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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第13章 南の方位

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第390話 町の揺らぎ

挿絵(By みてみん)


町が見えた。


 砂丘(さきゅう)の向こう、低い空の下に屋根が三つ並んでいる。煙突(えんとつ)から白い煙が上がり、塀(へい)の隙間に洗い物が干されていた。人が暮らしている町の匂いがする。


 こよいは目を凝(こ)らした。


 町が消えた。


 瞬きひとつ。それだけの間に、砂丘(さきゅう)の向こうには何もなくなった。乾いた砂の平原が広がっているだけ。屋根も煙も塀(へい)もない。


 もう一度、目を開く。


 町が戻った。今度は屋根が五つに増えている。さっきはなかった井戸(いど)の囲いが通りの端に見え、その脇に木箱が積まれていた。


 「揺(ゆ)らいでる」


 久遠(くおん)が義眼(ぎがん)を光らせた。蒼い光が砂丘(さきゅう)の稜線(りょうせん)越しに町の輪郭をなぞる。


 「座標(ざひょう)が二重になっている。在る町と無い町が、同じ場所で重なってる」


 目を開けているときと閉じるときで、町が違う。開けていれば屋根五つ。閉じた瞬間に像が途切れ、再び開けると屋根三つに戻る。二つの町がまぶたの裏表で入れ替わっている。


 「どっちが本物なの」


 「どっちも本物だ」


 久遠(くおん)が即答した。義眼(ぎがん)の蒼光(そうこう)が町の輪郭に合わせて明滅(めいめつ)し、二つの像を交互に捉(とら)えている。


 「町の名前が半分だけ残ってる。上の二文字に対応する町と、消えた下の二文字の残像(ざんぞう)が交互に現れてるんだ。漂白(ひょうはく)が途中で止まっている。消しかけの名前が町を二つに割った」


 三人は砂丘(さきゅう)を越えた。砂を踏む足音が、一歩ごとに質を変えた。乾いた砂の音から、踏み固められた土の音へ。町が近い。


 近づくほど、揺(ゆ)らぎが肌に触れた。風が吹くたびに町の姿が入れ替わる。木造の家並みが見えたと思えば、次の瞬間には石壁(いしかべ)の建物に変わる。通りの幅が縮んだり広がったりする。


 木の町と石の町。同じ座標(ざひょう)に、二つの町が息をしている。


 「匂いが違う」


 こよいが足を止めた。干し草の匂い。石灰(いしばい)の匂い。風向きではなく、町の切り替わりに合わせて交互に鼻をつく。どちらの町にも、誰かが住んでいた痕(あと)がある。


 巾着(きんちゃく)の中の神々が、揺(ゆ)らぎに合わせて明滅(めいめつ)した。温かさと冷たさが交互に手のひらに触れる。


 通りの入口に立った。木の町のとき、奥に影(かげ)が見えた。人の形。直立している。動かない。目を凝(こ)らした瞬間、石の町に替わった。通りは空だった。石畳(いしだたみ)の上を風だけが走っていく。


 「今、人がいた」


 「人じゃない」


 久遠(くおん)が首を振った。


 「名前の残像(ざんぞう)だ。消されかけた名が、まだ人の形を保ってる」


 木の町に戻る。影(かげ)がまだ立っていた。通りの奥、井戸(いど)の脇にひとつ。軒先(のきさき)にひとつ。どちらも動かない。町の揺(ゆ)らぎと一緒に明滅(めいめつ)している。


 おたまが通りへ一歩入ると、木の町では乾いた土に小さな足跡がつき、石の町では何も残らなかった。猫自身は消えず、町だけが足跡を受け取ったり拒んだりする。おたまは二つの町の境を往復し、同じ場所へ重ならない二列の足跡を刻んだ。


 「どちらかが偽物なら、こいつの足跡も片方にしか残らないはずだ」


 久遠(くおん)は二列を目録(もくろく)へ写した。木の町にも石の町にも、人が暮らした時間がある。消された下二文字を推測で埋めれば、片方をまた殺すことになる。経蔵(きょうぞう)の記録が必要な理由が、地面に並ぶ足跡として残った。


 石の町に切り替わった。影(かげ)は消え、代わりに地面に薄い染みが見えた。足跡(あしあと)のような形。人が立っていた場所の記憶(きおく)が、石畳(いしだたみ)に染みついている。


 久遠(くおん)が目録(もくろく)を開いた。木の町のとき文字が浮かぶ。石の町では白紙に戻る。揺(ゆ)らぎに合わせて目録(もくろく)の中身までが明滅(めいめつ)していた。


 「上半分だけ読める。『さ』と『き』。四文字の名の上二文字だ。残った二文字が木の町を支え、消えた二文字の残響(ざんきょう)が石の町を映している。どちらも完全じゃない。だから揺(ゆ)らぐ」


 こよいは通りの真ん中で足を止めた。


 木の町。頭上を見上げると、軒(のき)から干し柿(がき)が吊るされていた。糸が切れかけて揺(ゆ)れている。誰かが干して、誰かが食べるはずだった柿。


 石の町に替わった。干し柿(がき)は消え、軒(のき)から石灰(いしばい)の飾りが垂れていた。花のような彫(ほ)り模様がある。まったく違う暮らしの跡。


 ひとつの場所に、ふたつの暮らしが重なっている。空気の温度まで切り替わる。木の町は温かく、石の町は冷たい。こよいの頬が、交互に異なる季節に撫でられていた。


 「……かわいそうだ」


 こよいが呟(つぶや)いた。


 「どっちも本当の町だったのに。名前が半分消えたせいで、どっちにも完全にはなれなくなってる」


 久遠(くおん)は目録(もくろく)を閉じた。


 「行くぞ。名前が完全に消えるか完全に戻るか、どちらかでしかこの町は安定しない」


 あさひが振り返った。通りの奥で、影(かげ)がまだ立っている。木の町のとき、その影(かげ)がわずかに首を傾げた。


 「……待ってんだな。どっちの自分が本物か」


 三人は町を出た。


 砂丘(さきゅう)の上から振り返ると、町はまだ揺(ゆ)らいでいた。屋根の数が変わり、壁の材質が変わり、煙が出たり消えたりしている。半分の名前に支えられた、半分の町。


 「『さき』のあとに続く二文字が見つかれば、あの町はひとつに戻れる」


 久遠(くおん)が前を向いたまま答えた。


 「経蔵(きょうぞう)に近づけば、消された名の記録(きろく)がある。そこで探す」


 町の揺(ゆ)らぎが、背中の遠くで続いていた。木と石。煙と静寂。二つの町が、名前の帰りを待っている。こよいは巾着(きんちゃく)を握り直した。布の中の神々が、遠ざかる町に向かって微かに脈打っていた。


 おたまの前脚には、土の色と石灰(いしばい)の白が片方ずつ付いていた。こよいは拭わなかった。経蔵で下二文字を見つけるまで、二つとも本物だった証を連れていく。

 二つの色は、経蔵(きょうぞう)へ着くまで、猫の足に残り続けるだろう。本物であった、二つの証として。

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