第057話 地下の光
観測者の足音が遠ざかり、坑道が静寂を取り戻すのを待ってから、二人はさらに奥へ進んだ。
坑道は地下深くまで続いている。
空気は冷たく、鉄の味がした。
壁には古いランプの跡が点々と残り、かつての鉱夫たちの息遣いが染み付いているようだった。湿った泥が靴裏に吸い付くたび、足音が鈍くなる。あさひは松明を消し、こよいの肩を軽く押して合図した。遠くから機械の唸りが近づいてくる。低い振動が地面を通じて足裏に伝わり、胸の内側まで揺らす。
こよいは巾着を握り、風の神に「静かに」と囁いた。風は薄い膜のように二人の周りに広がり、呼吸の音を飲み込む。闇は濃いが、その中でわずかに青白い明かりが滲んでいた。あれが、観測者の機械の光だ。
最深部にたどり着いた時、視界が急に開けた。
巨大な空洞。
ドーム状の空間が広がっている。
天井からは石灰岩の柱が垂れ下がり、薄い水滴が落ちるたびに光がちらつく。足元は崩れた岩で不安定だが、空洞の中心だけが異様に平らだった。まるでそこだけ、誰かが丁寧に削り取ったように。
空気が乾いている。坑道の湿り気が嘘のように消え、金属と油の匂いが鼻を刺した。機械の熱で、地下の空気が変質しているのがわかる。
「……なに、これ」
こよいは息を呑んだ。
空洞の中央に、巨大な機械が設置されていた。
高さは十メートル以上あるだろうか。
黒い金属の塔。そこから無数のパイプが伸び、地面に突き刺さっている。
パイプの周りには輪状のレールが巡り、小型の台車が無人で走っている。台車は青白い結晶を運び、塔の足元へ供給していた。結晶は淡く脈打ち、触れれば温かいのだろうと直感した。地脈の欠片。それを燃やしているのだ。
塔の表面には複雑な符号のような刻印が刻まれ、時折赤い光が走る。山の鼓動が、機械の鼓動へと作り替えられている。こよいは奥歯を噛みしめた。
機械の中心部が、青白く発光している。
その光に合わせて、ブゥゥゥンという重低音が響いている。
低音は一定のリズムではない。強くなったり弱くなったり、まるで苦しむ心臓の拍動だ。床の石が微かに浮き沈みし、粉塵がふわりと舞い上がる。地面そのものが機械に引かれている。
こよいは足裏に伝わる振動の向きを感じ取り、地脈が塔へ吸われる流れを想像した。山が空洞になっていく恐怖。地面が薄くなれば、上にある町も森も崩れる。奪われているのは神の命だけではない。この土地で生きる全ての暮らしが削られている。
「地脈を……吸い上げているのか」
あさひが呻いた。
「この山全体のエネルギーを、根こそぎ奪うつもりだ」
機械の周りには、数十人の観測者がいた。
彼らは忙しく動き回り、数値を記録し、レバーを操作している。
まるで、巨大な工場のようだ。
白いライトが空洞を横切り、観測者たちの影が壁に長く伸びている。誰も会話をしない。合図は短い手振りだけで、動きは無駄がない。人間というより装置の部品だ。こよいはその無機質さに背筋が冷えた。
あさひが岩陰から覗き込み、唇を噛んだ。「数が多いな。ここで騒げば囲まれる」
こよいは頷き、巾着に指を滑らせる。風の神が小さく震え、地下の空気に怯えているのが伝わった。
あさひは指で床に小さく円を描き、進路を示した。塔の裏側に回り込めば、観測者の視線から一瞬だけ外れる場所がある。こよいはその動きを目で追い、頭の中で道順をなぞった。失敗すれば、ここで終わる。
「……神様は?」
こよいは、神の気配を探した。
風の神や、水路の神のような、個別の気配は感じられない。
代わりに、大地そのものの悲鳴が聞こえてくる。
耳ではなく、骨で聞く声だった。山の奥から「苦しい」と訴える音が、胸の灯を揺らす。こよいは目を閉じ、巾着の口を少し開けた。風の神が小さく息を吐き、地脈の叫びと重なる。
その叫びの中に、短い名が混じった気がした。
土守。畑守。お堂の木札に刻まれていた名だ。
「……ここにも、あの土の神の仲間がいる」
こよいは小さく呟き、手のひらを胸に当てた。忘れないと誓った名が、今ここで苦しんでいる。
あさひは頷き、岩陰から機械を睨みつける。
『……いたい』
『……やめて』
無数の小さな精霊たちが、パイプに吸い込まれ、光となって消えていく。
この機械は、神の命を燃料にして動いているのだ。
精霊たちは一つひとつが薄い光で、虫の群れのように集められていた。逃げようとしても、目に見えない網に絡め取られる。こよいは拳を握りしめ、爪が掌に食い込むのを感じた。
壁に耳を当てると、別の唸りが聞こえた。機械の音ではなく、岩が軋む音。地脈が引き裂かれているのだ。こよいはその痛みに耐えきれず、眉をひそめた。
風の神は小さく震え、巾着の中で身を縮める。ここは風が通りにくい。風が通れない場所は、命が息をしづらい場所だ。
「許せねえ」
あさひが剣を握りしめた。
「あんなもの、ぶっ壊してやる」
「でも、数が多すぎるよ」
「奇襲をかける。……一番大きなパイプを斬れば、暴走するはずだ」
あさひは、岩陰から飛び出そうとした。
こよいはあさひの袖を掴み、首を横に振った。
「待って。風が届くか確かめたい」
巾着の口から、細い風を流す。風は床を滑り、塔へ向かうが、途中で薄い透明の壁に阻まれた。機械の周りに結界がある。風が触れるたび、青い光が一瞬だけ走った。
「結界がある……」
あさひは舌打ちした。「じゃあ、俺が切るしかない。お前は機械の動きを止めろ。風で視界を奪え」
こよいは頷き、胸の灯を強く意識した。ここで躊躇えば、地脈は枯れる。
「近づいたら、俺が番人を引き付ける」
あさひが短く言う。こよいはその背中を見て、頷くしかなかった。怖い。それでも、怖さの向こうに助けたい誰かがいる。
こよいは息を整え、地面に片膝をついた。祈るように掌を合わせ、風の神に小さく言葉を送る。「一緒にやろう」。風の神の震えが少しだけ落ち着き、巾着が温かくなった。
こよいは巾着を握り、胸の灯を思い出した。旅の始まりに灯った小さな光が、ここまで導いた。もしこの場所で灯が消えたら、今まで救ってきた神々の声も消える。こよいは肩の力を抜き、息を整えた。
その時。
「侵入者を検知」
無機質な号令が響き渡った。
空洞の空気が一瞬で硬くなる。観測者たちが同時に顔を上げ、無機質な視線が岩陰へ向いた。ライトがこちらを刺し、影が逃げ場を失う。
天井のライトが一斉に点灯し、空洞全体が真昼のように明るくなった。
「しまっ……!」
観測者たちが、一斉にこちらを向いた。
警めの鈴が甲高く鳴り、機械の回転が速くなる。パイプが震え、床が微かに揺れ始めた。逃げ場はない。こよいは巾着を抱え、風の神に「守って」と祈る。
そして、機械の裏から、巨大な影が現れた。
金属の装甲に覆われた、獣型の絡繰り人形。
赤い目を光らせ、牙を剥いている。
胸の中心に刻まれた紋様が、機械の光と同じリズムで明滅していた。あれが動力の核だ。こよいはその光に目を奪われ、背筋が冷えるのを感じた。
足元の砂が震え、番人の咆哮が空洞に反響した。
こよいは唾を飲み込み、巾着を強く握った。指先が震え、息が浅くなり、鼓動が速くなる。背に冷たい汗が滲み、足元の砂がさらに震えた。耳鳴りがした。
「番人か!」
あさひがこよいを庇うように立った。
戦いが始まる。




