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神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第3章 印の輪郭

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124/125

第124話 幻影の海

挿絵(By みてみん)


眠れなかった。

 列車の揺れは規則正しく、座席の木が背中に当たる感触も、もう慣れていた。それでも眠れなかった。

 目を閉じると、目録(もくろく)(ページ)に書かれていた文字が(まぶた)の裏に浮かぶ。神々の製造記録。培養の手順。廃棄の条件。一つ一つの文字が、こよいの胸の奥を引っ()いていた。


 向かいの席で、あさひが壁に(もた)れて目を閉じている。

 呼吸は浅く、眠りは浅い。剣を抱えた腕だけが力を抜かず、何かあれば瞬時に起きられる姿勢のままだった。

 (ゆが)んだ刃が車内の暗がりの中でも鈍い光を放っている。経蔵(きょうぞう)で受けた傷が、刃の性質そのものを変えてしまったのかもしれない。


 久遠(くおん)は通路を挟んだ反対側の席で、窓に額を当てていた。

 義眼(ぎがん)の蒼光は消えている。目を閉じているのか開けているのか、暗がりでは判別できなかった。

 懐の目録(もくろく)には手を触れていない。あの書物を開くたびに、久遠(くおん)の身体から何かが削られていく。今は、休ませる時間だった。


 こよいは巾着(きんちゃく)(ひざ)の上に乗せ、布の上から(てのひら)を当てていた。

 四柱(よはしら)の脈が、ゆっくりと同じリズムで動いている。目録(もくろく)が語った真実を知ってなお、彼らは生きている。呼吸し、脈打ち、温もりを返している。

 (てのひら)の指先が、布の縫い目をなぞった。

 真実が何であれ、この温もりは本物だ。こよいの(てのひら)が嘘を言うはずがない。


 「……久遠」


 小さく呼ぶと、窓から額が離れた。


 「起きてたのか」


 「眠れない」


 久遠(くおん)は身体を起こし、懐に手を入れた。目録(もくろく)には触れず、手をそのまま戻す。


 「……三つの条件のこと、考えていた」


 こよいは(うなず)いた。

 原初の術式。神々を解放するための三つの条件。二つは久遠(くおん)が読み解いていた。

 一つ目は、「名前の器」。二つ目は、「水脈(すいみゃく)の記憶」。

 三つ目だけが、読めなかった。崩壊に巻き込まれ、最後の(ページ)は手に入らなかった。


 「……推測はある」


 久遠(くおん)の声が低く続いた。


 「目録(もくろく)の記述は、三つ目の条件を指すとき、いつも同じ表現を使っていた。『還す者の手』。器でもなく、水脈(すいみゃく)でもなく、還す行為そのものに条件がある」


 「還す者の手……」


 「誰が還すのか。あるいは、どのような手で還すのか。そこが鍵になっている。だが、それ以上は今の情報では読み解けない」


 あさひが目を開けた。

 眠っていなかったのだ。天井を見たまま、低い声で言った。


 「難しく考えるなよ。条件がわからなくても、探しに行けばいい。経蔵(きょうぞう)でもどこでも、行きゃわかる」


 「行きゃわかる、では計画が立たない」


 「計画通りにいったことがあったか? 月見台(つきみだい)でも、経蔵(きょうぞう)でも、全部ぶっつけだったろ」


 久遠(くおん)は黙った。反論できないのだろう。計画を立てても全て崩れた。それでも三人は生きている。


 こよいは巾着(きんちゃく)に目を落とした。

 四柱(よはしら)の脈が布越しに伝わってくる。黙って聞いていたのだろう。自分たちのことを語る声を、巾着(きんちゃく)の底から。


 「……聞いてもいい?」


 巾着(きんちゃく)に向けて、(ささや)いた。


 沈黙が続いた。

 列車の揺れと車輪の音だけが響いている。

 こよいは(てのひら)の下で、四柱(よはしら)の脈を数えた。一つ、また一つ。間隔は揺れているが、止まる気配はない。

 座席の木が(きし)み、窓硝子(まどがらす)が微かに振動していた。


 『……わからない』


 雨の神の声だった。

 細く、かすれて、けれど確かに聞こえた。

 経蔵(きょうぞう)で真実を知ってから、神々はほとんど声を出していなかった。この声は、沈黙を破る最初の言葉だった。


 『……でも、さがす。……いっしょに、さがす』


 こよいの目が熱くなった。

 涙は流さなかった。ここで泣いたら、神々が心配する。

 唇を噛み、息を止め、それから静かに吐いた。


 「……ありがとう」


 巾着(きんちゃく)を胸に抱き寄せた。

 結び目を指一本分だけ緩めると、雨の神の湿った温もり、月の神の冷たい光、硝子(びいどろ)の神の微かな震え、風の神の細い息が順に指先へ届いた。同じ脈に重なっても、四柱(よはしら)はひとりずつ違う。

 こよいはその違いを忘れないよう、ひとつずつに指で触れ、ほどけないようにもう一度結び目を整えた。

 布越しに伝わる温もりが、いつもより少しだけ強い。四柱(よはしら)が、同じ場所から答えている。


 窓の外は(きり)だった。

 経蔵(きょうぞう)を出てからずっと、この(きり)が続いていた。距離は測れない。何を見ることもできない。列車が進んでいることだけが、車輪の音で知らされていた。

 硝子(ガラス)に映る車内の光が、海の残照のように揺れている。(きり)の中に、時おり光の粒が浮かんでは消えた。


 あさひが再び目を閉じた。

 今度は本当に眠りに落ちたらしく、呼吸が深くなった。剣を抱えた腕の力が、わずかに緩む。

 眠る直前、口の中で何かを(つぶや)いた。聞き取れなかったが、こよいには何を言ったか分かる気がした。


 久遠(くおん)は窓に(もた)れ直した。

 義眼(ぎがん)の蒼光は消えたままだった。今夜は、もう読むまいと思っているのだろう。


 「……三つ目が見つからなくても、旅は止めない」


 「うん」


 「見つからないまま、見つけるまで行く。それでいい」


 こよいは小さく(うなず)いた。

 久遠(くおん)の声に、いつもの冷たさはなかった。

 ただ疲れていて、ただ本当のことを言っている、そういう声だった。


 列車は走り続けた。

 車輪がレールを叩く音が、三人と四柱(よはしら)の呼吸の間に流れている。

 巾着(きんちゃく)の中で、四柱(よはしら)の脈が穏やかに光った。


 やがて久遠(くおん)の呼吸も深くなった。

 車内に起きているのは、こよいだけになった。


 巾着(きんちゃく)(ひざ)の上に戻し、両手で包む。

 温かい。

 この温もりを守るために、旅をしている。

 何もわからなくても、この温もりだけは確かだった。


 列車の音だけが、夜の中に響いていた。

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