第032話 近づく光
遠くで点滅していた光が、少しずつ大きくなる。
観測者。本隊。
こよいは、歩みを止めなかった。
水路の神を届けなければいけない。
逃げていたら、いつまでも届けられない。
「……ちかづいてくる」
水路の神の声が、震えていた。
「……まえから」
前から、光が来る。
分かっている。でも、他に道がない。
◇
森の中を歩いた。
暗い。木々が空を覆っている。
月明かりも、ほとんど届かない。
観測者の光だけが、前方を照らしている。
白い光。冷たい光。
どんどん近づいてくる。
「……どうする?」
こよいは、巾着に聞いた。
「……にげたほうが」
水路の神の声。
「……でも、どっちに」
どっちに逃げる?
前には観測者。
後ろに戻っても、水路の神を届けられない。
「……進む」
こよいは、言った。
「……にげても、だめ」
一歩、また一歩。
光に向かって、歩いた。
靴底に踏み込む枯葉が、湿った音を立てた。心臓が早鐘を打っているのに、足だけは止まらなかった。
◇
その時だった。
左側が、光った。
「っ」
こよいは、足を止めた。
左にも、光。
木々の間から、点滅する光が見える。
一つ、二つ、三つ。
「……ひだり」
水路の神の声が、かすれた。
「……ひだりにも、いる」
左にも観測者。
いつの間に。
「……」
こよいは、右を見た。
光。
右にも、光が見える。
点滅している。近づいてくる。
「……みぎにも」
水路の神の声。
前にも。左にも。右にも。
観測者がいる。
「……後ろは」
こよいは、振り返った。
光。
後ろにも、光が点滅していた。
いつの間に、回り込まれた。
こよいは踵を引いた。枯れ枝が靴底で小さく折れ、その音に四方の光が同時に止まる。走れば、もっと大きな音を立てる。こよいは闇雲に逃げる代わりに巾着を胸へ押し当て、光の輪が縮む速さと間隔を見比べた。
「……うしろも」
水路の神の声が、震えた。
「……かこまれた」
◇
囲まれた。
心臓が、胸の中で暴れている。耳の奥で、血流の音が轟いている。指先が冷たい。足の感覚が薄れていく。
こよいは、その場で立ち止まった。
周りを見回す。
前に、光。
後ろに、光。
左に、光。
右に、光。
どこを見ても、白い光が点滅している。
点滅の周期が、同じだ。一斉に明いて、一斉に消える。呼吸の合わさったような、不気味な同期。
逃げ場が、ない。
「……」
声が、出なかった。
観測者の光が、円を描いている。
こよいを中心にして、包囲している。
十体以上。いや、もっとある。
「……にげられない」
水路の神の声。
「……どこにも」
巾着が、凍りついたように冷たくなった。
水路の神の恐怖が、伝わってくる。
◇
「測定対象を捕捉」
声が聞こえた。
無機質な声。機械のような声。
観測者の声。
「固定を準備」
別の声。同じ抑揚。同じ冷たさ。どの声も区別がつかない。まるで一つの意思が、複数の口を使って喋っているようだった。
「包囲を縮小」
光が、動いた。
ゆっくりと、円が縮まっていく。
観測者たちが、近づいてくる。
こよいは、巾着を握りしめた。
指の節が白くなるほど力を込めた。布の目の粗さが、掌に食い込む。
手が震えている。
足が震えている。
しおりの顔が、浮かんだ。
観測者に囲まれた、あの時。
固定されていく、しおりの姿。
同じだ。
今、同じ状況になっている。
「……水路」
こよいは、かすれた声で言った。
「……こよい」
水路の神の声も、震えていた。
◇
光が、どんどん近づいてくる。
円が、どんどん小さくなっていく。
二十メートル。
十五メートル。
十メートル。
「固定を準備」
観測者の声が、複数響いた。
「対象を確定」
「測定を開始」
こよいは、動けなかった。
足が、地面に張り付いたように動かない。
どこに逃げても、観測者がいる。
逃げ場が、ない。
本当に、ない。
「……どうすれば」
声が、震えた。
「……どうすれば、いい」
返事は、なかった。
水路の神も、答えられない。
観測者の光が、すぐそこまで来ている。
五メートル。
四メートル。
「……」
しおりが言っていた。
「測られたら、固定される」
「動けなくなる」
「でも、消えない」
固定。
石像のように、動けなくなる。
永遠に、そのままで。
呼吸が、浅くなっていた。吸っても、肺に空気が入ってこない。観測者の光が、地面の苔まで白く染めている。自分の影が、光に食われていく。ここで動けなくなったら、水路の神も一緒に固定されてしまう。
「……いやだ」
こよいは、呟いた。
「……届けてないんだ」
「もう、おしまいだ」
◇
巾着が、急に熱くなった。
「っ」
こよいは、胸元を押さえた。
凍りついていた巾着が、急に熱を持った。
中で、何かが蠢いている。
「……水路?」
「……」
水路の神が、何かをしようとしている。
巾着の中で、何かが起きている。
「固定を開始」
観測者の声。
光が、さらに近づいた。
三メートル。
「……こよい」
水路の神の声が、聞こえた。
今までと違う声。
強い声。
「……つかまって」
その瞬間、巾着が眩しく光った。
白い光が変わった。
巾着から溢れ出した光が、観測者の白を薄め、灰色へと染めていく。周囲の光が一つ、また一つと色を失い、何もない空のような灰色に変わっていく。
「異常を検知」
観測者の声に、初めて揺らぎが混じった。
こよいは巾着を胸に押し付けた。布を隔てて伝わる微かな脈動。水路の神がまだそこにいる。灰色の光が押し寄せ、包囲の輪に亀裂が走る。逃げ場はなかったはずなのに、目の前の光だけが、ゆらりと退いた。




