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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第14章 風の残像

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409/438

第409話 記録の墓場

挿絵(By みてみん)


(はしら)の森だった。


 石でも木でもない。記録(きろく)が固まって(はしら)になっていた。一本一本に文字が刻まれている。風が吹き抜けるたびに、文字同士が()れ合い、微かな声のような音を立てた。


 「帰りたい」「帰りたかった」


 声ではなかった。文字が振動しているだけだった。けれど、こよいの耳にはそう聞こえた。


 (はしら)は地平線の向こうまで並んでいた。天井はなく、上は(きり)で閉ざされている。(きり)の中から光の粒子(りゅうし)が降り注ぎ、(はしら)の表面に触れると(はじ)けて消えた。


 「記録(きろく)の墓場だ」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)を凝らしながら言った。


 「(はしら)に刻まれているのは、神々の末期(まつご)の言葉だ。観測者(かんそくしゃ)がここで霊核(れいかく)を解体した。名前から感情を切り離し、無機質な記録(きろく)に変えた。(はしら)に残っているのは、切り離された後の(から)だ」


 こよいは一番近くの(はしら)に手を伸ばした。


 おたまが先に柱の根元を()ぎ、小鈴を鳴らさず身を伏せた。猫の(ひげ)に透明な測定糸が一本触れ、過去を引き出せないまま弾かれる。名も記録も持たないおたまは網に読まれないが、その姿で糸の位置を三人へ教えられた。


 冷たかった。氷よりも冷たい。触れた指先から体温が奪われていく。だが、その冷たさの奥に、微かな鼓動(こどう)があった。脈ではない。もっと細い。最後まで消えなかった何かが、(はしら)の芯に一粒だけ残っている。


 誰かを想う心の、最後の痕跡(こんせき)だった。


 こよいの指先が温もりを伝えた。(はしら)の表面が、触れた場所だけわずかに色を取り戻す。刻まれた文字が淡い金色に光った。一瞬だけ。すぐに灰色に戻った。(ことわり)の冷気が温もりを押し潰した。


 手を離した。指先が白い。


 (はしら)(はしら)のあいだに、透明な糸が張られていた。幾重にも、(あみ)のように。


 「測定(そくてい)(あみ)だ」


 久遠(くおん)が立ち止まった。


 「触れた者の記憶(きおく)を引き出す装置だ。糸に掛かると、こちら側の記憶(きおく)が抽出される」


 こよいは一歩踏み出すたびに、糸が肌を(かす)めるのを感じた。過去の記憶(きおく)が引きずり出されそうになる。仲間との食事、神々の笑顔、雨の日の温もり。それらが糸に絡め取られ、(はしら)に刻まれる「新たな末期(まつご)の言葉」になりかける。


 歯を食いしばった。巾着(きんちゃく)を押さえ、中の名前たちが(おび)えるのを(てのひら)(なだ)めながら、足を進めた。


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)(はしら)刻印(こくいん)に当てていた。文字の下に隠された二重三重の暗号が浮かび上がり、瞳の中で解読されていく。義眼(ぎがん)周縁(しゅうえん)から(すす)のような涙が一筋、(ほお)を伝った。


 それでも目を()らさなかった。


 「裁断(さいだん)の手順が記録(きろく)されている。感情の切り離し方。名前の分解方法。全部、この(はしら)に刻まれている」


 声が低く震えた。研究者としての興奮と、人間としての嫌悪(けんお)が入り混じっていた。


 「解体の手順を知れば、復元(ふくげん)の手順も分かる。これは(かぎ)だ」


 こよいが訊いた。


 「あの子たちの笑顔も、切り離されたの」


 「切り離された。だが——」


 久遠(くおん)(ページ)から顔を上げた。


 「捨てられたとは限らない。切り離されたものが、どこかに保管されている可能性がある。この手順書にはそうした記述がある」


 あさひは(はしら)の林の最奥を見ていた。


 他とは違う一本の(はしら)が、微かに金色の光を帯びている。末期(まつご)の嘆きではなく、別の何かが刻まれているように見えた。


 「あの(はしら)だ」


 あさひが(あご)で示した。


 「光ってるのが一本だけある。あそこまで行く」


 こよいは巾着(きんちゃく)を握り直した。測定(そくてい)(あみ)が密になっている。奥に進むほど糸が細く、数が増えた。


 あさひが先に立った。影を抜けたところで布を巻き直した剣で、糸を横に払う。糸は切れず、包みに巻き付いた。あさひはそれを振り払い、次の糸を払い、三人の通る道を一本だけ開けた。


 金色の(はしら)の前に立った。


 刻まれていたのは末期(まつご)の言葉ではなかった。


 「読み方」だった。


 この墓場の記録(きろく)を、どう読めば名前を取り戻せるか。解体された記録(きろく)を、どう組み直せば元の姿に戻せるか。それが、金色の文字で刻まれていた。


 久遠(くおん)が息を()んだ。義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)が強まり、文字を一行ずつ焼き付けていく。


 「……残した奴がいる。観測者(かんそくしゃ)の中に、解放の手順を残した奴がいた」


 (はしら)の森に、末期(まつご)の声が()れ合って響いていた。「帰りたかった」という声の中に、こよいは別の声を聞いた。


 「読め」


 それは命令ではなかった。祈りだった。この記録(きろく)を読むことが、ここに閉じ込められた名前たちを解放する最初の一歩になる。金色の(はしら)を刻んだ誰かは、それを知っていた。


 こよいは巾着(きんちゃく)の温もりを確かめた。名前たちが、金色の文字に向かって静かに脈打っている。布越しに伝わる脈動(みゃくどう)は、(はしら)の金色の文字と同じ(はく)を刻んでいた。(きり)の中から降る光の粒子(りゅうし)が、金色の(はしら)の周囲だけは(はじ)けずに吸い込まれていく。


 読むことが(かぎ)だった。


 ただし、読めば観測者にも読者の位置が伝わる。金色の柱の奥で、別の糸が一本だけ震え始めた。久遠(くおん)は必要な手順だけを義眼へ焼き付け、柱から目を離した。鍵を得た代わりに、こちらも見つかったのだ。

 読むことは、見られること。それでも読まなければ、道は分からない。久遠(くおん)は危険を承知で、震える一本の糸の先へ、義眼(ぎがん)の光を差し向けた。金色の柱の奥で、何かがこちらを見返した気がした。

 見返してくる何かの視線を、久遠(くおん)()らさなかった。

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