侯爵令嬢と平民少女
王立学園はそもそも、貴族子女の社交の場として存在していた。家庭教師による幼年教育を終えた後、15歳から18歳までの三年間、成人前の最終段階として多くの少年少女が、ステータスの一つ、あるいは義務として通っていた。
マナーの擦り合わせ、人脈作り、後継者や婚約者の資質確認を目的としていたそれが、平民を迎えるようになったのは四年前の事である。
その三年前に仕掛けた戦に大敗した王国の求心力の低下に対しての政策の一つで、優秀な臣民の登用を掲げている。
その学園の、最優秀クラスただ一人の平民として入学したのがイエルナ・ソーイだ。
このクラスをSクラスと言う。
毎学期ごとの試験でS、A、B、Cクラスの間を移動する仕組みになっているが、試験の合格を経て入学する平民と違って、貴族は爵位が高い者がSクラスから始まり――大いに忖度されてSクラスのまま卒業するのが常だった。
つまり貴族にとってのクラス分けは、余り意味がない。
Sクラスには申し訳程度に数人の低爵位の子女が配置され、王族であるフィンセント・ド・ヴェンブルクを筆頭にした高位貴族が半数以上を占めていた。
しかし今年度入学した生徒達は、このクラス分けで天国と地獄に分かれてしまった。
地獄のSクラスと天国の他クラス。
原因は侯爵令嬢、ミランダ・パットナムである。
イエルナが初めての学園生活に緊張しながら教室に入ると、ミランダは多くの生徒に囲まれていた。
中心に居る彼女を口々に褒め称え、「同じクラスになれて光栄だ」とか「これから是非宜しくお願いいたしますわ」等と言って、彼女の方は鷹揚に頷いている。
今年度入学の王族は王子だったはずでは、と不思議に思いながらもイエルナは、席次表に書かれた一番窓際の最前列に着座した。
学園内では身分を問わず平等に学べ、平等の権利が与えられる。起こった問題は爵位によって酌量されず、平等に罰せられる。礼儀作法の未熟さは、修業範囲の内であり、在学中のこれを罰しない。
要約すればこのような規則だが、これは完全なる建前である――事を知らないイエルナは、初日から女王のように君臨していたミランダを無視して、彼女の虎の尾を踏んだ。
これが、始まりであった。
イエルナとしては仲良くなれるなら貴族の子女とだってそうだったし、ミランダへの挨拶も、その内出来たら良いなと思っていたのだ。
だが、人気者らしい彼女の周りには何時も人が居て、近寄る隙が無かった。何時も豪奢な扇を口元に当て、暁のように美しい赤髪を綺麗に結い上げ、嗅いだ事もない花の香水を纏って、ただでさえ気後れしてしまうと言うのに。
最初の内はそんな隙が生まれまいかと伺っていたが、やがて他の生徒から遠巻きにされている自分に気付き、「平民が~」と言う囁き声を耳にした瞬間、自分の立ち位置を悟った。
彼女達の視線は明らかにイエルナを見下していた。
つまりは学園が『平等』を謳っても、そこに通う生徒は違うのだ、と聡いイエルナは直ぐに理解した。
そうとなればイエルナのする事は、当初の目的通り勉学に励む事。田舎から王都へ出て来たばかりの世間知らずには、授業以外にも学ぶ事は多々ある。就職先次第では礼儀や作法、ダンスなども必要になるかもしれない。多言語の習得も必須だ、と考えている。
必要最低限の授業しか受けず交遊を楽しむミランダとは違い、イエルナは出来る限りの授業を受け、熱心に学び、疑問は直ぐに質問し、放課後は図書館に通う――勤勉な学生生活を送っていた。
時々、「平民が~」「田舎者が~」と何やら嫌味らしい事を言われて、「目立つな」「出しゃばるな」「皆の後ろを歩くのが当然」と平民の立ち位置を説明されるのだが、何せ彼女達の話はお貴族的な遠回しなものだったので、イエルナにはそれがいじめだとか意地悪だという感覚はなかった。
時々見かねた生徒が誰の目もない場所でアドバイスをくれるのだが、どうやら「ミランダを怒らせるな」ということらしい。
ただ彼女には話し掛ける隙がなく、側を通る度に「平民が~」を親の仇のように憎々し気に言って来る人だったので、仲良くなれる見込みは無い。
平民である事が原因なら、彼女を怒らせないでいられる理由はないだろう。
イエルナは早々に諦めて、なるべく彼女の視界に入らないようにした。
時折物がなくなったり、鳥や虫の死骸がイエルナの荷物に紛れるようになった。
一度教科書を失くした時には、手痛い出費になったので毎回持ち歩くようになった。
誰もいない窓から、水が降って来た事もあった。
廊下や階段で擦れ違う際、肩がぶつかったり足を引っ掛けられる事もあった。
陰鬱な気持ちになりながらもイエルナは、それらをやり過ごして一学期を終えた。
一年の内、学期は3つ。その都度、二週間の長期休みを挟む。その間、少しでも生活費を稼ごうと、イエルナは街の食堂で働いた。
二学期も、イエルナはSクラスに留まり、何人かの顔触れは変わったが、イエルナの生活は変わらなかった。
三学期、イエルナの二学期末の成績が最優秀であったことを、王子に告げられた。
「私は、学園内の成績を把握している。悪く思わないで欲しいのだが、王族としての責務の内なのだ」
そんな風に前置いて、
「入学時の君は、Sクラスでも下位の成績で、授業について行くのがやっとという風に見えた。授業中も未熟さやたどたどしさが目立ったが、たった二期で見違えた。そして今回の、試験の結果だ。尊敬に値するよ」
挨拶程度しかしたことも無く、顔を真正面から見ることなど適わない、雲の上の存在に興奮気味に話し掛けられ、イエルナは言葉を継げなかった。
呆気に取られてぽかんと口を開き、王子の隣に控えていたグレン・ハウゼンの咳払いでやっと我に返る。
「あ、有難うございます。光栄でしゅ!」
思ったより大きな声は震えて、最後は盛大に噛んでしまった。
イエルナが顔を真っ赤にして俯くと、王子は軽快な笑い声を上げた。グレンは拳を口に当てて「んっ」となんとか笑いを飲み込んで。
それから二人は、クラスメイトの範囲でイエルナに話し掛けるようになった。
図書館で書棚をうろついていれば、「何を探しているのか」「この本が参考になる」と手助けをしてくれ、作法の授業で躓いていると、進んで手解きをしてくれる。
食堂で一人昼食を摂っていると、自分達の仲間の輪に誘ってくれるようにもなった。
もちろん、イエルナと二人っきりになるような事は無い。節度と距離を保って、紳士的に、「イエルナ嬢も一緒にどうだろうか」と、イエルナが拒否する権利も与えてくれる。
一緒に居る女生徒達は、王子の手前か無視するような事も無く、イエルナにも話題を振ってくれる。
イエルナにとってフィンセントは、尊敬する恩人となった。
学年が上がり、後輩も出来た二年目。
イエルナの存在は、好意的に語られるようになった。
「ペンを貸したら、愛らしくお礼を言ってくれた」
「家から送られたお菓子を分けたら、後日手作りのお菓子をくれた」
「理解出来なかった授業を、懇切丁寧に説明してくれた」
「校内で迷っていたら、教室まで送ってくれた」
お陰で少しイエルナは、息が吸い易くなった気がした。
それもこれもフィンセントのお陰だと、イエルナは思った。
だからか、フィンセントに対しての態度だけは少し、熱が籠った。緊張して声が上擦ったり、仄かに頬を紅潮させ、照れた顔で微笑む。
本人の自覚のない所で、フィンセントへの好意が駄々洩れ、それを周囲に悟られて。しかし二人の関係性はクラスメイトの域を出ず、イエルナは何時も『王子』への慇懃な態度を崩さない。
そんな二人を、周りは生暖かく見ていた。けして報われない恋と、距離を違えない空気感。それを好ましく眺めていた。
それは、イエルナ・ソーイという人物の評価の結果と言えただろう。
身分と距離を弁え、けっして一線を越えようとしない彼女への信頼の現れ。
――だが、ミランダ・パットナムはそれを許さなかった。
イエルナの名声が上がるにつれ、ミランダは苛烈にイエルナを侮辱するようになった。
ある時、イエルナは日当たりの良い中庭のベンチで、本を読んでいた。王子が勧めてくれた、外国の物語だ。内容が引き込まれる程に面白いので、続きが読みたいが為にどんどん外国語を覚える事が出来る、と言っていた通りだった。
そんなイエルナの身体に影が落ちる。顔を上げると、影になっていたのはミランダとその取り巻き令嬢三人だった。
「そこをお退き」
取り巻きの一人が言う。
「えっ」
「平民風情が、大きな顔をして座っているのではないの。あちらの隅にでも行きなさい。目障りよ」
ぱしっと投げ付けられた扇から本を守るように抱き締める。その両腕に当たった扇の骨が痛かった。
扇を投げた女性が、片手を差し出して来る。意味が分からない。
「お返し」
ああ、と慌てて拾い上げた扇の汚れを払い落とし、彼女に返す。自分で投げたのに。理不尽である。
しかし彼女はそれをまた、今度は肩から背後へと投げ落とした。
どういう事だろうか。犬がボールを拾って返すを繰り返すように、それを真似ろというのだろうか。
目をぱちくりとさせるイエルナを見て、三人の取り巻きは「ほほほ」と突然笑い出す。怖い。
「お前が触ったものなど、汚くてもう使えないに決まっているでしょ」
「申し訳ございません」
合点がいったイエルナは、即座に頭を下げて席を立った。
「私のような者が、皆様を煩わせて申し訳ありません。すぐに消えますので」
「消えるなら、この学園から消えてほしいのだけど」
けれど、立ち去れなかった。前と左右から、取り巻き令嬢に退路を絶たれてしまったのだ。
いつもなら、逃げ去るように背を向けるイエルナを哄笑と侮辱で見送るのに。
胸の前で腕を組んだミランダが、戸惑うイエルナを見下ろすようにして睨む。身長差があるので、どうやってもそうなるのだが。
「先日、あなた婚約者のある令息に、手作りのお菓子を渡したそうね」
「えっと……」
どのだろう、とイエルナは考える。お礼に手作り――と言っても、確かに自作ではあるものの、食堂の他に働いているカフェで出している物を配るのはイエルナにとって店の宣伝の一環でもあった。それに、特定の誰かに、と言うわけでもない。お礼の場合は少々多めに、けれど「皆さんもどうぞ」と、不特定多数に渡していた。
イエルナとて学習しているのだ。平民と貴族の常識は違うのだと。
それに平民であっても、異性に対してのやり過ぎた態度は顰蹙を買うのだ。
「彼は、こちらのマリーネの婚約者だと知っているわね?」
ミランダの言葉に、一人の令嬢がずいと一歩進み出た。金髪が美しく、ミランダに負けぬ勝気そうな眉を吊り上げている。
貴族子女の多くは成人前に婚約を決めている事が多い、とは知っているが、誰と誰が婚約者かなんて知らない。だが、その彼に対しての対応が、マリーネの気に障ったと言う。
申し訳無く思ったイエルナの眉は、彼女に比例して下がった。
マリーネが声を荒げる。
「おかしいのでは無くて? 婚約者のいる男性に贈り物をするなんて非常識にもほどがあるわ!!」
天気の良い正午の中庭である。昼食を終えた生徒が、腹ごなしに休憩して行くのが通例の。
多くの生徒の目が集まる中、ミランダ達は実に堂々と、一人の少女を囲んでいる。
しかしそうなのか。イエルナにとってお裾分け程度のそれが贈り物という括りに入るなら、今後は改めるべきである。
だがイエルナの謝罪の前に、ミランダの糾弾は方向性を変えた。
「それに、手作りなど――何が入っているかも分からない物をだなんて……食す方の気も知れないわ」
「そうなのですわ、ミランダ様!! なのにエッケルトは「イエルナ嬢が変な物を作るはずがない」なんて仰いますの!」
「まあ!!」
嘆く様子が喜劇めいて来た。
「そもそもが平民の作る物。食材からして怪しいに決まっていますわ」
そんな事を言い出したら市街の飲食店はほとんど平民が作っている。食材を怪しみ出したら、国内のどの食材も平民が育てたものだ、最早貴族の食べる物は無い。
生徒達は放課後や休日となれば市街に繰り出し、王都の飲食店で食事をする。そしてイエルナのお菓子を食べた者も少なくない。
ミランダ達は遠回しに、彼等の事も馬鹿にしているのだ。
とは言え相手はミランダ・パットナム。間に入れば火の粉がこちらに飛んで来る。生徒達は口を噤む代わりに、耳を欹てて、心の中で静かに怒りの炎を燃やした。
「恥を知りなさい、イエルナ・ソーイ。この高貴なる学園で、粗末な物を貴族に――ましてや王子殿下の口に入れようなどと、万死に値する事よ」
「お前と私達では格が違うの。私達至高の存在に、お前はただひれ伏していればいいのよ」
『至高の存在』とミランダが口にした瞬間、生徒達の心の声は一つになった。『恥ずかしいのはお前達だ!』と。
確かに自分達も、貴族階級に驕り、平民を見下す事は多々ある。
挙動は粗野で洗練さも無く、感情を全て行動や表情に表し、矜持も持たない平民と、幼少から家門の為国の為にと厳しい教育を受けて来た自分達。
誇れる実績と伝統ある家に生まれたプライドを持って階級制度を生きている彼等にとって、貴族と平民は別世界の生き物だ。
だがそれが突き抜けて、もはや言い分さえ意味不明となると、自分達の行いを顧みて穴を掘りたくなると言うものだ。
そこに、救世主がやって来る。騒ぎの報告を受け足早にやって来た、フィンセントだ。
彼はミランダが唯一頭を垂れ――ているかは分からないが、聞く耳を持つ――と言っても自分の主張を曲げた事は無いが――相手である。
「何をやっているんだ、ミランダ」
彼は決して声を荒げる事も無く、優雅さを損なわない早足で颯爽と輪の中に滑り込んだ。
しまったと言う顔をした取り巻き令嬢は、ある程度善悪の意識はあるのだろう、気まずそうにおろついた。
ミランダは孔雀羽根の扇を広げて、「フィンセント様」と喜色交じりに名を呼ぶ。
「わたくしはただ、彼女を指導していただけですわ。学園の品性を保つのも、未来の王妃たるわたくしの務めですもの」
フィンセントが鼻白む。
「学園の品性について、君に語られたくは無いが。一人を、複数で囲むのが、お前の言う未来の王妃に相応しい姿か」
「当然ですわ。わたくし、一人で行動したことなどございませんの。特に今など、どんな危害を加えられるか分かりませんものね」
フィンセントの台詞の前半は理解が出来なかったのだろう。ミランダはフィンセントの口から「未来の王妃」と発せられた事にご満悦だった。けっして彼女を未来の王妃、と認めたわけでは無い。あくまで「未来の王妃像」について言及しただけであるが。
フィンセントはミランダの思考演算の斜め上さも理解出来なかったが、彼女の扇の使い方さえ不愉快だった。感情を隠す道具である筈のそれが、全く役に立っていないではないか。
大きく溜息をついて、フィンセントは話を畳む事に決めた。
背後を振り返り、「イエルナ嬢」と気遣わし気に掛けた声は、棘を抜いたサボテンのように柔らかい。
「大事無いか」
「はい、王子殿下。ミランダ様にも、何時も指導いただいて申し訳なく思っております」
気丈に言いながらも、フィンセントが勧めた本を拠り所のように抱き締めているその様は、フィンセントの庇護欲を駆り立てた。
フィンセントはこの日初めて、イエルナの肩を抱いた。強く懐に抱き寄せて、初めて呼び捨てた。
「行こう、イエルナ」
ミランダ達が二の句を継ぐ前に、
「授業が始まる。君達も早く移動する事だ」
イエルナを強引に連れて行くフィンセントと、顔だけを振り返って何度も頭を下げるイエルナ――その姿が、正午の一幕に確かな存在感を残した。
それからと言うもの、イエルナの存在はなりを潜めた。クラスの輪の中にも、食堂の喧騒の中にも、ミランダが攻撃する要素は格段に減った。
代わりに、フィンセントの姿も消えた。
それでも密やかに噂は回る。
図書館の奥まった所で、顔を寄せ合う二人の姿。予約制のサロンから聞こえる、楽しそうな二人の笑い声。市街地を仲睦まじく歩く二人の様子。
ミランダの苛立ちの矛先は、他に向かった。
食事が冷めていると食堂で騒ぎ、お茶が不味いと侍女を叩き、声が五月蠅いと教室を静まり返した。
市街に出れば肩がぶつかっただ前を遮られただ、泥が跳ねただ道が悪いだ、店に入れば席が悪いだセンスがないだと不平を零す。
何かにつけて「パットナム家」と「未来の王妃」を嵩に着ては無理難題を押し通す。
最終学年に上がる段には、ミランダのなけなしの名声は地の底に沈んでいた。
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「ミランダ・パットナム。お前の学園における態度は目を覆いたくなるほど酷い有様だった」
三年間のあらましを、フィンセントは嫌悪を隠しもしない声と表情で吐き捨てた。
王城の大広間の真ん中で、舞台俳優さながらに感情豊かだった。
「これは王都街から上がって来た陳情書である」
何時の間にか隣でグレンが書類の束を抱えている。
「全て、ミランダ・パットナムに対しての物だ。あるカフェからは割った茶器類の賠償について。ある装飾店からは出入り禁止を求む旨。これは購入物の不払いに対する正当な権利だ。なんでも、未来の王妃への投資だと、多くの店の支払いを踏み倒しているようだな」
ミランダへ注がれる視線は非難を超えて、怪物を見るようなそれだった。
しかし当の本人はと言うと、当たり前のように頷いている。
「当然の事ではございませんか。国民の頂点に立つ私に、尽くすのが民というものでしょう?」
絶句である。天晴である。どういう教育をしたらこう育つのか――と視線は自然にその親に滑るが――そちらも大きく頷いている。
駄目である。
そもそも、旧パットナム領では領民が領主に尽くすものとして、領内で領主家族の無銭飲食などがまかり通っていた。
別領から嫁いだミランダの母は何度も世間とパットナム家の常識の解離を諭したが、どこ吹く風。二人には何も響かず、ついに匙を投げて後継たる長男と里帰りして七年。
五大侯爵家に数えられ、長らく国家を支えて来た筈の貴族家が何時からこうだったのかは分からないが、ここ三代は目立った功績も無いままだった。名だたる臣も出ず、戦での手柄もなく、ただ爵位を取り上げるほどの不祥事も起こさないまま存続だけはしてきた。
先の大戦では自領を攻められる前にあっさり降伏したものの、その取り成しで帝国との戦争を早期終了出来た事もあり、相殺されたと言っていい。
最終的にその領地も帝国に併呑されているし、これを突っ込むと負け戦に挑んだ国王や秒で負けた貴族家も流れ弾を食らうので沈黙した。
領地を失い、財政を担っていた特別な技術も奪われ、王国への経済的な貢献を失った今となっては、ミランダの婚姻だけが侯爵家を存続させるよすがだった。
――のだが。
「お前はいったい、王子妃教育で何を学んだのだ? ……いや、確か王子妃教育も、学園入学時から滞っていたな。なんでも学園生活が忙しいとか? 予定の5分の1も進んでいないそうだな」
「学園での三年間は貴重ですもの」
「その貴重な三年間で、お前は悪評をばら撒き、最下位の成績で卒業した、と。学園始まって以来の、最低点を叩き出してな!!」
「学園の成績で、私の能力は計れませんことよ」
二度目の絶句であった。
取り巻きの令嬢すら戸惑っている。その内の一人は、こっそりと自分を呼ぶ父親の声にそっと陣営から離れた。
フィンセントの声が地を這うように低くなる。這うと言うより坂道を滑り落ちている。
「ミランダ・パットナムの行動や資質が王子妃にすら相応しくないのは、十分に理解していただけたことと思う」
フィンセントはこれ以上の問答を避ける為に、三度口を開いたミランダへ鋭く手の平を向けた。
黙れ、と言う合図を、しかしミランダは「私は、」となおも言い募ろうとし、
「この女は、あろう事か私の命を危険に晒した」
フィンセントはもう、彼女を無視する事にして背を向けた。
「貴君らも知っているであろう、『レゾーリアの涙』は我が国では禁止薬だ。これを王都の薬屋で本人が発注し、断ると店を潰すと脅されたと店主から報告が上がっている。またある商人は、これを違法な手段も厭わずに入手するよう『未来の王子妃への投資』を盾に命じられたと報告して来た」
ミランダは平然としている。もう誰も彼女を見ない。
「商人にはただの水瓶をそれとして渡すように命じた。そして、この女の侍女はそれをイエルナに飲ませるようにと強要されたと、泣きながら保護を求めて来た。これは明確な犯罪であり、反逆行為である」
衛兵が、ザッとミランダの退路を塞ぐ。
逃げそびれた取り巻き令嬢二人は、抱き合うようにして座り込んだ。
ミランダはそれでも動かない。場にそぐわない優雅さで、扇子を扇いだ。
「私は、万が一に備えたまでです」
「万が一と言うのは」
「王家に卑しい血を残すなど、あってはならないことでしょう」
彼女は悪びれずに、認めた。それと自覚せず認めた。
衛兵が彼女の両手を拘束し、美麗な扇子が彼女の手を離れて――パットナム侯爵が割って入って行く様は、パットナム家の終わりを確かに告げていた。
ミランダが初めて慄いたが後の祭り、「連れて行け」と国王が発し、パットナム親子は「どうして」「何故」を繰り返しながら引き摺られて行った。
フィンセントはもう二人を見なかった。
腕に抱いたイエルナを見下ろして、甘く微笑むフィンセントはそのまま彼女の頭に小さく唇を落とす。
そして、高々と宣言した。
「ミランダ・パットナムとの婚約は、破棄された。よって私は、このイエルナ・ソーイを妃とする!」
『レゾーリアの涙』。
かつてレゾーリアという小国で流行り、多くの国民が涙した曰くがある。
それは所謂、女性が飲む避妊薬だった。だが飲めば最後、一時的ではなく永続的に女性の妊娠率は激減する。そして、相手の男性の身体にも同じ影響を齎す。
合法化している国もあるが、ヴェンブルク王国では以上の見解から流通を禁止している薬物である。
つまりはミランダはイエルナとフィンセントの関係を邪推し、二人の関係がそこまで進んでいても後継に影響が無いよう、イエルナにこれを飲ませようとしたという事だ。
二人は清らかな関係であったが、万が一そうでなかったとして、彼女の企みが成功していた場合はフィンセントの子種を奪っていたかもしれない。
――王家存続の危機を招いた、大罪である。
そのような大罪を犯した侯爵令嬢に対して、優秀で評判の良い平民の娘。
ミランダ・パットナムの醜悪さを目にした後では、イエルナ・ソーイは女神の如く見えた。
大広間に大喝采が響いたのは、当然だったかもしれない。




