表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第1章 霧の序章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/125

第021話 逃走

挿絵(By みてみん)


「力ずくだ」


 その言葉を聞いた瞬間、体が動いた。

 考えるより先に、足が動いた。


 走った。

 観測者(かんそくしゃ)に背を向けて、裏口(うらぐち)へ向かって、全力で走った。


 後ろで、声が聞こえた。


 「逃がすな」


 観測者(かんそくしゃ)の声。低く、平坦で、感情がない。でも、追ってくる気配がある。


 里の人たちが、動いた。

 観測者(かんそくしゃ)の前に、立ちはだかった。


 「行け!」


 誰かの声。若い男の声。


 「早く!逃げろ!」


 女の声も。


 振り返る暇はなかった。

 ただ、走った。


 裏口(うらぐち)木戸(きど)が見えた。

 開いている。誰かが、開けてくれていた。


 飛び込むように、木戸(きど)をくぐった。

 後ろで、叫び声が聞こえた。里の人たちの声。でも、止まれなかった。止まったら、終わりだ。


 森に入った。

 木々の間を、走り抜ける。

 枝が顔を()く。根に(つまず)きそうになる。

 それでも、足を止めなかった。

 後ろで、何かが壊れる音がした。木戸(きど)を叩き壊しているのかもしれない。考えると足が止まりそうになるので、前だけを見た。


 湿った土の匂いが、鼻を突く。朝露(あさつゆ)に濡れた葉が、腕を打つたびに冷たい水滴を散らす。視界は暗い。木々が空を覆い隠して、朝だというのに薄闇の中を走っているようだった。


 巾着(きんちゃく)が、揺れている。

 (ほこら)の神と空き地の神が、中で震えている。


 「……はしれ」


 (ほこら)の神の声が、かすかに聞こえた。


 「……とまるな」


 後ろから、気配が追ってくる。

 足音は聞こえない。でも、分かる。

 冷たい視線が、背中を刺している。

 観測者(かんそくしゃ)が、追ってきている。


 木々の間を縫って走る。

 道はない。獣道(けものみち)だけ。

 薄暗い。朝なのに、森の中は暗い。

 木の根を飛び越える。低い枝をくぐる。

 里の灯りが見えなくなった。もう、引き返せない。


 息が切れてきた。

 足が重い。体が重い。でも、止まれない。


 「……もうすこし」


 空き地の神の声。


 「……あとすこし」


 木の幹に手をついて、方向を変えた。(こけ)むした樹皮が、手のひらにざらりと触れる。足元は落ち葉と腐葉土(ふようど)で柔らかく、踏み込むたびに沈んで走りにくい。体力が削られていくのが分かる。

 右へ走れば川が流れているはずだ。水音が聞こえない。まだ遠い。左の空がわずかに明るい。林の切れ間かもしれない。だが、開けた場所に出れば観測者(かんそくしゃ)に見つかる。暗い方へ、木の濃い方へ走るしかない。


 前方に、崖が見えた。

 小さな崖。三メートルほどの段差。

 下りれば、逃げ切れるかもしれない。


 崖の縁まで来た。

 下を見た。岩混じりの斜面。(こけ)が生えている。

 飛び降りるしかない。

 巾着(きんちゃく)を脇に抱え、腕で押さえ込む。中の神々が、さらに強く震えた。

 足を踏み出した。

 その瞬間、(こけ)で滑った。


 体が、宙に浮いた。


 落ちる。

 岩が見えた。

 ぶつかる。


 衝撃。

 左腕を打った。額を打った。

 体中が、痛い。


 「……っ」


 声が出なかった。

 痛みで、息ができない。


 地面に倒れたまま、動けなかった。

 空が見えた。木々の間から、わずかに光が漏れている。


 「……たって」


 (ほこら)の神の声が聞こえた。


 「……はやく、たって」


 空き地の神の声も。


 額が、熱い。

 手で触れた。赤い。血だ。

 額から、血が流れている。

 指で拭うと、血の筋が(てのひら)にべったりとついた。傷は浅いはずはない。だが、右目は見えている。


 左腕も痛い。動くけど、痛い。

 体中が、打撲(だぼく)だらけだ。でも。


 後ろから、気配が近づいてくる。

 冷たい気配。観測者(かんそくしゃ)の気配。

 まだ、追ってきている。


 「……いきて」


 神々の声が、重なった。


 「……にげて」


 「……たって」


 立ち上がった。

 体が悲鳴を上げている。でも、立てる。

 走れる。まだ、走れる。

 左腕を(かば)いながら、体勢を立て直す。指先が(しび)れて、巾着(きんちゃく)を握る力が弱まっている。


 血が、目に入る。

 手で拭った。視界がぼやける。

 それでも、足を動かした。


 走った。

 痛みを無視して、走った。

 血を流しながら、走った。膝が笑い、呼吸のたびに胸の奥が焼けるように熱い。枯れ枝を踏み砕く音が、自分の足音なのか追手の足音なのか、もう区別がつかなかった。


 森の奥へ。

 さらに奥へ。

 観測者(かんそくしゃ)から、離れるために。


 どれくらい走っただろう。

 足が止まりそうになる。何度も、止まりそうになる。

 それでも、走り続けた。


 やがて、気配が薄くなった。背中を刺していた重圧が、少しずつ軽くなる。

 冷たい視線が、遠ざかっていく。

 観測者(かんそくしゃ)が、追跡をやめたのか。

 それとも、見失ったのか。

 足を止めて立ち耳を澄ませる。風の音だけ。木の葉を揺らす音だけ。あの気配は消えていた。


 木々の間を抜ける風が、汗ばんだ肌を冷やした。血の匂いが、自分の周りに漂っている。鉄の味が、口の中に広がっていた。唇の端が切れて、舌で触れると痛みが走る。視界の端が暗く(にじ)んでいた。


 分からない。でも、追われている感覚が、薄れていく。


 足が、止まった。もう、限界だった。


 木に寄りかかる。

 息が荒い。体中が痛い。

 額から、まだ血が流れている。


 巾着(きんちゃく)を確認した。

 (ほこら)の神と空き地の神は、無事だ。

 震えているけど、いる。


 「……だいじょうぶ」


 (ほこら)の神の声が、かすれた。


 「……まだ、いる」


 「……いっしょに、いる」


 こよいは、巾着(きんちゃく)を握りしめた。

 神々が、まだいる。

 逃げ切った。まだ、生きている。でも、体が限界だ。

 血が止まらない。痛みが引かない。

 このままじゃ、動けなくなる。


 森は、まだ続いている。木々の影が重なり合って、どこまでも暗い。

 どこにいるのか、分からない。

 どこへ行けばいいのかも、分からない。


 ただ、分かることが一つだけある。

 止まったら、終わりだ。

 動き続けなければ、観測者(かんそくしゃ)に追いつかれる。


 こよいは、木から体を離した。

 よろめきながら、一歩を踏み出す。

 流れ落ちる血を拭うこともせず、ただひたすらに、森の奥へと歩き続けた。

 風向きが変わった。湿った(こけ)の匂いの奥に、微かに腐った木の匂いが混じる。水場が近いのかもしれない。いずれにせよ、このままでは倒れる。水があれば、傷を洗える。神々も少しは落ち着くかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ