第023話 観測者の目的
痛みで、目が覚めた。
額がずきずきする。左腕も、まだ痛い。でも、昨日よりはましだった。
洞窟の中は、薄暗い。
入口から、弱い光が漏れている。昼か。
「起きたか」
声がした。
救助者の少年が、入口近くに座っていた。
何かを削っている。木の棒を、ナイフで整えている。
「……おはよう」
こよいの声は、まだかすれていた。
「水、そこにある」
少年は、振り返りもせずに言った。
枕元に、竹筒が置いてある。
こよいは、それを手に取って飲んだ。
冷たい水が、喉を潤していく。
「傷の具合は」
「……まだ、痛い」
「当たり前だ。あんなところから転げ落ちたんだろう」
少年は、ナイフを止めた。
こよいの方を見た。
油灯の光が、顔の半分を照らしている。厳しい顔。でも、目は穏やかだった。
「食えるか」
「……うん」
「なら、食え」
干し餅と、干し肉が差し出された。
こよいは、硬い餅を少しずつ齧った。素朴な甘みが広がる。
体が、少しずつ力を取り戻していく。
左腕をそっと動かしてみた。関節がきしむが、骨は折れていない。額の傷も、昨日よりは痛みが遠い。包帯の下から微かに薬草の匂いがした。この人が、手当てもしてくれたのだ。
食べ終わると、こよいは少年を見つめた。
聞きたいことがあった。
昨夜から、ずっと考えていたことだ。
「……ねえ」
「何だ」
「観測者って、何者なの」
少年は、ナイフを置いた。
削りかけの木の棒を脇に置き、膝の上で手を組んだ。油灯の炎が揺れて、洞窟の壁に二人の影を映している。
しばらく、黙っていた。
それから、ゆっくりと話し始めた。
「あいつらは、世界を『固定』したい」
固定。
その言葉に、こよいの体が強張った。
観測者が言っていた。「お前も固定してやろう」と。
「全てを測り、記録し、変わらないようにする」
少年の声は、淡々としていた。
「数値にする。座標にする。時間を止める」
「それが、あいつらの目的だ」
こよいは、息を呑んだ。
「……なぜ、そんなことを」
「揺らぎを嫌うからだ」
少年は、入口の方を見た。
「あいつらにとって、変化は敵だ。生まれること、消えること、動くこと」
「予測できないものは、存在してはならない」
「だから、全てを測る。測って、固定する」
「……揺らぎって、何」
こよいは聞いた。
「変化だ」
少年は、こよいを見た。
「神は、揺らぎの塊だ。生まれ、消え、移動する。定まらない」
「人間も揺らぐ。迷い、変わり、死ぬ」
「世界は、揺らぎで出来ている」
少年の目が、少し細くなった。
「観測者は、その揺らぎを消したい」
「全てを測定可能にして、完璧な世界を作りたい」
「標本のような世界だ」
標本。
理科室で見た、動かない蝶が頭に浮かんだ。
ピンで刺されて、ガラスの中に閉じ込められた蝶。美しいまま、永遠に動かない。羽を広げた姿のまま、時間が止まっている。
あれと同じことを、世界にしようとしている。
指先が、冷たくなった。無意識に握っていた手のひらに、爪の跡が残っている。
「……そんなの」
こよいの声が震えた。
「……そんなの、死んでるのと同じだ」
「……そうかもしれないな」
少年は、静かに言った。
「固定された世界は、死んでいる」
「だが、あいつらはそれを『完璧』だと考えている」
巾着が、かすかに震えた。
「……こわい」
祠の神の声。
「……あいつら、こわい」
空き地の神の声も。
こよいは、巾着を握りしめた。
神々が、恐れている。
「……お前は、集め手だな」
少年が言った。
「神を集めて、届ける者」
「……うん」
「なら、分かるだろう」
「お前が運んでいるのは、揺らぎそのものだ」
少年は、立ち上がった。
洞窟の中を、ゆっくりと歩いた。
「神は、揺らぐ。移動する。変化する」
「お前がそれを運ぶことで、世界の揺らぎは維持される」
「固定されずに、動き続ける」
少年は、こよいの前に立った。
目が、真っ直ぐにこよいを見ている。
「観測者にとって、それは邪魔なんだ」
邪魔。
その言葉が、胸に刺さった。
「お前が神を運ぶ限り、世界は固定できない」
「揺らぎが、残り続ける」
「だから……」
少年の声が、低くなった。
「だからお前は邪魔なんだ。あいつらにとって」
こよいは、何も言えなかった。
ただ、座ったまま、少年を見上げていた。
邪魔だから、追われた。
邪魔だから、殺されそうになった。
こよいが運んでいるものが、観測者の敵だから。
崖から落ちた時の風の音が、耳の奥でふと思い出された。
「……でも」
こよいは、口を開いた。
「……ぼくが運ばなかったら」
「……神々は、どうなるの」
少年は、黙った。
その間、洞窟の奥の闇が、一層深く見えた。
しばらくして、答えた。
「届けられない神は、消える」
「居場所を失った神は、薄れて、やがて消滅する」
「それも、固定と同じだ」
こよいは、巾着を見た。
中で、神々が震えている。
祠の神と空き地の神。こよいを信じてついてきた神々。
「……消えさせない」
こよいの声が、小さく響いた。
「……届ける。ちゃんと、届ける」
巾着が、少しだけ温かくなった。
「……ありがとう」
祠の神の声。
「……いっしょに、いく」
空き地の神の声。
少年は、こよいを見つめていた。
その目に、何かの感情が浮かんでいた。
尊敬か。哀れみか。分からない。
「傷が癒えたら、出ていけ」
少年は、入口の方に戻った。
「ここにいつまでもいると、観測者に見つかる」
こよいは、頷いた。
頷きながら、考えていた。
洞窟の奥から、水滴が落ちる音がしていた。規則正しい、静かな音。油灯の炎が、揺れている。
邪魔だと言われた。
世界を固定したい者たちにとって、こよいは敵だと。でも、だからこそ、止まるわけにはいかない。
止まったら、神々が消える。
止まったら、世界が固定される。
こよいは、自分の役割を、少しだけ理解した気がした。




