↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第14章 風の残像

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
428/438

第428話 線の移り

挿絵(By みてみん)


久遠(くおん)目録(もくろく)を広げたまま、指先を止めた。


 「……動いてる」


 こよいは久遠(くおん)の手元を覗き込んだ。

 目録(もくろく)(ページ)に描かれた路線図——薄墨(うすずみ)で引かれた線が、微かに震えていた。革の表紙を押さえる久遠(くおん)の指先にも、その振動(しんどう)が伝わっているのだろう。爪の先が白くなるほど、強く紙面を押さえていた。


 震えではない。

 線そのものが、移動している。


 東西にまっすぐ伸びていたはずの鉄路(てつろ)が、ゆっくりと南へ湾曲(わんきょく)していく。

 まるで見えない指が(ページ)の上で線を引き直しているように、(すみ)軌跡(きせき)が曲がり、伸び、元の位置から離れていった。


 「……路線が変わってる」


 こよいが息を詰めた。


 「路線じゃない。座標(ざひょう)だ」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)の焦点を(ページ)に落としたまま言った。


 「観測者(かんそくしゃ)経蔵(きょうぞう)側から座標軸(ざひょうじく)を操作してやがる。俺たちが辿(たど)っている経路そのものを、存在しない方角へ()らそうとしてる」


 (すみ)の線がまた一本、右端から左端へと移った。

 ()を描きながら(ページ)の外縁へ押し出されていく。

 その動きは滑らかで、抵抗の痕跡(こんせき)がなかった。


 久遠(くおん)は唇を()んだ。


 「一方的だ。こっちから書き足しても、奴らの座標(ざひょう)系が上書きする。目録(もくろく)は元々、経蔵(きょうぞう)の複写本だからな。本体側から制御されれば、写しは従うしかない」


 こよいは(ページ)に指を伸ばした。

 移動し続ける線の一本に、そっと触れた。


 熱い。


 指先に伝わったのは(すみ)の冷たさではなく、皮膚を刺すような熱だった。

 こよいは思わず指を引いたが、すぐにもう一度触れた。


 熱は脈打っていた。

 不規則で、苦しげな鼓動(こどう)

 線が自分の意志で動いているのではない。

 動かされることに、(あらが)っている。


 「久遠(くおん)。この線、嫌がってる」


 「嫌がってる?」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)を上げた。


 「(すみ)が熱い。押されてるのに、戻ろうとしてる。根の方に引っ張られてるみたいに」


 久遠(くおん)は目を細め、義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)(ページ)の奥に沈めた。

 しばらく黙った後、低く(うな)った。


 「……名前の根だ。路線図の下に、根脈(こんみゃく)が通ってる。観測者(かんそくしゃ)座標(ざひょう)を動かそうとしても、根が元の位置を記憶してる。だから(すみ)が抵抗する」


 「じゃあ、線は完全には動かせないんだ」


 「今のところはな。だが根の記憶にも限界がある。長く引っ張られ続ければ、いずれ千切れる」


 あさひが座席から窓の外に目を向けたまま、口を開いた。


 「自分で線を引けないのか」


 久遠(くおん)は首を横に振った。


 「無理だ。目録(もくろく)は、俺が記憶から書き戻してるだけの写しだ。自分で何かを弾く力なんてない。……だが、(ページ)の下の根が違う。偽の座標(ざひょう)を描き足しても、根が記憶してる本来の位置とぶつかって、(すみ)定着(ていちゃく)しない。根が受けつけないから、書いた瞬間に蒸発(じょうはつ)する」


 「書くんじゃなくて、根に頼むのは」


 こよいが言った。

 自分でも驚くほど自然に、言葉が出た。


 「根が元の位置を覚えてるなら、根に道を教えてもらえばいい。観測者(かんそくしゃ)が引いた線じゃなくて、根が覚えてる線を辿(たど)れば」


 久遠(くおん)目録(もくろく)を見下ろした。

 (ページ)の上で、(すみ)の線がまた一本、南へ()を描き始めている。

 だがその線の下に、かすかに金色の筋が透けて見えた。


 根の記憶。


 観測者(かんそくしゃ)が消そうとしている元の経路が、金色の残像(ざんぞう)として(ページ)の奥に残っている。


 「……見える。義眼(ぎがん)なら読める」


 久遠(くおん)(ページ)に額が触れるほど近づき、金色の筋を追い始めた。


 「観測者(かんそくしゃ)が描き直した線の下に、元の座標(ざひょう)が残ってる。薄いが、ある。根が保持してる本来の路線図だ」


 こよいも(ページ)に目を()らした。(すみ)の黒い線の奥、紙の繊維(せんい)の中に、糸のように細い金色が見える。息を止めなければ見失うほど、かすかな光だった。けれど確かにそこにある。線路を敷いた者たちの記憶が、根を通じて紙の奥で脈打っていた。


 あさひが立ち上がり、窓の外を見た。

 (きり)の中を列車(れっしゃ)は走り続けている。

 線路の下の地面に、かすかな金色の光が走るのが見えた。


 根が、道を示している。


 「読めるなら、それで行く」


 あさひが短く言った。


 久遠(くおん)目録(もくろく)を抱え直し、革の表紙が胸に触れる位置まで引き寄せて、金色の筋を指で追いながら(うなず)いた。

 観測者(かんそくしゃ)の墨線は依然として動き続けている。

 だがその下で、根の記憶は消えずに光っていた。


 こよいは巾着(きんちゃく)に手を置いた。

 中の神々が、(ページ)の金色に応えるように温もりを返した。


 消されかけた線の下に、まだ道がある。

 観測者(かんそくしゃ)(すみ)がどれだけ塗り重ねても、根の記憶は消えない。紙の奥で、金色の筋が静かに脈打ち続けている。墨線が南へ()を描くたびに、金色の筋はわずかに明るさを増し、元の経路を主張していた。

 その熱を、指先で確かめた。


 おたまが目録の端を踏むと、墨線は猫の重みを避けてさらに南へ曲がった。だが紙の奥の金線は動かず、肉球の真下で脈打つ。こよいは触覚、久遠(くおん)は義眼、おたまは重みで同じ本来線を確かめた。


 紙上では根の記憶を読むだけに留める。大地そのものが動く場面では、この読み方だけでは足りない。その限界も目録の余白へ記した。

 記録の限界を知ることは、敗北ではない。何ができて何ができないかを見極めることが、次の一手を確かにする。久遠(くおん)の筆は、迷わなかった。

 紙の上で読めることには、限りがある。大地そのものが動くとき、記録は追いつかない。その限界を知ることもまた、久遠(くおん)にとっては一つの記録だった。できないことを見極める者だけが、できることを確かにやり遂げられる。限界を記した頁もまた、次の誰かの道標になる——そう信じて、久遠(くおん)は筆を止めなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。