表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神雧 - KAMIATSUME -  作者: 神代 一文
第3章 印の輪郭

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
112/125

第112話 一滴の意志

挿絵(By みてみん)


石の裏側に、穴があった。

 (こぶし)が一つ入るほどの小さな穴。(こけ)と砂に半ば塞がれていたが、指先で触れると、奥から微かな湿気が吹き上がった。


 こよいの(てのひら)に、巾着(きんちゃく)の中の雨の神が応えた。

 神々が布越しに温かく脈打つ。水を、感じている。


 「……ここに、水の道があった」


 こよいは両手で穴の縁の砂を()いた。乾いた砂が指の間から(こぼ)れ、やがて石の下に、丸い石組みの口が現れた。

 水路だった。かつてこの庭に水を引いていた、古い水路の入口。


 久遠(くおん)(ひざ)をつき、義眼(ぎがん)で穴の奥を覗いた。


 「……深い。地下水脈に繋がっている。だが、流れが止まっている。水路の途中に何かが詰まっているのか、それとも――」


 「枯れたんじゃない。止められたんだ」


 こよいは水路の口に手を当てた。

 穴の奥から伝わってくる振動は、枯渇ではなかった。水はまだそこにある。ただ、流れることを許されていない。


 『……みず。……ここの、みず、おぼえてる。……むかし、ながれてた……』


 雨の神の声が、かすれた糸のように巾着(きんちゃく)の底から聞こえた。

 こよいは巾着(きんちゃく)の口を開いた。神々が弱い光を放っている。


 「流してあげたい。でも、どうすれば」


 久遠(くおん)目録(もくろく)を取り出し、(ページ)をめくった。義眼(ぎがん)の蒼光が弱々しく明滅する。


 「この庭は、もともと風と水が交わる場所だった。風の神が空気を動かし、雨の神が水を通す。二つが揃って、初めて(ことわり)が循環する」


 風の神が巾着(きんちゃく)の中で震えた。

 外を吹く風が一瞬だけ強くなり、砂が(うず)を描いた。


 あさひが腕を組んで立っていた。


 「要するに、あいつらを使えってことか」


 「使うんじゃない」


 こよいは巾着(きんちゃく)の口に手をかけて、止まった。

 経蔵(きょうぞう)で見た記録が、脳裏をよぎる。培養温度。耐久年数。廃棄条件。

 この子たちは部品じゃない。ぼくが勝手に使っていいものじゃない。


 「……ごめん。決めるのは、ぼくじゃない」


 こよいは巾着(きんちゃく)を水路の口の傍に置いた。ただ、それだけだった。

 布越しに、神々の脈が伝わっている。渇いた水路と、巾着(きんちゃく)の中の雨の神。二つの水が、互いを感じ合っている。


 長い沈黙があった。


 やがて、巾着(きんちゃく)の口が内側から微かに開いた。

 雨の神が自ら布を押し上げ、小さな水の(たま)巾着(きんちゃく)の縁に現れた。月の光を含んで、淡く青い。

 誰も触れていなかった。

 雨の神は巾着(きんちゃく)の縁で一度だけ大きく脈打ち、それから、自分で落ちた。


 水路の暗がりに、一滴の光が吸い込まれていった。音はなかった。


 しばらく、何も起こらなかった。

 風が砂を撫で、月が雲の端を照らしている。静かな夜だった。

 こよいは水路の口に耳を近づけた。暗闇の奥で、水が石の内壁を伝う微かな音がする。一滴だけでは足りないのだ。けれど、その一滴が崩した(せき)の隙間から、次が引き寄せられるなら。こよいは呼吸を止めて、暗闇の中の水の気配を追った。


 やがて、足裏に振動が伝わった。


 低く、遠い音。地面の底を何かが走っている。


 石の周囲の砂が震え、やがて水路の口から微かな湿気が吹き上がった。匂いが変わった。乾いた砂の匂いの中に、土と(こけ)と、古い石の匂いが混じる。水の匂い。


 風の神が巾着(きんちゃく)の中で身を起こした。

 外の風がそれに応えるように流れを変え、庭の四方から中央に向かって吹き始めた。砂の上に描かれた(うず)が大きくなり、新しい模様が次々と生まれていく。


 水路の口から、水が(あふ)れた。

 最初は指一本分の細い流れ。やがて(こぶし)ほどの幅になり、石の周囲を濡らしながら、砂地に筋を刻んでいく。


 水は冷たかった。

 こよいが指先を浸すと、骨まで()みるような冷たさの中に、微かな温もりが感じられた。生きている水の温もり。

 流れの中に、微かな光の筋が見える。雨の神が水路に落ちた場所から、光が水脈(すいみゃく)に沿って広がっているのだ。


 「……流れた」


 こよいは(つぶや)いた。声が震えていた。


 水は石の周囲を巡り、砂地の模様に沿って流れていく。風が水面を撫でるたびに小さな波紋が広がり、月の光を砕いて散らした。


 久遠(くおん)義眼(ぎがん)を細めた。


 「(ことわり)の波動が安定し始めた。この水路は庭全体の循環を担っていたらしい。水が戻ったことで、風の流れも変わっている」


 あさひが(ひざ)をつき、水に手を浸した。


 「……冷てえけど、嫌な冷たさじゃねえな。井戸水みたいだ」


 巾着(きんちゃく)の中で、雨の神の脈が穏やかになった。こよいが落としたのではない。雨の神が自分で選んだのだ。


 こよいは水の流れを見つめた。

 細い流れが砂地を()い、風が描いた模様と交差している。風と水。二つの道が重なるとき、砂の上に今まで見えなかった紋様(もんよう)が浮かぶ。


 それは文字のようにも見えた。

 読めない文字。けれど、意味は伝わる。


 ここにいた神の名前。この庭を守っていた、名も知らぬ風の神の痕跡(こんせき)


 『……しってる。……この、なまえ。……ずっと、まえに、きいた……』


 風の神の声が、巾着(きんちゃく)の底からかすかに聞こえた。


 こよいは石に手を当てたまま、目を閉じた。水が流れる音と、風が砂を撫でる音が重なっている。その重なりの中に、遠い昔の庭の記憶が微かに揺れていた。

 巾着(きんちゃく)の中で、四柱(よはしら)の脈が揃った。水と風の交わる場所で、四つの脈が初めて一つに重なった。


 久遠(くおん)目録(もくろく)を閉じ、立ち上がった。


 「水路が動いている以上、観測者(かんそくしゃ)もこの場所に気づく。長居はできない」


 「ああ。夜が明ける前に降りよう」


 あさひが剣を肩に担ぎ、来た道を振り返った。

 石段の向こうに、鈴灯(すずとも)の町の(ともしび)がぼんやりと(きり)の中に浮かんでいる。


 こよいは最後にもう一度、水路を見た。

 細い流れは途切れることなく続いている。一滴が開いた道を、水はもう忘れない。


 三人は風庭(かぜにわ)を離れ、石段を降り始めた。

 東の空が白み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ