↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第14章 風の残像

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
417/438

第417話 返らぬ道

挿絵(By みてみん)


返らぬ道は、音で分かる。

 足音が、背中側へ落ちていかない。振り返っても、残響(ざんきょう)が戻ってこない。


 こよいは、立ち止まった。石畳(いしだたみ)の上に置いた足裏が、ほんの少しだけ軽い。地面と靴底の間から、何かが抜け落ちているような感覚。重力が薄い場所に立っているのではなく、地面そのものが背後から順に()がれている。空気の湿度まで変わっていた。前方にはまだ(きり)水気(みずけ)があるのに、背後からは乾いた虚無(きょむ)の匂いが忍び寄っている。


 「……変だ」


 あさひが前を見たまま言った。大剣の(つか)に手を添え、歩幅を縮めている。獣が危険を感じ取ったときの歩き方だった。


 久遠(くおん)目録(もくろく)を閉じ、指先で空を()でた。義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)が、うっすらと道の輪郭(りんかく)を照らす。光が背後に向かって伸びた瞬間、途中で消えた。光が届く先が、なくなっている。


 「戻れない、ってこと?」


 こよいが訊いた。声が小さくなっていた。


 久遠(くおん)は答える代わりに、一本の小石を拾った。(てのひら)の上で一度だけ転がし、後ろへ放る。小石は、落ちる音を立てなかった。消えた。(きり)に吸われたのではない。小石が着地するはずの場所が、もう存在していなかった。三人は息を()み、小石が消えた虚空(こくう)を見つめた。


 おたまが背後へ戻ろうとし、前脚を置く直前で身を引いた。猫には道の消える境が見えているらしい。小鈴を鳴らさず、三人の足跡のいちばん後ろへ座る。そこから先を退路として数えないことが、唯一の警告だった。


 「……道が、()がれてる」


 久遠(くおん)が息と一緒に言った。


 「俺たちが踏んだ場所から順に、記録(きろく)剥離(はくり)していく。戻ろうとしても、もう『そこ』が無い」


 こよいは(のど)の奥が冷えるのを感取した。巾着(きんちゃく)の中の名前たちが一斉に縮こまるように脈動(みゃくどう)を弱めた。(つば)を飲み込もうとしたが、(のど)が乾いて動かない。


 「そんな……」


 あさひが振り返る。そこには、(きり)だけがあった。線路も、道標(みちしるべ)も、来たはずの道も。白い(きり)が、切り取られた紙の端のように、まっすぐな(ふち)を見せて(たたず)んでいた。


 「……追い返しだ。観測者(かんそくしゃ)のやり口」


 あさひの声に怒りはなかった。ただ、事実を()み砕くような冷静さがあった。

 あさひは短く言い、剣の(つか)を叩いた。(はがね)の乾いた(おと)が、前方にだけ響いた。


 「道を消す。選択肢を減らす。最後は、意志ごと固定(こてい)する」


 久遠(くおん)が唇を(ゆが)めた。


 「……だから、逆だ。選択肢が消える前に、選び切る」


 こよいは巾着(きんちゃく)を握り、神々の温もりを確かめた。温もりは、まだ消えていない。名前たちの脈動(みゃくどう)が、(てのひら)の中で小さく鼓動(こどう)を刻んでいる。


 「……ぼくたち、どこへ向かってるの」


 久遠(くおん)は前を指した。(きり)の奥に、微かな()風鈴(ふうりん)でも行灯(あんどん)でもない。紙が()れるような、薄い光。近づいているのか遠ざかっているのか、距離すらも判別がつかなかった。


 「返れないなら、進むだけだ」


 あさひが言った。


 こよいは、小さく(うなず)いた。戻れない道は怖い。でも戻れる道だけを選び続けたら、いつまでもここで止まる。


 こよいは足元を見た。石畳(いしだたみ)の継ぎ目に、白い粉が溜まっている。砂でも灰でもない。指先で触れると、紙の繊維(せんい)みたいにほどけた。粉は指先の温度で微かに収縮し、すぐに崩れた。


 「……道の記録(きろく)が、()がれている」


 久遠(くおん)(うなず)いた。


 「足跡も消える。俺たちがここに居た(あかし)も、戻れない(あかし)も」


 「(あかし)まで……」


 こよいは(のど)の奥で言葉を()んだ。それでも、巾着(きんちゃく)の温もりだけは残っているから、歩ける。名前たちの体温が、こよいの(てのひら)に小さな(あかし)を刻み続けている。


 「……行こう」


 こよいが短く言った。


 (きり)の中で、三人の足音が重なり、前へ伸びた。背中側には、もう何も落ちない。()は近づくほど、冷たさを増した。明るいのに、温度がない。観測者(かんそくしゃ)()かもしれない。

 それでも、行く。


 あさひが、こよいの歩幅に合わせるように少しだけ速度を落とした。


 「怖いなら、声を出せ」


 「……声は、拾われるんじゃ」


 「拾わせ方を選べ。黙って震えるより、ずっといい」


 こよいは一度だけ息を吸い、短く言った。


 「……ぼくは、進む」


 言葉は(きり)に吸われた。でも、胸の()は消えなかった。


 背中の側の道は、消えたのではなかった。ただ、もう無いのだ。消されたのでもなく、崩れたのでもなく、最初からそこには何も敷かれていなかったかのように、(きり)だけが静かに(たたず)んでいた。

 線路の軌条(きじょう)が、どこかで(きり)の中へ曲がっている。その先にあるはずの駅も、枕木(まくらぎ)も、()びた(くぎ)の一本さえも見えない。


 もう前にしかない。


 それでも、前には三人と一匹ぶんの場所が残っていた。


 怖いと口にしたこよいの声は、背後へ落ちず前へ届いた。あさひが短く返事をし、久遠(くおん)も足音を重ねる。失われた退路の代わりに、互いの応答が今いる場所を固定した。

 こよいは巾着(きんちゃく)の温もりを胸に押し当て、(きり)の中の薄い光へ向かって、次の一歩を踏み出した。

 石畳(いしだたみ)が足の下で微かに(きし)み、その音だけが、三人がまだここに在ることの(あかし)として、前方の闇へと落ちていった。

 在ることの(あかし)は、こんなにも小さな(きし)みひとつだった。それでも、その音が響くかぎり、三人はまだ消えていない。闇は深い。だが、足音は前へ落ちていく。

 足音が響くかぎり、道は続く。こよいは前を向き、闇の奥へもう一歩を落とした。消えないための、確かな一歩だった。

 消えないための一歩を、こよいは今日も、確かに踏み出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。