第437話 島影の道
露岬の仮停車場から再乗車すると、線路は海岸線に沿って西へ伸びていた。
左手に海、右手に崖。列車は岩壁を削って作られた狭い棚の上を走っている。窓から身を乗り出せば、真下に波が砕ける岩礁が見えた。
こよいは窓の外を眺めていた。潮の匂いが車内に届き、巾着の紐が風に微かに揺れている。海上に、島が点在している。大小さまざまな島影が、水平線に沿って並んでいた。
午後の陽光が傾き始めると、島々の影が海面に落ちた。
最初は、ただの影に見えた。島の形をした黒い影が、水面に揺れている。だが、列車が進むにつれ、影の位置関係が変わっていった。
一つの島の影が、隣の島の影に繋がった。
さらにその先で、三つ目の島の影と重なる。影と影が接続し、海面の上に一本の暗い帯が現れた。
「……道だ」
こよいが呟いた。
島影が、海の上に道を作っている。島と島の影が連なり、黒い帯が海面をまっすぐに走っていた。波は帯の周囲で砕けるが、影の上だけは水面が平らに凪いでいる。
久遠が目録を開き、頁を繰った。義眼の蒼光が頁の上を走る。
「島影の道」
久遠が低く言った。
「記録がある。この鉄道が敷設された当時の設計図だ」
こよいは久遠の隣に寄り、目録を覗き込んだ。古い図面が写し取られている。海岸線と島の配置が描かれ、島と島の間に点線が引かれていた。点線の横に、細かい数字が並んでいる。
「角度と時刻だ。島の位置は、影が特定の時間帯に連続する道を形成するように計算されている」
「……島を、わざとそこに置いたってこと?」
「島そのものを動かしたかは分からない。だが、鉄道の経路は、島影の道が見える位置を通るように設計されている。偶然じゃない」
あさひが窓の外を見た。
「影の道は、どこに向かってる」
久遠は目録の図面を指で辿った。点線の先端が、一つの地名で終わっている。
「経蔵だ」
三人とも、黙った。
かつて真実の目録を持ち出した経蔵。三人が正門から入ったときには、海側に外郭があることまで分からなかった。古い設計図の点線は正門ではなく、島影を縫ってその海側へ廻り込んでいる。車内の空気が張り詰め、車輪がレールの継ぎ目を越える鈍い音だけが、沈黙を刻んだ。
「島影の道は、経蔵への航路を示している。設計者は、鉄道と島影の両方を使って、経蔵への道筋を残した」
こよいは窓の外に目を戻した。
影の帯は、水平線に向かってまっすぐ伸びている。午後の光が傾くにつれ、影は濃くなり、道の輪郭が鮮明になっていく。
「時間で変わるのか」
「ああ。午後二時から四時の間だけ、影が繋がる。それ以外の時間帯は、ただの島影に戻る」
列車が岬を回り、角度が変わった。
影の道が、列車の進行方向と平行に走っているのが見えた。線路と影が、同じ方角を指している。
こよいは巾着を胸に当てた。中の名前たちが、かすかに温かい。怖がっているのではない。方角を感じている。
「名前たちも、分かってる。あっちだって」
久遠が目録を閉じ、窓の外を見つめた。
「設計者が誰なのかは分からない。だが、この鉄道を作った者は、経蔵を知っていた。そして、辿り着く方法を島影に刻んだ」
あさひが腕を組んだ。
「親切だな。罠じゃないのか」
あさひの目が細くなった。剣の柄に置いた手が、無意識に力を帯びている。
「罠かもしれない。だが、今のところ、海側から経蔵へ戻る手がかりはこれしかない」
列車は海岸線を離れず、ゆっくりと西へ進み続けた。
窓の外で、島影の道が伸びている。午後の光が低くなるにつれ、影は海面の上で最も濃い黒を纏い、やがて夕暮れの赤に溶けて見えなくなった。
「明日の午後には、また見える」
久遠が静かに言った。
こよいは窓に映る自分の顔を見つめた。
影の道は消えた。だが、方角は覚えている。巾着の中の名前たちが、身体の芯に方向を刻んでいる。西。海の向こう。島影の先。
列車の車輪が、規則正しくレールを叩いた。
その音が、こよいには足音のように聞こえた。誰かが、ずっと先を歩いている。影で道を作りながら、後から来る者のために印を残している。
こよいは目を閉じた。
瞼の裏に、島影の帯が焼きついている。あの黒い道が海面に描いた一本の線を、身体の奥で辿り直していた。
列車の揺れに身を預け、巾着の温もりを胸に感じながら、影の道の先にあるものを反芻した。
おたまが窓辺で影の帯を追い、島と島の切れ目ごとに小鈴を鳴らした。午後二時を過ぎると返る音が一本の連続した余韻になり、四時前にはまた途切れる。設計図の時刻と、猫が拾った音の窓は一致した。
久遠は設計者の意図を断定せず、翌日の同じ時刻に再観測する印をつけた。罠なら同じ形を保てない可能性がある。道を信じる前に、一度だけ反復を確かめる。
こよいは島と島の切れ目を三つ、窓枠に指で刻むように覚えた。明日、影が同じ位置に繋がらなければ渡らない。その選択に、巾着の名前たちが穏やかな一拍を返した。




