平民少女と王子殿下
王立学園の卒業パーティーの様子は、次の日には王都中に伝わった。
ミランダ・パットナム侯爵令嬢は婚約破棄の上、裁判に掛けられるまで貴族牢に投獄される事。
そして、平民のイエルナ・ソーイが新たなフィンセント王子の婚約者に立てられた事。
民衆は悪女ミランダの凋落と、イエルナのシンデレラストーリーに沸いた。
ミランダは件のあれこれで民衆の嫌われ者。
そしてイエルナ・ソーイは働くカフェでも食堂でも、看板娘として評判だった。
家族と離れ、学園で必死に勉学に励みながらも、生活費の為に懸命に働く少女。道で泣く子供がいれば駆け寄り、老婆の荷物を笑顔で運び、困っている人に手を差し伸べる優しさを持った少女。
フィンセント王子との街歩きを見て報われない恋に同情していた民衆の中には、涙を流して喜ぶ者もいたほどの人気だった。
しかし、イエルナ・ソーイは平民である。
王子妃となるのなら、貴族令嬢よりはるかに厳しい王子妃教育を受ける事になるだろう。貴族が幼少より身に付ける礼儀作法を数年で習得する必要がある。時間や行動を拘束され、今までのように暮らす事も出来ない。
その最たるものが、田舎の家族においそれと会えないという事だろう。
その為に、王子妃教育が始まる前に帰郷が許された。広く顔が知られる前の今であれば、と数人の護衛付きではあるが。
学園卒業パーティーから数日後、イエルナはフィンセントに暫しの別れを惜しまれながら旅立った。
家族の待つ、故郷に向けて。
イエルナを故郷へ見送ったフィンセントは、王子の執務室で書類を捌きながら幸せを隠しもしないニヤついた笑顔を浮かべていた。
ミランダが婚約者であった時分には見た事も無い表情だと、彼の側近として同じように書類を確認していたグレンは思った。
恋する女性と結婚出来るのだ。それも平民である事を除けば、気質も能力も申し分ない。
正直グレンも、フィンセントが恋敵でなければイエルナに求婚したかった。
イエルナは聡明で優しく、控え目で思慮深く、快活で豪胆な所もある。平民ならではの逞しさ、とでも言うのだろうか。貴族社会の陰険さなど『嵐よりまし』と笑うような少女だった。
そして何より、小柄で愛らしい見た目は庇護欲をそそるし、可憐だ。ミランダのように人を敬遠させる鋭さも無いし、社交性もある。
――国内の結束を強める為にも、外向きの王子妃より、内向きのハウゼン侯爵夫人の方が向いているのでは――とは、大きな声では言えないが。
「お早くお帰りになると良いですね」
グレンは王子印の捺された書類を机の上で整えながら、フィンセントに囁く。
ふわっと目元を細めて、柔らかく微笑むフィンセントも優しい声で応じる。
「ああ、家族との逢瀬を楽しんで――無事に、なるべく、早く」
そうして二人は、視線を外に向ける。格子窓の向こう、雲一つない明るい青空は高く高く――素晴らしい未来を象徴するかのように澄んでいた。
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王立学園への入学は、王侯貴族の義務である。その事自体に不満は無いのだが、フィンセントは入学前から憂鬱だった。
彼は王子であるから、事前に生徒の情報を入手していた。どの家が味方で敵であるか、どの生徒が問題を抱えているか――家柄、派閥、性格、交友関係――自分の未来を左右する側近選びが学園在学中の彼の仕事だった。
宰相子息で侯爵家嫡男であるグレン・ハウゼンは幼少期からの側近候補。三つ上に同じく幼少期からの、去年近衛騎士団に配属された側近もいる。だがまだ人数が少ない。信頼の置ける優秀な側近の選出は急務であった。
だが憂鬱の原因は、それではない。
婚約者であるミランダ・パットナムと、同クラスに配置される平民の特待生、イエルナ・ソーイなる人物が原因だ。
ミランダとの婚約は政略結婚である。五大侯爵家の力関係を考えて妥当と言うだけで、十年も前に結ばれた婚約である。
しかしミランダもパットナム侯爵も非常識が過ぎ、自分達が消去法で選ばれたと言う事を理解していない為、この十年で大いに増長してしまった。
パットナム侯爵家は、娘を王子妃に据えた所で毒にも薬にもならない、歯牙にもかからない相手だと周囲に軽んじられている。人望はまったく無い。他者への影響力も無い。領民からの敬愛も無い。威を借るのみで、得も無い。
パットナム侯爵家の二つ名は「名ばかり侯爵家」である。
血統の確かな後継者を産んだら、処分されるだろう。それ位の役には立ってもらわねば、と言うのが、周囲の密かな共通認識であった。
そんな彼女は、格式高い王立学園の有様に不平を隠さなかった。平民が通うなど言語道断――と、国王の政策を真っ向から批判し、更なる落胆を呼んだ。
Sクラスに選抜されたイエルナとミランダの相性が最悪なのは、見るまでもなく明らかだろう。
そして、そのフィンセントの予想は見事に的中した。
ミランダはイエルナへの嘲りを隠さず、陰湿な嫌がらせをして、クラスには絶えず息が詰まるような緊張感が漂っていた。
フィンセントがミランダを諫めても、石造への説教のように徒労に終わる。イエルナを庇おうものなら、ミランダの怒りが増す。
唯一の幸いは、イエルナに憔悴が見えない事だっただろう。彼女の学園生活を妨げるほどの脅威は、ミランダには無いようだった。
むしろフィンセントは、他の生徒の学園生活の方にこそ気を配ることになった。
一学年末の試験は、二学年時のクラス分けに影響する。これを知っている生徒達は、Sクラスを避ける為に学期末の試験でも手を抜くようになってしまった。
ある意味では時勢を読んだ優秀さだが、側近探しが難航する。
ミランダの手綱を握れない自分が恨めしい。
学園にいるより、執務室で書類に埋もれている方が安堵するなんて、おかしな話ではないか。
フィンセントの重苦しい溜息の意味を正確に受け止めながら、グレンは進言した。
「イエルナ嬢を派閥に迎えるのはどうでしょうか」
「……何?」
「彼女の成績は右肩上がり。少し調べましたところ、生家や経歴にも瑕はありません。登用する臣下として、考えてみても良いのではないかと」
「……成程な」
グレンは父宰相が平民の様子を気に掛けていたので、彼等の事を調査していた。残念ながら他の平民に、王子の側近たる能力は無さそうだったが――この半年観察していて、イエルナにはその素質があるように思っていた。
フィンセントは逡巡する。
イエルナの扱いには困っていたが、確かに自分の派閥に組み込のは良いアイディアかもしれなかった。
まず第一に、平民を登用する目的を果たせ、支持の基盤を立て直せるだろう。
第二に、ミランダの威勢は取り除けなくとも、他の貴族達の平民――特にイエルナへの態度を改めさせる事が出来る有ろう。
イエルナを腫れ物としてでは無く、平民の希望にするのだ。
フィンセントは暫くの間イエルナを注視し、そして二学期末の成績の向上を理由に彼女に接触した。
「――光栄でしゅっ!」
と緊張の末語尾を噛んだ彼女に、純朴だなとの感想を持って。
安穏たる学園生活を取り戻す為に。
結果として、イエルナを側に置いたのは正解だった。
「フィンセント王子殿下、少々宜しいでしょうか」
イエルナは何時まで経っても、慇懃な調子を崩さない。世間話をする仲になっても、王子も侯爵令息も教師も平民も、高位貴族も低位貴族も関係無く、丁寧で敬意を払う。
人との距離感が絶妙な少女だった。
「申し訳ありません、その……」
柳眉を下げて深々と頭を下げる彼女の腕には、装丁こそ無事なものの、頁が波打っている文庫本があった。教本にもなると先日貸した、外国語で書かれた恋愛小説である。
「私の不手際で濡らしてしまったのです。代わりにはなりませんが、新しい物を取り寄せたのですが……とても時間がかかるそうなんです。本当に申し訳ありません」
ああ、とフィンセントは得心する。過日、ミランダがイエルナの鞄の中身を玄関広場の噴水に投げ込んだと、目撃者である生徒達から聞いている。
虫の死骸を鞄に入れられても「田舎を思い出す」と笑っていたイエルナが泣きそうだったというので、不思議に思っていたのだ。
「気にしなくていい。読み終わったのか?」
「は、はい。大変勉強になりました」
恋愛小説を楽しむと言うより、勉強になったと言う。ふ、とフィンセントは口角を上げた。
「それなら、近日中に次巻を貸そう」
「宜しいのですか?」
「勿論だ」
「では次こそは、大切に死守いたします」
大真面目に言う彼女と並んで歩き出そうとするが、彼女は一歩後ろへ下がる。
本当に、弁えている。
イエルナは、時々失敗をする。
言い回しや作法を間違えたり、ダンスで相手の足を踏む。食事の際にカトラリーを鳴らしてしまったり、急ぐあまり廊下を走ったりもする。
だが指摘されれば直ぐに修正して、次は無いように努めた。
婚約者に近付かないでと、貴族令嬢に囲まれたりする。男性に媚びている、と陰口を叩かれたりする。そうするとしょんぼりと肩を落として、小動物みたいにか弱い風情を見せる。
時々壁に向かって、呪文を唱えている。良く聞くと「失敗しませんように。間違えませんように。怒られませんように」と願い事を口にしている。平民のまじないだろうか。
貴族では考えられないが、手作りのお菓子を振る舞って、「美味しい」と言われると花が咲くような笑顔になる。社交辞令にも「また作って来ますね」と疑いもせずに。
ある時は帝国語の辞書を閉じながら、肩を落としていた。どうしたのかと思ったら、帝国では「イエルナ」は「馬糞」という意味だったらしい。――同情を禁じ得ない。
イエルナには人を惹きつける魅力があった。人を不快にさせず、穏やかな気持ちにさせる。
フィンセントにとっても、イエルナの側がとても居心地が良い場所になっていた。
――そんな矢先の事である。
次の授業の為に異動をし始めたフィンセントに、息せき切った女性が走り寄って来たのである。学園の生徒でもなく、お仕せを着た女性――ミランダの侍女だった。
学園内では、使用人は登下校のみ追従を許可されている。そんな規則に反して、ミランダは常に侍女を連れている。荷物を持たせ、扉を開けさせ、ノートの代筆もさせている。試験では隣に座らせた侍女に、堂々と答えを聞いている。
そんな風にミランダに服従している侍女だ、グレンが前に立ちはだかって警戒を露わにすると、侍女は怯えながらも口を開いた。
「お願いがございます、王子殿下!」
先に口を開く無礼が、嫌悪感に上乗せされる。
彼女と話した事は一度も無い。だがそんな事はどうでも良いというふうに、彼女は早口でまくし立てる。
「今直ぐ中庭に行かれて、イエルナ様をお助けくださいませ!」
「――イエルナ?」
「私ではお止め出来ないのです、どうか――」
ミランダの侍女が自分を頼る理由など、この際どうでも良かった。イエルナの名前が出た瞬間に、フィンセントは走り出していた。
荷が落ちるような音と、嗚咽が聞こえる――それを背後に聞くだけのフィンセントには見えていなかった、俯けた彼女の表情が。
かくしてフィンセントは、中庭でミランダとその取り巻きに囲まれるイエルナの元に駆け付けた。
「何をしているんだっ!」
フィンセントの登場を見て、イエルナはほっと表情を和らげた。何時も気丈にしている彼女だが、胸元に寄せた指先は白く震えていた。
よく見ると彼女が大事に抱え込んでいるのは、自分が貸した文庫本だ。「大切に死守します」と誓っていたように、懐深くに抱き締めて。
――ああ、あんな風に自分に縋ってくれたらいいのに。
「行こう、イエルナ」
自然に出たその言葉が、フィンセントに決意させたのだった。
『レゾーリアの涙』をミランダが手に入れようとしている。そしてそれをイエルナに飲ませるように命じられている。
件の侍女が泣きながらそう言って来た。
仕置きが怖くてミランダに従っている、家族の命を握られている、
そう訴える彼女を信じない理由が無かった。咎が及ばないようにすること、家族ともども保護することを約束して、彼女は証人になった。
ある日、フィンセントは父王に面会を申し出、国王はこれに応じた。
応接室での二人と宰相の会話は、それ以外の人払いをした。
「――未然に防がれたとは言え、『レゾーリアの涙』を入手しようとしたこと自体、罪です。これを不問にしても、すでにミランダはやらかし過ぎています」
「血統を重んじて結んだ婚約が、ここまで足を引っ張るとはな」
「さようですな」
表情以上に陰気な声音だった。
「これは王都から挙がっている陳情書です。学園からはこちら」
宰相が机の上に紙の束を積み上げる。パットナム親子の評判の悪さは筆舌に尽くし難い。
それに先日ミランダを婚約者として連れた夜会で、彼女は他国相手に失態を演じた。言葉が分からないくせに話に割って入って、笑うべきでない所で笑ったのだ。場は凍り付いた。
「その点、イエルナ・ソーイは各方面の評判は抜群です。能力も申し分ありません」
「平民を妃に迎える、と?」
「子はもうけません。後継については今まで通りでも。出来るならパットナム家の血は絶えさせた方が賢明ではないかと思います」
フィンセントは諾を得る為に立てて来た計画を語る。
「ファレンシア国かリダレス帝国の姫や令嬢を迎えるのが、良いのでは無いかと」
両隣に位置する二つの大国。帝国には敗戦の折に第二王子を人質として差し出しているので、ファレンシアの姫が望ましいのでは、と。
「パットナム侯爵夫人はリダレス帝国の生家に復籍し、ご子息は縁戚に養子に出したいそうです」
宰相は更に書類を上乗せする。パットナム侯爵夫人から届いた嘆願書と、手続きに関する書類である。国王の許可さえあれば、受理される。
もう一通が追加される。帝国の王院が押されているそれは、既に国王が確認済みである。
パットナム侯爵夫人は帝国の公爵令嬢であり、王族の縁戚である。そんな彼女がパットナム侯爵家に嫁いだのも、ヴェンブルク国の内情を探る為だった。
「帝国も侯爵夫人の離縁に口出しして来た。忌々しいことだが、帝国がパットナム家と無関係になれば、処罰は容易い」
「では」
「ミランダ・パットナムは器ではない。イエルナ・ソーイには精々民心を掌握してもらおうではないか」
喜色ばむフィンセントが思わず立ち上がると、国王は尊大に頷いてから口の端を持ち上げた。
「畏まりました」と宰相は頭を垂れる。
ある冬の日の、事であった。
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イエルナが故郷へ旅立って数日後、開かれた裁判でミランダ・パットナムの処刑が決まった。満場一致であった。
パットナム侯爵はこの裁判の結果に泡を拭いて倒れた。
新聞が裁判の結果を告げると、王都はまた歓声に沸いた。
「イエルナが帰る頃には掃除は終わってるな」
満足そうに椅子に深く腰掛けたフィンセントは、しかし長くは落ち着けなかった。
「フィンセント様!!」
扉を蹴破らん勢いで執務室に雪崩れ込んで来たのが、グレンと――イエルナの護衛に出した近衛騎士の一人だったからだ。
目の下にクマをこさえて泥塗れの格好で現れた騎士は、死刑を宣告された者のような悲壮な表情だった。何せ裁判で見たばかりだ、間違いようが無い。
ただならぬ雰囲気に椅子を蹴倒さん勢いで立ち上がる。嫌な予感がした。
「イエルナ様がっ! 消えました!!」
「――っ!!」
衝撃の余り目の前が暗くなる。騎士の弁明が耳に遠い。
「申し訳ありません!! 突然だったのです! 宿の部屋の前と、部屋の片隅、部屋の窓の外の街路でも見張りをしておりました! しかし朝になると忽然と!! そのお姿がなかったのでございます!!」
騎士は平伏して、額を床に擦り付けている。
つまり。つまり何だ? イエルナが? 誘拐された?
怒りのままにフィンセントは叫んだ。
「全兵士に、騎士に、民に告げよ! イエルナを誘拐した不届き者を草の根分けてでも探し出せ!! 情報を広く募れ! なんでもいい、どんな些細な事でもイエルナの行方を探せ!!」
フィンセントの怒りに燃える瞳に睨まれて、泥だらけの騎士も衛兵も執務官達も転げるように飛び出して行く。
「お付きの騎士の一人は念の為イエルナ様の生家へ、二人はそれぞれ捜索を開始している模様です」
「――ああ、そうだな。イエルナの家族が人質にされた可能性もある。……くそっ! 一体誰が……パットナム家の手の者か?」
「その可能性もあり得ます。パットナム家にも兵を送りますか?」
「パットナムの屋敷やゆかりの家も探れ。領地は――鉱山跡なども可能性はあるか……いや、だが今は帝国領だ。国境門を超えて行くとは思えない」
「侯爵自身を捕縛した方が速そうですね」
「そうだな。どんな手を使ってでも、情報を引き出せ」
「はっ」
こうして、イエルナは三度新聞の紙面を賑わせた。
死に物狂いにイエルナの行方を探すフィンセントの愛の深さに、民衆はイエルナの無事を神に祈った。
二人の未来に幸あれ、とシンデレラ・ストーリーの成就を願った。
同情と憐憫が、不覚にもフィンセントの支持率を上げた。
酒場の歌い手が二人の恋物語を歌う。この恋の行方は悲恋となるのか、未来へ続くのか――。
転機は、訪れる。
ソーイ家の面々が、騎士に連れられて登城したのである。
着のみ着のまま連れられて来たのだろう、薄汚れた服にぼさぼさ髪。水浴びも出来ていないであろう、少し匂う程だ。
王城に相応しくは無いが、今はそれ所では無い。固い表情のままの騎士が、「ソーイ家の方々です」と跪いても、どうして良いものかと手に手を取って震えている。
フィンセントは彼等の無事にまずは安堵しながら、「良く参られた」と優しく声を掛けた。
父親らしき細面の男と、娘らしきそばかすの少女はくすんだ茶髪。母親らしきふくよかな女性は黒髪だった。瞳の色は、三人共黒か茶色かだ。
「ソーイ家で間違いないか」と聞いてしまう程、イエルナの色彩にも顔形にも似ていなかった。
「ひゃいっ」
慌てて噛んだ父親のそれだけが、唯一イエルナと同じ。
「イエルナ・ソーイの父か」
「はははははい、はい、はい」
玉座に座る国王も、訝るように声を掛けた。ここでやっと三人は平伏した。騎士に手を引かれて促されたからだ。
この家族の中でどうやって、あのイエルナが生まれ育ったのだろう。
そうは思いながらも、イエルナの家族は自分の未来の家族だ。娘を誘拐されたと聞いて、彼らも心を痛めていることだろう。
顔面を蒼白にして震える様が哀れで、フィンセントは侍従に水差しとコップの用意をさせた。それを手ずからコップに注ぎながら、「何か変わった事はなかったか」と柔らかく尋ねる。
意を決した父親が、掠れた声で言う。
「ありました、王族の使いの騎士が来ました」
「……騎士?」
「その人が、イエルナが誘拐されたと言うのです」
「……その通りだ」
体を持ち上げた父親がそばかす娘を背に庇うようにして、母親は娘を抱き締めるようにして。
「イエルナはここにいます。誘拐なんてされてません」
「……は?」
「王都で王子の婚約者になったと聞きました! うちの娘は、村から出たこともありません!!」
謁見の間に、父親の声が響き渡る。
フィンセントの手から滑り落ちたコップが、大理石の床に落ちて割れた。




