表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第4章 境の継ぎ目

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
117/125

第117話 崩れた門

挿絵(By みてみん)


列車が速度を落とし始めたとき、窓の外の光の粒子が一斉に消えた。

 名前の川は途絶え、代わりに広がったのは、記憶のない闇だった。

 音すら遠い。

 車輪がレールを叩くリズムだけが、次第に間延びしながら、最後の脈動を刻んでいた。

 車内の行灯(あんどん)が揺れ、蒼い火が一度大きく膨らんでから縮んだ。座席の革が冷気を吸い、触れた腕に鳥肌が立つ。


 こよいは窓硝子(まどがらす)(ひたい)を寄せた。

 硝子(ガラス)は一度目の訪問のとき以上に冷たかった。

 (ひたい)の骨が痛むほどの冷たさ。冷気が皮膚を通り抜け、頭蓋(ずがい)の内側まで()み込んでくる。吐いた息が硝子(ガラス)の表面で白く曇り、すぐに(こお)って薄い(しも)になった。

 あさひが隣の席で身を乗り出した。窓の外を(にら)み、鼻を鳴らす。「……嫌な空気だ」と低く(つぶや)いた。

 前方の(きり)が僅かに裂けると、見覚えのある影が浮かび上がった。


 門だった。

 こよいの背筋を、冷たいものが走った。記憶の中の門と、目の前の門が重ならない。

 だが、前と同じではなかった。

 表面を覆っていた文字の(うろこ)が大きく剥がれ落ち、露出した石肌が黒い傷のように走っている。

 門の左柱は途中からひび割れ、割れ目からは蒼白い燐光(りんこう)が血のように漏れ出していた。

 燐光(りんこう)は脈を持っていた。一定の間隔で明滅を繰り返し、割れ目の奥から低い振動が伝わってくる。門そのものが、何かの苦痛に(あえ)いでいるようだった。

 巾着(きんちゃく)の中で、硝子(びいどろ)の神が甲高い音を立てた。共鳴(きょうめい)だった。門の燐光(りんこう)と同じ周波数で、硝子(びいどろ)欠片(かけら)が震えている。

 こよいは巾着(きんちゃく)を押さえた。布越しに伝わる振動が、指の骨まで響いた。


 「……崩壊(ほうかい)が始まっている。俺たちが目録(もくろく)を持ち出したせいで、経蔵(きょうぞう)(ことわり)均衡(きんこう)が崩れたんだ」


 久遠(くおん)目録(もくろく)を懐に仕舞(しま)いながら言った。

 義眼(ぎがん)の光は鋭さを増し、門の損傷を一寸の狂いもなく測定していた。

 列車が止まった。

 前回と同じ、呼吸が断たれるような静止。車体の(きし)みが一瞬で消え、沈黙が耳を塞いだ。


 扉が開き、冷気が流れ込んだ。

 今度は古い紙の匂いだけではなかった。

 焦げた匂いがした。

 記録が物理的に燃えている匂い。

 甘い煙と、苦い灰。名前が燃えるとき、こんな匂いがするのかと、こよいは喉の奥が締まるのを感じた。

 煙は目にも()みた。涙が一筋、頬を伝ったが、拭う暇はなかった。


 ホームに降り立つと、足元の(ちり)は前回より浅くなっていた。

 風が吹いていた。

 前回はなかった風だ。

 門の割れ目から噴き出す(ことわり)の気流が、蓄積された(ちり)を巻き上げ、四方へ吹き散らしている。

 (ちり)の中に、細い光の糸が混じっていた。名前の残骸(ざんがい)だ。門が壊れた衝撃で書架(しょか)から(はじ)き出された記録の欠片(かけら)が、風に乗って外まで飛んできている。光の糸がこよいの髪に絡まり、頬を(かす)め、指の間をすり抜けた。触れた場所に、微かな(しび)れが残る。


 「……前に来たときとは、何もかも違う」


 こよいは周囲を見回した。

 ホームの天蓋(てんがい)が半分崩落し、瓦礫(がれき)が線路にまで散乱していた。列車が辛うじて通れた幅だけ、かろうじて道が残されている。

 ホームの柱が一本、根元から折れて倒れていた。

 折れた断面から、文字の束が(わら)のように飛び出している。

 あさひは背の剣を、抜き(ぬきみ)のまま構え直した。


 一度目のとき、彼は門を潜るまで(さや)に納めていた。

 今回は、最初から抜き身だった。

 刀身が空気に触れた瞬間、(はがね)の表面に蒼白い燐光(りんこう)の反射が走った。経蔵(きょうぞう)の光を吸い込んだように、刃が冷たく光っている。あさひの目が細くなった。鼻腔に焦げた空気を吸い込み、舌打ちする。


 「……抜き(ぬきみ)かよ。お前にしちゃ珍しく物騒じゃないか」


 「……うるせえ。前回、あの守護者どもの(かま)で三ヶ所やられてんだ。同じヘマは御免だぜ」


 あさひは刀身を一度だけ振り、空を()いだ。

 (はがね)の音が冷気を切り裂き、ホームの柱の間に反響した。

 久遠(くおん)は割れた門の前に立ち、義眼(ぎがん)を奥まで凝らした。


 「……守護者の気配は前回の三分の一以下だ。門が壊れた衝撃(しょうげき)で、かなりの数が巻き込まれて消滅したらしい」


 「……じゃあ、今回は前より楽ってこと?」


 「楽かどうかは知らん。だが時間がない。この門が完全に崩落(ほうらく)すれば、中の記録ごと経蔵(きょうぞう)は消滅する。真実の目録(もくろく)の本体も、永久に失われる」


 久遠(くおん)の声に、珍しく切迫(せっぱく)した色が(にじ)んでいた。

 こよいは巾着(きんちゃく)に触れた。

 中の神々は(おび)えていた。

 だが、前回とは違う震え方をしていた。


 恐怖だけではない。

 何かを取り戻しに来たという、切実な意志が混じっている。


 『……かえりたい。……ここに、わたしたちの、ことばが、ある……』


 月の神の光が巾着(きんちゃく)の布を透かして白く(にじ)んだ。微かだったが、確かな光だった。風の神が小さく(うな)り、雨の神が一つ、布の内側で(はじ)けた。

 こよいは巾着(きんちゃく)を胸に引き寄せた。神々の体温が、薄い布越しに肋骨(ろっこつ)の裏に()み込んでくる。


 「……行こう」


 こよいが言った。

 三人は割れた門の前に立った。

 隙間から噴き出す冷気が、髪を乱し、衣を鳴らした。

 門の(ふち)に触れると、崩れた文字の破片が指にまとわりつき、すぐに風に(さら)われていった。

 文字の破片は熱を持っていた。燃え残りのような微かな熱。指先に触れた瞬間、誰かの名前の一部が脳裏を(かす)めた。読めない文字なのに、そこに込められた意味の欠片(かけら)だけが伝わる。名前が壊れるとは、こういうことなのだと、こよいは唇を()んだ。


 奥から、蒼白い燐光(りんこう)がゆらめいていた。

 前回の暗闘(くらやみ)とは違う。

 何かが壊れ始めている音が、門の奥底から聞こえていた。低く、重く、間断(かんだん)なく。石と記録と(ことわり)が同時に崩壊する音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ