第018話 束の間の休息
夕暮れの森を、案内人と一緒に戻った。
行きと同じ道なのに、景色が違って見える。
体が軽いからだろうか。それとも、心が軽いからだろうか。
巾着は、まだ重い。でも、さっきまでの鉛のような重さではない。
祠の神と空き地の神が、静かに中にいる。
「……らく」
空き地の神の声が、かすかに聞こえた。
「……すこし、ひろくなった」
祠の神の声も。
三柱だったのが、二柱になった。
その分だけ、巾着の中に余裕ができたのだ。
道標の神の最後の言葉が、頭の中で繰り返されていた。
「……わからない」
また会えるか、わからない。
それが、別れの真実だった。
空が茜色に染まり、やがて薄暗くなっていった。
森の奥から、夜の気配が近づいてくる。でも、怖くはなかった。里に戻れば、安全だ。
二時間ほど歩いて、境の里に着いた。
広場では、焚き火が燃えていた。
数人の里人が、火を囲んでいる。
「戻ったか」
誰かが声をかけた。
「うまくいったみたいだな」
案内人が頷いた。
「ああ。置いてきた」
「そうか。ご苦労だった」
こよいは、焚き火の温かさに、少しだけほっとした。
ここは安全な場所だ。少なくとも、今夜は。
夕食の前に、長の家を訪ねた。
報告しなければならないと思った。
長の家には、囲炉裏の火が灯っていた。
温かいお茶が出された。
「置いてきました」
こよいは言った。
「三柱目の神を」
長は、ゆっくりと頷いた。
「そうか。よくやった」
その言葉に、重みがあった。
「……軽くなりました」
「そうだろう。それが、届けるということだ」
長は、茶を一口飲んだ。
「お前はまだ二柱抱えている。祠の神と、空き地の神だったな」
「……はい」
「あと二つ、届ける場所がある」
こよいは、背筋を伸ばした。
「……次は、どこですか」
長は、囲炉裏の火を見つめながら言った。
「第二境界の向こうだ」
「ここから、二日はかかる」
「名無しの谷を通る。気をつけろ」
名無しの谷。
その言葉だけで、不穏な空気が漂った。
「……何があるんですか」
「名前が溶ける場所だ」
長の声が、低くなった。
「そこでは、自分の名前を忘れそうになる」
「名乗ってはいけない。呼んでもいけない」
こよいは、その言葉を胸に刻んだ。
名無しの谷。名前が溶ける場所。
また、新しい試練が待っている。
「……でも」
こよいは、ふと疑問を口にした。
「……なぜ、神を届けるんですか」
長は、少し驚いた顔をした。
「なぜ、とは」
「集めて、届けて、置く」
こよいは、言葉を選びながら言った。
「それを繰り返して、何になるんですか」
長は、しばらく黙っていた。
囲炉裏の火が、パチリと爆ぜた。
「届けないと、散り散りになったままだ」
長は、ゆっくりと言った。
「神は、一つの場所に留まれない。忘れられれば、消える」
「だから、集め手が拾って、然るべき場所に届ける」
「そうすれば、神は消えずに済む」
「……でも、ずっとそうなんですか」
こよいは聞いた。
「ずっと、集めて、届けて、の繰り返しですか」
長は、首を振った。
「いいや。いつか、終わりがある」
その言葉に、こよいは息を呑んだ。
「終わり……?」
「神は、いつか一箇所に集まる」
長の目が、炎に照らされて光った。
「それを、『神雧』という」
神雧。
その言葉が、胸に響いた。
「かみ……あつめ」
こよいは、呟いた。
「神が、集まる」
「そうだ」
長は頷いた。
「集め手が集めた神々が、いつか一つの場所に集まる」
「散り散りになった神々が、再び一つになる」
「それが、神雧だ」
こよいは、その言葉を噛み締めた。
神雧。全ての神が、一箇所に集まる。
それが、終わりの形なのだろうか。
「……いつ、集まるんですか」
こよいは聞いた。
「いつ、神雧は起きるんですか」
長は、首を振った。
「分からん」
「でも、いつか必ず起きる」
「昔、全ての神が一箇所に集まったことがある」
その言葉に、こよいの心臓が跳ねた。
「……あるんですか。本当に」
長は、遠い目をした。
「伝承だ。とても古い」
「その時、何が起きたかはわからない」
「ただ、神々が集まった。それだけは確かだ」
神雧。
全ての神が、一箇所に集まる。
昔、それは実際に起きた。
そして、いつかまた起きる。
「……ぼくが集めた神も、いつか」
こよいは、巾着を見下ろした。
「祠の神も、空き地の神も、道標の神も」
「みんな、集まるんですか」
長は、ゆっくりと頷いた。
「そうかもしれん」
「だから、届けるのだ」
「届けた場所から、神々はいつか旅立つ」
「そして、神雧の場所へ向かう」
こよいは、その言葉を胸に刻んだ。
届けることは、終わりじゃない。
神雧への、始まりなのかもしれない。
長の家を出て、広場で夕食を食べた。
簡素な食事だったが、温かかった。
体に、栄養が染み込んでいく。
食事の後、用意された小屋で休んだ。
藁の布団は、少し硬かったけれど、疲れた体には十分だった。
布団の中で、巾着を握りしめた。
温かい。祠の神と空き地の神が、静かに眠っている。
「……神雧」
小さく呟いた。
巾着の中から、かすかな声が聞こえた。
「……かみ、あつめ」
祠の神の声だった。
「……いつか、みんな、あつまる」
空き地の神の声も。
「……そうなんだ」
こよいは、目を閉じた。
「……いつか、みんな集まるんだ」
神雧。
全ての神が、一箇所に集まる日。
それがいつ来るのか、わからない。でも、その日は必ず来る。
昔、全ての神が一箇所に集まったことがある。
その言葉が、頭の中で繰り返されていた。
眠りに落ちる前、こよいは思った。
集めて、届けて、置く。
それは、神雧への道なのかもしれない。
自分は、その道の途中にいる。
まだ二柱の神を抱えている。
まだ、届けなければならない場所がある。
第二境界の向こう。名無しの谷を越えて。でも今夜は、休む。
束の間の休息。
明日から、また歩き出す。
巾着が、ほんのり温かい。
その温もりを感じながら、こよいは眠りに落ちた。




