たちの足音が一斉に揃い、狭い空間がさらに狭く感じられる。こよいは呼吸を整え、巾着の口を閉めた。風の神の気配が震えている。怖い。でも、ここで止まるわけにはいかない。
「……ちっ、しつこいな」
あさひは剣を構え直すが、足元がふらついている。
番人との戦いで消耗しているのだ。
肩で息をし、膝がわずかに揺れる。それでも剣は下がらない。こよいはその背中を見て、胸の灯が熱くなる。守られるだけではいけない。今度は自分が守る番だ。
こよいは、中央の巨大な機械を見た。
あれが動いている限り、観測者は何度でも襲ってくるだろう。
そして、大地は泣き続ける。
機械の根元に埋め込まれたパイプから、青白い光が漏れている。まるで血管だ。そこを断てば、山の血が自由になる。こよいは唇を噛み、覚悟を固めた。
「壊さなきゃ」
こよいは言った。
「あの機械を壊せば、みんな逃げるはず」
こよいの声は震えていたが、視線は揺れなかった。あさひが短く頷き、剣の切っ先を機械に向ける。観測者たちが一斉に前へ出ようとした瞬間、こよいは巾着を開いた。
「だが、どうやって? あのデカブツは硬そうだぞ」
「風の神様にお願いする」
こよいは巾着に手を当て、心の中で風の神に語りかけた。怖いよね、と。だけど、ここで助けなければ、もっと多くが奪われる。風の神は小さく鳴き、こよいの手のひらに温かい風を送ってきた。
こよいは巾着を開いた。
風の神が、外に出たがっている。
「風、お願い。あのパイプを全部吹き飛ばして!」
『……まかせて!』
風の神が飛び出した。
小さなつむじ風が、瞬く間に巨大な竜巻へと成長する。
空洞の中の空気が、すべて吸い寄せられていく。
竜巻はまっすぐ機械に向かわず、まず周囲をぐるりと回った。観測者たちの足元の砂をさらい、ライトを揺らし、視界を奪う。こよいはその中に、風の神の意志を感じた。仲間を守りながら、狙いを定めている。
「な、なんだ!?」
観測者たちが吹き飛ばされる。
書類が舞い、帽子が飛び、足場が崩れる。
隊長が手を伸ばし、何かの装置を操作しようとしたが、風がその腕を弾いた。風はただ荒れるだけではない。狙いをつけ、守るように動いている。こよいはその意志の強さに胸が熱くなった。
竜巻の中心で、風の神が小さく笑う気配がした。怖さの中でも、力を使い切っている。その姿に、こよいは涙を堪えた。
竜巻は、機械の中心に向かって突進した。
パイプが軋み、引きちぎられる。
プシュウウウ!
蒸気が噴き出し、火花が散る。
床が持ち上がるように震え、塔が傾いた。機械の表面に走っていた光が乱れ、刻印が赤黒く染まる。観測者たちは悲鳴を上げ、慌てて装置から離れた。
「冷却装置破損! 臨界点突破!」
警めの鈴が鳴り響く中、機械が傾いた。
そして、轟音と共に崩壊した。
崩れた塔の隙間から、青い光が溢れ、床に走る。パイプが裂け、地面から白い蒸気が噴き上がる。空洞全体が揺れ、天井の石が落ち始めた。
ドゴオオオオン!
機械が壊れた場所から、青白い光の柱が立ち上った。
地脈だ。
奪われていたエネルギーが、一気に解放されたのだ。
光は天井を突き抜け、洞窟の石を透かすように輝いた。こよいの髪が逆立ち、風の神が歓喜の声を上げる。空洞の中が一瞬だけ昼のようになり、精霊たちの影が壁に踊った。
「退避! 全員退避せよ!」
観測者たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
彼らにとって、予測不能なエネルギーの暴走は最も恐れる事態なのだ。
隊長は最後まで装置の計器を抱え、後退しながらも記録を守ろうとしていた。こよいはその姿に一瞬だけ驚き、すぐに視線を外す。今は逃げることが先だ。
「俺たちも逃げるぞ!」
あさひがこよいの手を引いた。
崩れ落ちる坑道を、全速力で駆け抜ける。
背後で岩が崩れ、熱い風が背中を押す。天井から落ちた石が道を塞ぎ、あさひが剣で押しのける。こよいは息を切らしながらも足を止めず、巾着を胸に抱き締めた。風の神が小さく回り、進むべき隙間を示してくれる。
外に出た瞬間、背後で爆発音がした。
入り口が土砂で埋まる。
地面が揺れ、山がうなる。こよいは草の上に膝をつき、空気を吸い込んだ。土の匂いが濃い。地下の熱が冷えた風に溶け、夜の空に消えていく。
「はぁ、はぁ……」
二人は、草の上に倒れ込んだ。
助かった。
肩で息をし、泥の匂いと草の匂いが混じる空気を吸い込む。体中が震えているのは、恐怖か疲労か分からない。こよいは巾着を胸に抱き、風の神が戻ってくるのを待った。
巾着がふわりと軽くなり、風の神が静かに戻ってきたのが分かる。こよいは小さく「おかえり」と呟き、巾着の口を結び直した。あさひは膝を立て、額の傷を布で拭った。血はまだ滲むが、目はもう次の道を見ている。
「……この山は助かったの?」
こよいの問いに、あさひは空を見上げて頷いた。「地面が息をしてる。しばらくは大丈夫だ」
こよいはそれを聞いて、胸の灯が少しだけ大きくなるのを感じた。
見上げると、空にオーロラのような光が広がっていた。
解放された地脈の光だ。
大地が、深呼吸をしているようだった。
その光は山の稜線を越えて広がり、遠くの雲まで淡く染める。こよいは息を呑み、しばらく見上げていた。これが、奪われていた命の色。胸の灯がそれに呼応するように揺れる。
光が落ち着くと、森の音が戻り始めた。遠くで鳥が鳴き、風が木々を揺らす。こよいはその音に耳を澄ませ、生命が戻った実感を噛みしめた。
山の斜面の木々が一斉に揺れ、葉がこすれる音が重なる。静かだった森に生命が戻ってくる。こよいはその音に耳を澄ませ、胸の奥が温かくなるのを感じた。
『……ありがとう』
風に乗って、無数の精霊たちの声が聞こえた気がした。
こよいは、泥だらけの顔で笑った。
笑うと、涙が混じって頬を伝った。怖かった。苦しかった。けれど、救えた。その事実だけが、今のこよいを支えている。
あさひも肩で息をしながら空を見上げ、短く「やったな」と呟く。短い勝利だとしても、山が救われたことは確かだった。
遠くで雷のような音がしたが、今度は怒りではなく解放の響きに聞こえた。こよいはその音を胸に刻み、次の町にも同じ風を届けようと誓う。
「行こう」
あさひが立ち上がる。こよいもゆっくり起き、膝についた泥を払った。山頂はまだ先だ。だが今なら、風が背中を押してくれる気がした。
こよいは一度だけ坑道の崩れた入口を振り返り、胸の中で「もう奪わせない」と呟いた。
風が草を揺らし、山の稜線を撫でた。その風は、次の試練へ向かう合図のようだった。
こよいはその合図を受け取り、足元を確かめて歩き出した。




