↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第11章 海図の響き

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
320/344

第320話 線が曲がる

挿絵(By みてみん)


三百歩の暗闇を渡り切った先、次の灯の側の小さな停車場に、霧列車(きりれっしゃ)は待っていた。乗るべき者の前に現れる列車は、降りた者を拾う場所も知っている。三人と一匹が座席に落ち着いて、間もなくだった。


 目録(もくろく)(ページ)が勝手にめくれた。


 久遠(くおん)が触れていないのに、紙が風もなく動く。港で写し取った海図(かいず)の線が、(ページ)の上で(うごめ)いていた。


 三本の線。北と、西と、下。港で写し取ったときは真っ直ぐだった。その三本が、曲がり始めている。


 「おい、見ろ」


 久遠(くおん)が声を低くした。義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)(ページ)に落とす。光が線をなぞると、曲がりの角度が数字になって浮かび上がった。


 「北の線が七度東に折れている。西の線は十二度南に。下の線は……上がっている」


 「上がる?」


 こよいが(ひざ)の上の目録(もくろく)を覗き込んだ。


 確かに、下へ(もぐ)っていたはずの三本目の線が、途中から角度を変えて地表に近づいていた。まっすぐ下に降りていた線が、()を描いて水平に近づいている。


 「名前が道を()れてる」

 こよいの声が上擦(うわず)った。(ページ)の上の線が、見ている間にもじわりと角度を変えていく。


 久遠(くおん)(ページ)を押さえた。指の下で線が動くのが分かる。紙が微かに温かい。


 「違う。()れさせられている」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)を閉じ、もう片方の目だけで(ページ)を見た。蒼光(そうこう)を消すと、線の下に別の色が見えた。灰色の細い筋。海図(かいず)の線に沿って、(かげ)のように貼りついている。


 「これは——」


 久遠(くおん)が息を()んだ。


 「観測者(かんそくしゃ)誘導線(ゆうどうせん)だ。名前の通り道に沿って、別の座標(ざひょう)上書(うわが)きしている。名前が元いた場所に帰ろうとすると、この灰色の線に引っかかって、別の方角に流される」


 あさひが座席から身を乗り出した。


 「どこに流してるんだ」


 「分からない。だが、三本とも同じ方向に曲げられている。つまり——」


 久遠(くおん)(ページ)の上で指を動かし、三本の曲線の先端を結んだ。


 一点に集まっている。


 「一箇所に集められている。散り散りに飛んだ名前を、もう一度ひとつの場所に寄せ集めようとしている」


 こよいの胸が冷えた。


 経蔵(きょうぞう)凍結(とうけつ)されていた名前を、(すみ)井戸(いど)でようやく満たし直したのに。写本(しゃほん)(ページ)(いかり)にして、名前の実体は光の糸となり、元いた場所へ向かって世界を渡っていく——海図(かいず)の線は、その糸の軌跡(きせき)だ。五十一の名前の糸が、途中で捕まえ直されようとしている。


 「集めてどうするの」


 「凍結(とうけつ)し直すか、消すか。どちらにしても、名前は元の場所に戻れなくなる。……写本(しゃほん)との糸も、そのとき切れる。切れた(ページ)は、ただの紙に戻る」


 巾着(きんちゃく)が冷たく脈打った。


 雨の神が(おび)えている。兄の名前も、あの五十一の中にいる。曲げられた線の先に、兄が引きずり込まれようとしている。


 こよいは巾着(きんちゃく)を握り締めた。布の中で雨の神が震えている。小さな神の恐怖が、(てのひら)を通じて骨にまで伝わってきた。


 「直せないの。線を、元に戻すことは」


 久遠(くおん)が首を横に振った。


 「海図(かいず)の線は名前の意志で引かれている。名前が自分で元の場所を目指して飛んでいる軌跡(きせき)だ。着地(ちゃくち)する前の名前を呼び寄せることはできても、飛んでいる最中の軌道(きどう)を外から曲げることはできない」


 「じゃあ、名前に教えることは」


 「何を」


 「道が曲げられてるって。本当の道を、名前に教えてやることはできないの」


 久遠(くおん)が黙った。


 義眼(ぎがん)蒼光(そうこう)が揺れ、青い光が(ページ)の紙を()かして裏まで届いた。(ページ)の上の線を照らした。灰色の誘導線(ゆうどうせん)がじわじわと太くなっている。時間が経つほど、観測者(かんそくしゃ)(わな)は強くなる。


 あさひが布包みの剣の(つか)を、布越しに叩いた。くぐもった音が車内に響く。


 「教えるんなら、声だろう。呼ぶしかねえんだろう」


 こよいは(ページ)を見つめた。


 三本の線が、ゆっくりと曲がり続けている。一柱(ひとはしら)ずつ、名前が本来の道から外れていく。経蔵(きょうぞう)で何千年も待ち続けた名前が、帰り道の途中で(さら)われようとしている。


 「まだ呼べない。呼べば観測者(かんそくしゃ)にこちらの位置が——」


 「位置なんかとっくにバレてるだろう」


 あさひが久遠(くおん)の言葉を(さえぎ)った。


 「こいつらが線を曲げてるってことは、俺たちが名前を放ったことも知ってるってことだ。隠れてるつもりでも、もう見つかってる」


 久遠(くおん)は口を(つぐ)んだ。反論がなかった。


 列車が(きし)んだ。車輪が軌道(きどう)の継ぎ目を越え、車体が大きく(かし)ぐ。窓の外の(きり)が一瞬だけ裂け、金色の光が横切っていった。


 名前だ。


 今まさに、曲げられた線の上を飛んでいく名前が、列車の横を通過していった。


 こよいは窓に手を当てた。硝子(ガラス)越しに、光の残像(ざんぞう)が目に焼きついている。


 あの光の中に、雨の神の兄がいるのだろうか。「先に行って、道を作っておく」——墨の井戸で、無言のまま置いていった約束。その道が今、誰かの手で曲げられている。


 巾着(きんちゃく)が温かくなった。冷えた脈動が、少しだけ戻る。


 雨の神が兄の気配を感じ取ったのだ。近い。まだ間に合う距離にいる。


 こよいは目録(もくろく)(ページ)に目を戻した。曲がった線が、まだ完全には折れ切っていない。


 まだ、()を描いている段階だ。()が折れ(かど)になる前に、名前を呼び戻せば——。


 こよいは唇を結んだ。


 まだ早い。でも、遅すぎてもいけない。


 おたまが、目録(もくろく)(ページ)の端に(あご)を載せた。曲がっていく線を、猫の瞳が追う。瞳の奥で、灰色の誘導線(ゆうどうせん)だけが、なぜか映っていなかった。猫の目は、名前の側しか見ないのだ。


 北の線が、いちばん早く折れていた。()(かど)になる前に呼び戻せば——場所は、その線の真下に決まっている。こよいは写本(しゃほん)の束に手を当てた。紙は温かかった。名前たちはまだ(ページ)に繋がっている。この温もりが冷めないうちに、北の線の下へ行く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。