表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第1章 霧の序章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/125

第020話 完全固定の提案

挿絵(By みてみん)


足が、動かなかった。

 観測者の視線が、こよいを縛りつけている。


 観測者は、ゆっくりと近づいてきた。

 足音がない。地面を踏んでいるはずなのに、音がしない。

 一歩。また一歩。

 距離が詰まっていく。

 こよいの呼吸が、浅くなる。脇腹に押し込んだ巾着(きんちゃく)から、神々の震えが(てのひら)を通って伝わってきた。


 周囲の里人たちは、凍りついたように動かない。

 逃げようとする者もいない。叫ぶ者もいない。

 みんな、観測者を見つめている。見つめることしか、できないでいる。

 足元の土が朝露(あさつゆ)で濡れて冷たい。逃げなければならないのに、膝が曲がらない。


 「……見つけた」


 観測者の声が聞こえた。

 低く、平坦な声。抑揚がない。機械のような声。


 「お前を、探していた。集め手」


 集め手。

 その言葉に、こよいの背筋が凍った。

 知っている。この人は、こよいのことを知っている。


 観測者は、こよいの三歩手前で止まった。

 顔が、はっきりと見えた。

 青白い肌。薄い唇。そして、灰色の目。

 目だけが、異様に生きていた。観察する目。測る目。冷たく、正確な目。


 「……だれ」


 声が震えた。


 「私は観測者だ」


 観測者は、淡々と答えた。


 「測る者。世界を、正しく記録する者」


 手に持った道具が、かすかに光った。

 コンパスのような形。金属製。先端が尖っている。


 「……なにを、する」


 「固定(こてい)だ」


 観測者の目が、こよいを捉えて離さない。


 「お前も、固定(こてい)してやろう」


 固定(こてい)

 しおりが言っていた言葉。(おさ)も言っていた言葉。

 測られたら、固定(こてい)される。動けなくなる。変われなくなる。


 「……いやだ」


 こよいは、後ずさった。

 一歩。たった一歩。でも、足が重い。

 足の裏に湿った土の冷たさが残った。もう一歩踏み出せそうになかった。背中の向こうに裏口(うらぐち)がある。あと数歩。でも、体が動かない。


 「逃げても無駄だ」


 観測者は、追ってこなかった。

 代わりに、ゆっくりと話し始めた。


 「楽になれる」


 その言葉に、こよいは足を止めた。


 「固定(こてい)されれば、苦しみから解放される」


 「もう、重い荷物を持って歩く必要はない」


 「神々を集める必要も、届ける必要もない」


 「全てが、終わる」


 観測者の声は、穏やかだった。

 穏やかで、冷たい。

 観測者はじっと動かない。まるで自分が測るための基準点のように、一点に定まっている。その静けさが、逆にこよいの足を奪っていた。


 「完全固定だ」


 観測者が、一歩近づいた。


 「世界を、標本(ひょうほん)にする」


 「()らぎを消す。変化を止める」


 「永遠に、そのまま。美しいだろう?」


 こよいは、その言葉の意味を、少しずつ理解していった。

 標本(ひょうほん)

 理科室で見た、動かない蝶。ピンで刺されて、ガラスの中に閉じ込められた蝶。

 羽の模様は美しいまま。色も褪せない。でも、もう飛べない。風を感じることも、花の蜜を吸うこともない。

 あれと、同じになる。

 生きているのに、動けない。存在しているのに、変われない。

 頬を()でた風さえ、観測者の言葉に染まって冷たく感じられた。


 「……なぜ」


 こよいは聞いた。


 「なぜ、そんなことを」


 観測者は、首を傾げた。

 人間らしい仕草。でも、どこか不自然だった。


 「世界は、()らぎすぎている」


 「不確定(ふかくてい)なものが、多すぎる」


 「神は生まれ、消え、移動する。定まらない」


 「人は、迷い、変わり、死ぬ。予測できない」


 「その不安定さが、世界を壊している」


 観測者の目が、細くなった。


 「私たちは、それを正す」


 「全てを測り、全てを記録し、全てを固定(こてい)する」


 「そうすれば、世界は完璧になる」


 「変わらない。壊れない。永遠に、そのまま」

 その言葉が空気を押しのけ、里人は誰もが息を止めていた。


 巾着(きんちゃく)が、氷のように冷たい。

 (ほこら)の神と空き地の神が、震えている。


 「……ちがう」


 (ほこら)の神の声が、かすかに聞こえた。


 「……それ、ちがう」


 空き地の神の声も。


 「……うごかない、せかい」


 「……しんでる」


 こよいは、巾着(きんちゃく)を握りしめた。

 神々が、恐れている。でも、反論している。

 動かない世界は、死んでいる。

 その言葉が、胸に響いた。

 握りしめた巾着(きんちゃく)の中で、二つの震えが重なっているのが分かった。恐怖だけではない。(あらが)おうとする微かな意志。


 「お前は、()らぎを運んでいる」


 観測者が言った。


 「神々は、()らぎそのものだ」


 「お前が運ぶ限り、世界は()らぎ続ける」


 「だから、お前を固定(こてい)する」


 「お前と、お前の神々を」


 道具が、また光った。

 今度は、強く。

 観測者の目も、光っている。


 「どうだ」


 観測者は、手を差し出した。


 「楽になれるぞ」


 「もう、歩かなくていい。悩まなくていい。失わなくていい」


 「全てが、終わる」


 その手は、冷たそうだった。

 触れたら、凍ってしまいそうだった。

 指は細く、白く、血の通っている気配がない。爪の先まで、完璧に整っている。人間の手のようで、人間の手ではない。


 こよいは、その手を見つめた。

 楽になれる。

 その言葉が、少しだけ魅力的に聞こえた。

 重い巾着(きんちゃく)。長い道。観測者から逃げ続ける日々。

 全てが終われば、楽になれる。でも。

 足元に落ちた自分の影が、朝日を背に観測者の足元まで伸びていた。動かない影が、二つの間を結んでいるようだった。


 道標(みちしるべ)の神の顔が、浮かんだ。


 「……わからない」


 また会えるか、わからない。

 あの言葉が、胸に刺さっていた。


 「神雧(かみあつめ)」という言葉が、浮かんだ。


 全ての神が、一箇所に集まる。

 その日が来るまで、届け続ける。

 それが、集め手の仕事だ。


 固定(こてい)されたら、届けられない。

 届けられなければ、神々は集まれない。

 集まれなければ、神雧(かみあつめ)は起きない。


 こよいは、観測者の手を見つめた。

 冷たい手。終わりの手。


 「……断る」


 その言葉が、口から出た。

 震えていた。でも、はっきりと言えた。

 その一言を口にした瞬間、胸の奥で何かが(きし)んだ。重い紐が少しだけ緩んだような、小さな感覚。


 観測者の目が、わずかに細くなった。


 「……そうか」


 声には、感情がなかった。

 残念そうでも、怒っているようでもなかった。

 ただ、事実を確認しただけのような声。


 「なら」


 観測者が、道具を構えた。


 「力ずくだ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ