表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第3章 印の輪郭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
116/125

第116話 消える記録

挿絵(By みてみん)


列車は闇の中を走り続けていた。

 窓の外に景色はなかった。

 (きり)ですらない。

 光そのものが途絶えた、純粋な暗闇(くらやみ)


 車輪がレールを刻む音だけが規則正しく響き、その振動が座席の木材を通じて、こよいの背骨にじんわりと伝わっていた。

 車内には蒼白い行灯(あんどん)が一つだけ(とも)っていた。その光の輪の中だけが世界で、輪の外は何もない。天井の木板(きいた)に映った二人の影が、列車の揺れに合わせてゆっくりと(ゆが)んでいた。

 向かいの席で、久遠(くおん)目録(もくろく)(ひざ)に広げていた。

 黄金の表紙から立ち昇る光は、経蔵(きょうぞう)を出たときよりも確実に弱まっている。

 (ページ)(ふち)が不自然に黒ずみ、触れた指先が微かに震えていた。


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)は蒼白い光を絞り出すようにして明滅し、書物に刻まれた不可視の文字を一行ずつ拾い上げている。


 「……記録が消えかかっている」


 久遠(くおん)(つぶや)いた。

 声に焦りが混じっていた。指が(ページ)の上で止まり、爪の先が黄金の表紙に白く食い込んでいた。こよいは久遠(くおん)の横顔を見た。行灯(あんどん)の光が頬骨(ほおぼね)の下に深い影を落としている。経蔵(きょうぞう)を出てから、彼の顔はさらに()せた気がした。


 「消える……? あの、真実の目録(もくろく)が?」


 「奴ら観測者(かんそくしゃ)は、本体側から遠隔で書き換えを始めてやがる。このままじゃ、あと数刻で白紙に戻されるぞ」


 巾着(きんちゃく)の中で、雨の神が冷たく脈打った。経蔵(きょうぞう)で触れた真実の重さが、まだ神々の奥に沈んでいる。神々は自分たちの起源を知ってしまった。その沈黙が、車内の空気をさらに重くしていた。

 こよいは身を乗り出し、目録(もくろく)(ページ)(のぞ)き込もうとした。

 だが久遠(くおん)がその手を静かに遮った。


 「見るな。書き換え途中の記録は中身が不安定だ。読んだ人間の記憶ごと巻き込まれる」


 「……じゃあ、久遠は大丈夫なの?」


 「俺のこの目は、記録を映すだけで読むわけじゃないからな」


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)を細め、(ページ)の上を走る自分の指を見つめた。

 指先が触れた場所から、文字が砂のように崩れていく。

 (すく)い上げようとすればするほど、指の隙間からこぼれ落ちる。

 巾着(きんちゃく)の中で、月の神が微かに光った。銀色の光が目録(もくろく)の表紙を()でるように()い、そこで力尽きたように消えた。月の神は文字を繋ぎ止めようとしたのだ。だが、遠隔消去の力には届かなかった。

 あさひは通路側の席に深く沈み込み、両腕を組んだまま目を閉じていた。


 眠っているのではない。

 耳が動いている。

 車内のあらゆる音を拾い、異変がないかを常に確かめている。

 あさひの剣は(ひざ)の上に横たえられていた。経蔵(きょうぞう)で受けた傷痕(きずあと)が刃に幾筋も残っている。


 「……もう一度、行くしかないんだろう。あの(はか)に」


 あさひが目を閉じたまま言った。


 「ああ。本体の目録(もくろく)を直接書き換える。それしか、この記録を永久に残す方法はない」


 久遠(くおん)の声は平坦だった。

 だが、目録(もくろく)を抱える指が白くなるほど力がこもっていた。

 列車が揺れるたびに、目録(もくろく)(ページ)から黒い粉が散った。文字の死骸(しがい)だった。久遠(くおん)(ひざ)に積もり、衣の(しわ)に溜まっていく。彼はそれを払おうとしなかった。一片でも多く手元に留めておきたいのだろう。

 こよいは窓に目を向けた。

 暗闇(くらやみ)の中に、何かが見えた。


 微かな光の粒子が、窓硝子(まどがらす)の外を横切っていた。

 最初は目の錯覚かと思った。だが目を凝らすと、粒子は確かにそこにあった。暗闇(くらやみ)の中を、星のように静かに、しかし確実に流れている。

 (ほたる)のようでもあり、雪のようでもある。

 一粒一粒が極小の文字を宿していた。

 解体された記録の欠片(かけら)が、(ことわり)奔流(ほんりゅう)に乗って宙を漂っているのだ。


 列車はその光の粒子の川を、真横に切り裂くようにして走っていた。

 巾着(きんちゃく)の中で、硝子(びいどろ)の神が微かに光った。

 反射の光が窓硝子(まどがらす)に当たり、外の光の粒子を一瞬だけ鮮明に映し出す。

 粒子の一つ一つに、名前が見えた。


 人の名前、神の名前、土地の名前。

 全て消されかかった、誰にも読まれることのなかった名前たち。

 こよいは窓硝子(まどがらす)に指先を当てた。冷たい。だが粒子が通り過ぎる場所だけ、硝子(ガラス)がほんのわずかに温かかった。消えかかった名前にも、まだ熱が残っている。その熱が指先を伝い、胸の(ともしび)に届いた。


 「……あの光、全部、名前なんだ」


 こよいが(つぶや)くと、あさひが片目を開けた。


 「記録ってのは、結局、名前だからな。名前を消されたら、何者でもなくなっちまう」


 列車が僅かに速度を上げた。

 車輪の音が一段高くなり、座席の振動が強まる。

 窓の外の光の粒子は密度を増し、やがて列車全体を包み込むほどの奔流(ほんりゅう)となった。

 名前の川を(さかのぼ)るようにして、列車は走り続けた。

 車体が光の粒子を裂くたびに、鋼の表面に無数の名前が一瞬だけ浮かび、すぐに消えていく。


 その先に、あの漆黒の門が待っている。

 こよいにはそれが分かった。

 巾着(きんちゃく)の中の神々が、恐怖と覚悟(かくご)を同時に震わせていたから。


 こよいは窓に(ひたい)を寄せた。

 巾着(きんちゃく)を胸に抱き寄せると、四柱(よはしら)の鼓動が一つに重なった。恐怖と覚悟(かくご)、その間にある名前のない感情。こよいはそれを、祈りと呼ぶことにした。

 硝子(ガラス)の冷たさが、火照(ほて)った頬に()みた。

 名前の光はまだ流れていた。

 一つ一つを(すく)い上げることはできない。

 けれど、見届けることはできる。


 列車の振動が、熱や眠気のように身体の芯を浸した。

 向かいの席で、久遠(くおん)がようやく目録(もくろく)を閉じた。黄金の表紙が最後の光を一つ(またた)かせ、静かに暗くなった。久遠(くおん)はそれを懐に仕舞い、深く息を吐いた。疲労の色が、行灯(あんどん)の光の下でいっそう濃く見えた。

 こよいは(あらが)わなかった。

 次の門をくぐるまでに、どれだけの時間が残されているのか分からない。

 だから今だけは、走り続ける列車の揺れに身を預けた。

 名前たちの光が、閉じた(まぶた)の裏をゆっくりと横切っていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ