12 移動手段
――新暦195年 7月 14日(木)
『プレザント』・とある事務所
16:40
「――?」
ウィンは目を覚ました。まだ覚醒しきっていないぼやけた視界に柔らかな蛍光灯の光が入ってくる。診療所のベッドとは比べ物にならないほど寝心地は悪かった。
所々骨組みが浮き出ており、それが当たったまま寝ていたためか背の至る所が痛みを訴えていた。こんな状態であればもう眠気などやってくるはずもない。
体の違和感によって意識がほぼ覚醒状態にまでたどり着いたウィンは、気を失う前のことを思い出そうとした。
黒い狼の姿となった男を見てからの記憶が曖昧。うっすら覚えているのはただひたすらその男を追い掛けていたことと、リリィに銃を突き付けてしまったこと。そしてどこか遠くにいる青年の姿。
あそこで自分を止めていなければ間違いなく撃っていた。何とか止めることができたが、危なかった。リリィはどこにいるのだろうか。そう考えていた時に、ウィンは顔のすぐ横に誰かいることに気が付いた。
「やあ。起きたみたいだね」
「どうわはぁ!?」
気になって顔を横に向けたそこには見知らぬ優男の顔面が目と鼻の先にあり、ウィンは驚いて半身を起こした。
体温を感じるほど近づいていた優男はその様子を見て楽しそうに笑いながらウィンに向けて手を合わせる。
「ごめんごめん。そんなに驚くとは思わなかった」
短めの銀髪の天然パーマに黒縁の眼鏡。赤い眼をした優男は、鍛えている感じはしないがそれなりに引き締まった体系だった。
何が何だか。どうして自分はここにいるのか。理解できず、ウィンは周囲を見渡した。
寝ていたのはソファ。それなりに年季の入ったやつ。ディアンの部品工房のおやっさんのところのソファよりも寝心地悪いなると、相当に使い込まれたオンボロソファだ。
しかしながら、そこを気にしていても仕方がない。今ここがどこだか分かる手掛かりがないか探す。その必死な様子を、すぐ近くで椅子に座って笑いをこらえながら優男は見守っていた。
いくつかの机と椅子。引き出しが多かいその見た目から、事務用のものだとウィンは推測した。だとしたらここはどこかの事務所か。しかし何故ここに自分が寝かされていたのかわからない。
混乱していると、右斜め前方にあった扉が開く、入ってきたその人影はウィンが起きていることに気が付くと、すぐさま走り寄って飛びついてきた。
「ウィン!」
「ちょまがっつ!?」
飛びついてきたリリィを何とか受け止めたものの、倒れた先にむき出しになっていたソファの骨組みに後頭部を強打してしまう。
押し倒してしまったウィンが悶絶するのを見て、リリィは慌てて後頭部に治癒術を使用しながら謝る。
「ごめん! 大丈夫?」
「あ、ああ。でも今度抱き着いてくるならもっとお手柔らかに頼む……」
後頭部の痛みが徐々に和らいでいく中、扉を閉めたウィルソンがこちらへとやってきた。
「お目覚めですかウィンさん。予想よりもかなり早いです。ご無事そうで何よりです」
「ありがとうウィルソンさん。でもここはどこなんだ……って、ん?」
話しかけてきたウィルソンに違和感を感じた。無愛想な様子は変わらないのだが、見た目が大きく変わっていた。
身に着けているのがスーツではない。地味な配色の普段着を身にまとい、いつもと変わらぬ無表情がそれと重なることで見た目のインパクトがかなり強くなっている。だが、それだけではない。ウィンに対しての対応が柔らかくなっている気がした。
半身を上げてそれを察知したのか、ウィルソンは説明を始める。
「これ以降付いていく中で、あのスーツ姿は目立ちます。ですので着替えてきました。これで旅する者の一人として疑われることはないでしょう」
「お、おう」
自信ありげに説明してくれるが、今までスーツと帽子をかぶっていた印象が強すぎて、目の前に立つウィルソンにウィンは反応に困ったように返答した。
「そして同行するのであればいつまでも様付けで呼ぶのもよくないと思いました。これからはさん付けで行こうと思います。私のことは気軽に『ウィル』とでもお呼びください」
「うぃ、ウィル?」
「はい。何でしょう」
「いや……、何でもないっす」
「そうですか」
何かがズレているような気がしてならないが、ウィンは突っ込むことを止めた。こんなようでも彼自身はまじめなのだろう。その目からは一般人になりきろうとする熱意のようなものを感じた。
とりあえずは2人の無事を確認できてウィンは一安心した。その近くから、優男はにこやかな表情をしながらウィンに話しかけてくる。
「ともかく無事でよかったね。僕は『ケネス・リーガン』、フリーで運び屋をやってるんだ」
「運び屋ってことは……」
「そう。この僕が今回君たちを首都フォルニアへと送り届けるよ」
その笑顔を絶やさず、ケネスは立ち上がると、壁面に取り付けられたホワイトボードに近づいた。
すでにそこにはカダリア全体が大雑把に描かれている。そこに黒いマジックでケネスが書き込みながらウィンに対して説明を始めた。
「それじゃあ手早くこれからの動きを説明するね。本来であれば中央ラインをそのまままっすぐ行けば首都なんだけど、生憎今封鎖されていて通ることができない」
南東に位置するプレザントの部分から線を伸ばしていくものの、その途中でバツ印を描く。ちょうどそこにはカダリアの中心部に位置する巨大な街『エルシン』がある。
「だから西海岸ラインと下道を使用しつつ、君たちを送り届ける。これが今現在一番安全なルートだといえるね。『今現在』だけど」
最後に付け加えるように言って、ケネスは簡潔な説明を終えた。
アーノルドが言っていたのが彼なのだろうが、何故陸路の運搬系が大忙しの中なのにも関わらずこの仕事を引き受けてくれたのかウィンは理解できなかった。
ようやく働き始めた脳を使ってそのわけを考えていると、ソファのすぐ近くの椅子に腰かけたリリイが困ったような顔をしながら説明してくれた。
「ケネスさんがこの前の仕事で運んだ物の中に、麻薬がかなりの量仕組まれてたんだって。本人はそれを全く知らなかったのが証明されたんだけど、治安警備隊に捕まったってことで評判が地に落ちちゃったらしいよ」
「おぉう……」
ウィンは苦笑いしながらケネスを見た。巻き込まれたとはいえ、信頼性が下がるとここまで仕事が来ないものなのかと、ケネスを哀れむ。
その表情のウィンに、ケネスは笑いかける。その様子からは、全く落ち込んでいるのが感じられない。
「でも大丈夫。今回君たちを送り届けて信頼性の回復を実現していくから」
その見た目からは想像できないが、精神面では結構強い様だ。まだ挽回のチャンスがあると思える前向きなその姿勢は見ていて少し頼もしい。
ホワイトボードに書かれた線を消すとケネスは笑顔でその場にいる全員に呼びかけた。
「よし、それじゃあ時間になったし、そろそろ行こうか」
「え゛? もう出発するのか!?」
「そうか、ウィン君はずっと寝てたしね。色々と話はあるだろうけど、もう決まったことだし時間もない。さあ、長旅にレッツゴー!」
楽しそうにケネスは手早く事務所の最後の片付けを始めた。とはいっても物がないために、それはあっという間に終了してしまう。
まさかもう出発するとは考えていなかった。というかそれを聞いて焦り始めてウィンは思い出し始めていた。
結構派手に暴れていた気がする。結構どころではなくて物凄いレベルで。街はあの後どうなったのだろうか。様々な心配が今になって頭の中を埋め尽くした。
その心配する様子に気が付いたリリィが近づき、小さな両手でウィンの右手を包んだ。
「大丈夫。ウィルソ……じゃなくてウィルが頑張ってくれて、何とかなったから。その経緯は道中で説明するから、安心して」
「……わかった。ありがとう、リリィ」
「どいいたしまして」
リリィはウィンを勇気づけるように微笑んだ。小さな手のぬくもりと、その笑顔を見てウィンは安心することができた。
そうともなれば、とにかく今は身支度を整えなければ。ウィンは静かにその場から立ち上がり、旅立つ準備に取り掛かった。
◆◆◆
――どこかにある研究所
21:20
「んごおぉぉぉぉ……、がぼぉぉぉぉぉぉ……」
研究室の椅子に座り、机によだれを垂らしながら異臭を放つ中年男性が寝ていた。盛大ないびきが研究室に響き渡っている。楽しい夢を見ているのだろうか、その顔には満足そうな笑みを浮かべていた。
そんな中、廊下の方から聞き慣れない足音が近づいていることに男性は気が付いた。よだれで濡れた右頬を着ていた白衣でふき取り、眼鏡をかけなおして開かれるであろう扉の方を向いた。
客人とは珍しい。この場所が分かって入ってきたとなると、新しいお客様だろうか。とは言っても売る物は限られている。どうしたものか。
そんなことを考えていると、扉がゆっくりと開いた。
「おやおや、あなたは……クラン様ではないですか?」
「ひょうよ。ひひゃしふりね、おすわるとけーにっつきょうしゅ」
(そうよ。久しぶりね、『オズワルド・ゲーニッツ』教授)
中年男性の『オズワルド』の前に現れたのは赤髪の美しい長身の女性、四強であるクランだった。
予想外の来客に喜びつつ、オズワルドは感慨深そうに話しかけた。
「いやはや、5年ぶりですかな。クラン様が訓練学校を卒業して以来ですな~。お元気そうで何よりです。はい」
「ひょういっはははひはあほれひひわ。ほりあえふ、ははひにほんくをいわふにふいてひてふへる? ひょひへんはないは」
(そういった話は後でいいわ。とりあえず、あたしに文句を言わずに付いてきてくれる? 拒否権はないわ)
左手で鼻をつまみ、眉間にしわをよせながらクランは厳しめの口調で言った。
その様子から考えてこれは色々ばれたかとオズワルドは察し、抵抗することなく立ち上がった。
「分かりました。ではすぐにでも参りましょう。ところでどこに――」
「まへ! まっへ! ちかつからいね! たたてひゃえひおいやはいのに、それいひょうちかつくとめにくるはらまっへ!」
(待て! 待って! 近づかないで! ただでさえ臭いヤバいのに、それ以上近づくと目にくるから待って!)
近づいてきた異臭の根源であるオズワルドをクランは必死に止めた。その目には涙が浮かんでいる。余程嫌なのだろう。
このかぐわしいこの天才の香りが、目の前の美女を悩ませてしまったようだ。なんて私は罪深く、これほどまでに天才なのだろうか。呆れるほどに圧倒的なプラス思考を脳内にて展開するオズワルドは、自らの存在に惚れ惚れしていた。
「ふんひーね! いふりーほ! てっていてきにおねはい!」
(ウンディーネ! イフリート! 徹底的にお願い!)
クランは右手に持っていた扇子の先をオズワルドへと向けた。するとオズワルドの左右を挟み込む形でウンディーネとイフリートが現れる。
しかし、現れた彼らの表情が一瞬にして嫌悪のものへと変わった。
「あら~、これは随分と……」
「よくもまあ、これほどになるまで放置したものだな……」
よだれに限らず色々な物を拭いたためか所々が変色し、異臭を放つ白衣。一体何日体を洗わなければ発生するか見当もつかない体臭。黄ばみと歯石だらけの口は奇跡的に虫歯はないものの、この世の物とは思えない臭気を放っている。
いやいやながらもウンディーネとイフリートは作業を開始した。温水の竜巻が瞬時に発生し、オズワルドの全身を包み込む。
「あああはあっあ~。私の体が~、天才の私の体が清められていくのおおぉ~!」
オズワルドの甘美な声が研究室に響き渡る。それを間近で聞いていた3人は、全く同じことを考えるに至った。
(((気持ち悪い)))
「んほおおぉぉ~! らめええぇぇぇ~!」




