表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第1章 霧の序章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/125

第019話 境を越える者

挿絵(By みてみん)


騒ぎで、目が覚めた。

 外から、声が聞こえる。

 複数の声。慌てた足音。叫び声。


 何かが起きている。


 こよいは、飛び起きた。

 巾着(きんちゃく)を握りしめる。冷たい。昨夜より、ずっと冷たい。


 「……きた」


 (ほこら)の神の声が、緊張を孕んで聞こえた。


 「……なにか、きた」


 小屋を出ると、広場が騒然としていた。

 里の人たちが、慌ただしく動いている。

 子供たちを家に入れる者。荷物を抱えて走る者。

 まだ朝日も弱いのに、誰もが起きている。


 空気が違った。いつもの朝の穏やかさが消えて、代わりに張り詰めた緊張が里全体を覆っている。焚き火の煙が、灰色の空に吸い込まれていく。犬が一匹、尻尾を巻いて小屋の下に潜り込んでいた。


 「何があったの」


 近くにいた女に聞いた。

 女は、青ざめた顔でこよいを見た。


 「(さかい)を……境界を越えてきたんだ」


 「誰が」


 「観測者だよ。あいつらが来た」


 観測者。

 その言葉に、背筋が凍った。

 汗が、背中を伝う。朝の冷気の中で、不釣り合いな熱だった。


 しおりの言葉が、頭をよぎる。


 「測る者が来てる。測られたら、固定(こてい)される」


 あの時聞いた警告が、現実になろうとしている。


 広場の中央で、若い男が叫んでいた。

 物見(ものみ)の役目をしていた者だ。

 息が上がって、顔が青白い。


 「第一境界を越えてきた!複数いる!」


 「こっちに向かってる!」


 人々のざわめきが、さらに大きくなった。


 「逃げろ」「どこへ」「子供を隠せ」


 声が、重なり合って混乱していく。


 こよいは、地面に垂れた水が足首に跳ねるのを感じながら、(おさ)の家へ走った。

 扉を開けると、(おさ)は既に起きていた。

 囲炉裏(いろり)の前で、厳しい顔をしている。


 「(おさ)、観測者が」


 「知っている」


 (おさ)は、こよいを見た。

 その目は、いつもより鋭かった。


 「お前を追っているのだ」


 その言葉に、こよいは息を呑んだ。


 「……ぼくを」


 「そうだ。あいつらの目的は、お前だ」


 (おさ)は、立ち上がった。


 「集め手は、観測者にとって邪魔な存在だ」


 「お前が神を運ぶ限り、世界は『揺らいだまま』でいられる」


 「それを、あいつらは許さない」


 こよいの手が、震えていた。

 巾着(きんちゃく)が、さらに冷たくなる。


 「……どうすれば」


 「逃げろ」


 (おさ)の声は、迷いがなかった。


 「今すぐ逃げろ。裏口(うらぐち)から出て、第二境界を目指せ」


 「あいつらは、この里には長くいられない。ここは(さかい)の向こうだからな」


 こよいは、その言葉を咀嚼(そしゃく)した。(さかい)の向こうなら観測者も居づらい。だが、自分はこの里の中にいる。逃げ道を探さなければならない。


 「でも、お前が捕まれば終わりだ」


 「捕まったら……」


 「固定(こてい)される」


 (おさ)の目が、こよいを真っ直ぐに見た。


 「お前も、神々も、全てが固定(こてい)される」


 「動けなくなる。変われなくなる。永遠に、そのまま」


 それは、死より恐ろしいことのように思えた。

 存在したまま、動けない。変われない。

 標本(ひょうほん)のように、固められる。


 「……分かりました」


 こよいは、頷いた。

 喉の奥が渇いていた。(おど)り込む唾が粘り気を持つ。


 「逃げます」


 (おさ)は、小さく頷いた。


 「裏口(うらぐち)から出ろ。森の中に獣道がある」


 「それを辿れば、名無しの谷(ななしのたに)に出る」


 「谷を越えれば、第二境界だ」


 こよいは、(おさ)に頭を下げた。

 床の土の冷たさが、額に伝わってきた。


 「ありがとうございました」


 「礼はいい。急げ」


 小屋に戻り、荷物をまとめた。

 食料。水。最低限のもの。

 時間がない。

 指が震えて、干し肉を包む布が扱いづらい。二度目でようやく縛った。


 巾着(きんちゃく)を確認した。

 (ほこら)の神と空き地の神が、中にいる。


 「……いく」


 (ほこら)の神の声。


 「……はやく」


 空き地の神の声。


 「うん。行こう」


 荷物を背負い、巾着(きんちゃく)を懐に押し込んで、裏口(うらぐち)へ向かった。

 背中の重みが、いつもよりずっと大きく感じる。

 里の人たちが、道を開けてくれる。

 誰もが、こよいを見ている。

 不安そうな目。心配そうな目。でも、誰も止めない。

 一人の老婆が、手を合わせていた。その指先が白い。


 裏口(うらぐち)木戸(きど)が見えた。古い木の扉が、朝の薄明かりの中で白く浮かんでいる。

 その向こうに、森がある。

 広場の方角から、風に乗ってかすかな金属音が響いた。それが観測者の道具の音なのか、ただの風鳴りなのか、こよいには区別できなかった。だが、足を速めた。

 あと少し。あと少しで、逃げられる。

 こよいは手を伸ばした。木戸のくさびに指が触れかけた。


 その時だった。


 「……いる」


 (ほこら)の神の声が、震えた。


 「……もう、ここに」


 こよいは、立ち止まった。

 振り返った。


 広場の端に、誰かが立っていた。


 里の人ではない。

 見たことのない姿。

 暗い色の服。測量士(そくりょうし)のような格好。

 手には、金属製の何か。コンパスのような道具。


 顔は、無表情だった。日の光の下にいるのに、その体には影が落ちていない。

 感情が読めない。人形のような顔。でも、目だけがこよいを見ていた。

 冷たい目。観察する目。測る目。

 こよいは息を止めていた。吐き出せば、見つかる。そう思えた。


 その瞳には、何の感情も映っていなかった。怒りも、喜びも、悲しみも。ただ、対象を認識しているだけ。標本(ひょうほん)を前にした研究者のような、無機質な注視。こよいは、自分が人間としてではなく、何かの数値として見られていることを、本能的に理解した。


 周囲の音が、遠ざかった。

 人々のざわめきが、聞こえなくなった。

 空気が、急に冷えた。吐く息が白くなる。真夏のはずなのに、肌が粟立(あわだ)ち、指先の感覚が薄れていく。

 振り返れば走れるはずだった。裏口(うらぐち)まで十歩もない。だが、こよいの体は観測者の方角に向いたまま動かなかった。視線に縛られているのではなく、自分の足で立ち止まっていた。


 観測者だ。


 巾着(きんちゃく)が、氷のように冷たい。

 神々が、震えている。


 「……にげて」


 空き地の神の声が、かすれた。「……はやく」でも、足が動かない。


 観測者の視線が、こよいを縛りつけている。

 見られている。測られている。


 観測者が、一歩踏み出した。

 ゆっくりと。確実に。

 こよいに向かって。もう、目の前にいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ