11 想い
◆◆◆
「――げほっ!? かほッ!?」
ようやく圧迫から解放された喉から酸素を取り込み、リリィは激しく咳き込む。霞み始めていた視界は徐々に色を取り戻し始めた。
戻った嗅覚からは近くに散らばる肉片の生々しい香りが入り込んでくる。最悪な体調と醜悪な臭いによって吐き気がこみ上げてくるが、なんとか耐えしのぐ。
あの男は一体何だったのか。何故いきなりウィンを攻撃したのか。自分をかばって弾き飛ばされたウィルソンは無事なのか。分からないことだらけの現状にリリィが混乱していると、離れたところで強烈な赤い輝きが発せられた。
「こっちの方がお前は覚えてるよな? レイン隊長殿?」
その輝きの発生源から聞こえてきたのは先ほどまで首を絞めていた男の声。リリィがその声の方向を見れば、そこには全身が真っ黒な獣のような姿に変わった男がいた。
普通の人間が亜人へと変貌した。身に纏っている魔力は見る物を圧倒するほどに禍々しいものだった。その光景を目の当たりにしたリリィは震えながらも思わず声を漏らしてしまう。
「……獣の、『魔人』?」
リリィのような半人。そして獣や爬虫類などの身体的特徴をもつ亜人。この2つは新世界が生まれたのと同時に生まれた新たな人種だ。そして、約20年前に突如発生した新たな人種が、『魔人』である。
現段階では人間が突然変化を遂げることしか分かっておらず、一体何が条件で発生するのか解明されていない。変化した者の大半が自我を失い周囲に対して無差別に攻撃を始める。ごく少数だが自我を保つことができるが、それはほんの一握りだ。
そして目の前で姿を変えた男こそがその一握りに含まれているはず。そうとしか考えられない異様で異質な力。しかしながらリリィが持つ知識では、『獣の亜人に姿を変える魔人』などいないはずだった。
酸素が肺に行きわたったところでようやくまともに頭が働き始める。男が狙っているのは自らではなくウィンであることを状況から察したリリィは、怯える心と体に鞭をうつ。
(ウィン……!!)
男の前方に崩れ落ち、傷ついたウィンを助けるべくリリィは動き出した。戦うことはできない。それでも、あのままにしておけば間違いなくウィンが死んでしまう。
それだけは絶対に駄目。あってはならない。まだ、何も始まってすらいない。自らを鼓舞するかのようにひたすら言い聞かせ、リリィはぐらつきながらも立ち上がった。
しかし、
「きゃあぁ!?」
突然発生した衝撃波によってリリィの体は耐えきれずに吹き飛ばされてしまう。まともに受け身をとることもできずに屋上を転げまわり、フェンスの手前でようやく止まった。
それでも冷静を何とか保ち、打撲や擦り傷を治癒術で素早く癒して汚れた顔をウィンのいる方へと向ける。
その頭にあるのはウィンを助けること。大切な存在に向ける愛は苦しい状況に立たされても消えることはない。そんな不屈の碧色の瞳に映ったのは――
≪オオオオオォォォォッ!!≫
――雄たけびを轟かせて男に向かっていく『純白の魔人』。
見た目こそ禍々しいが、温かい力を無造作に撒き散らすその様は男以上に異様といえるものだった。
立て続けに見ることとなった新たな魔人。先ほどの衝撃波が純白の魔人が発したものだと理解できたが、一体どこから現れたのか。
リリィが思いを巡らせていれば、純白の魔人はその手に持った赤熱する剣を振り下ろす。男はそれを寸で受け止め、腹立たしそうに吐き捨てた。
「おいおい、やっぱ”また”それかよ!!」
苛立ちを隠しきれない男は剣を弾いて大きく後方へ飛び退く。その男に対し、純白の魔人は大型拳銃を撃ち放ちながら距離を詰めていった。
何度も轟く銃声。破格の威力を有する魔力の弾丸を男は死にもの狂いで弾き続ける。明後日の方向に飛んでいった弾丸が周囲を破壊する中、リリィはとあることに気づいてしまう。
「あの銃!」
純白の魔人が使用している大型拳銃。それがウィンの使っていた物だと分かったのだ。
だとすれば、男を圧倒している純白の魔人の正体は判明したも同然。他には目もくれずに男へと向かっていく大切な人の名をリリィは叫んだ。
「ウィン!!」
しかしながらその呼びかけに応じることはなく、フェンスを越えて地上へと逃走した男を追って変わり果てたウィンは去ってしまった。
すぐさま地上の様子を確認しようと走り出したが、発生した凄まじい揺れでバランスを崩して倒れてしまう。擦りむいた膝の痛みを感じながら顔を上げれば、屋上付近にまで舞い上がった土煙を目にした。
発生した異常事態にざわめく役所周辺。危険を知らせる警報が鳴り響き始めたと同時に、歪な笑い声が空気を揺らす。
≪ア゛ア゛アハハハァァァ!!≫
酷く、おぞましく歪んでいる声。それでいて何故か心の底から喜んでいるように感じられる。聞くもの全てを不安にさせるものだったが、リリィはそれがウィンのものだとすぐに理解出来てしまった。
急いでたどり着いたフェンス越しに地上を見渡すが、そこにウィンの姿はもうない。騒然となっている役所前は隕石が落下しかのように派手に崩壊していた。
早くウィンの下に行かなければ。でも、行ったところで何ができるか分からない。男だけでなく、暴走するウィンが襲い掛かってくる可能性だって十分に考えられる。自分は、一体どうすればいいのか。
押し寄せてきた不安の波がリリィの足から自立する力を奪ってしまう。フェンスに指をかけたままその場に座り込んでしまったリリィは、項垂れることしかできなかった。
決めたはずの覚悟が大きく揺らぐ。いっそのことウィンを忘れるという選択肢が芽生え始めてしまうほどだ。それでもまだ諦めきれないのは、ウィンに惹かれているからか。
ぐちゃぐちゃになった頭と心によって、気づけば瞳が潤み始めていた。それによってぼやけた視界に、とある物が映る。
「……あ」
それは首にかけていたネックレス。ウィンと対をなす特別な物。それを見たことで、リリィの心は消えかかっていた輝きを取り戻していく。
振り向いてもらえるように頑張る。全身全霊で説得して、一緒にこれかれらを模索する。一緒に戦う。昨日クラン交わした会話、覚悟を自らの中でリリィは復唱する。
涙が零れ落ちそうになっている瞳のままでリリィは立ち上がる。そしてその足はウィルソンが弾き飛ばされた屋上の出入り口へと一目散に向かっていった。
扉の向こうにあるのは階段。その階段の下において苦しみながらもなんとか意識を保っているウィルソンを発見した。
「ウィルソンさん!」
「り……リィ、さん?」
「待っててください! 今治癒術と『再構成術』を行使します!」
ウィルソンのものと思われる血痕が所々にこびりつく階段を駆け下り、すぐさま治癒術だけでなく再構成術も行使し始めた。
再構成術とは、そこにあった構成物(肉体や実物)が無くなっても見えない魔力の形となって残っている物、『残滓』を頼りに失われた部位や血液を魔力で構成し直す医療術だ。
高度な制御が必要とされるこの術を同年代において使えるのはリリィだけ。才能もあるが、純粋に努力し続けた果てに得ることのできた順等な結果ともいえる。
迷いを断ち切った正確なリリィの処置によって、ウィルソンの体は一分も立たぬうちに元通りとなった。全身の痛みから解放されたウィルソンは、ゆっくりと体を持ち上げる。
「ありがとうございます、リリィさん。あなたもご無事でなによりです。ところでウィン様は――」
「ウィルソンさん! 力を貸してください!」
「力? ですか?」
「はい。ウィルソンさんは確か転移術って使えましたよね?」
「ええ。仕事において必須ですから」
「なら、このネックレスと対の反応を発している場所に転移してもらえませんか?」
「……少々お待ちください」
リリィの必死の懇願を聞き入れたウィルソンはネックレスに取り付けられた魔鉱石に触れる。その後深呼吸をして意識を集中していけば、すぐに対といえる反応をウィルソンは探知することができた。
だが、反応を感じ取ったことでウィルソンの表情が歪む。反応を示す先において壮絶に暴れる変わり果てたウィンの存在を同時に感知してしまったからだ。
「……探知はできました。しかしながら直接転移するのは危険だと思えます」
「それは重々承知の上です。そうだとしても行かなくちゃいけないんです」
「では、理由をお聞かせください」
「ウィンと一緒にいるためです」
ウィルソンの問いに、リリィは涙目のままで即答する。そこにある確固たる意志は、ウィルソンが何を言ったところで無駄だと思えるほどに強く、温かいものだった。
なるようになるしかない。震える心を無理矢理奮い立たせたウィルソンは重々しい口を開く。
「すぐそばは危険です。少しばかり離れた場所への転移となりますが、よろしいでしょうか」
「問題ないです。さあ、お願いします」
「了解しました。……座標、固定。転移物質、解明……」
目をつぶったウィルソンが小さくつぶやいたところで、2人の体の表面をほんのりと輝く粒子が包み込んでいった。
輝きが体の芯まで行き届くような不思議な感覚。それでいて不快には感じられない。無表情のように見えるウィルソンの顔は、真剣そのものだった。
そして閉じていた目をウィルソンが開けた瞬間、粒子は輝きを放つ。眩い光が治まったときには、2人は街の外延部へと転移していた。
初めての転移に驚きつつも周囲を確認しようとしたリリィの耳に、鼓膜が破れそうになるほどの轟音が飛び込んできた。何度も、何度も。
工事現場にて、ウィンが四方八方に向けて滅茶苦茶に攻撃を行っていた。激しい怒りが込められた一撃に耐えられず、直撃を受けた場所が無残に崩壊していく。
≪オオオォォォオオ、アアアア゛ア゛ァァァァァ!!≫
「……!!」
攻撃の手は止んだ。その後発せられたのは轟音が可愛く思えるほどの絶叫。空へと向けられたそれは激しく空気を揺るがし続ける。
想定以上の事態にウィルソンは驚愕し、体が動かなくなってしまう。そんな彼を置いて、リリィはゆっくりと叫び続けるウィンに向けて歩き出した。
「リリィさん!」
「大丈夫ですから」
「しかし……! もうあれは……!!」
「大丈夫です。ウィルソンさんは、そこで待っていてください」
振り向くことなくそう告げたリリィはそのまま進んでいく。その小さな背中を今すぐにでも止めたかったウィルソンだが、体が言うことをきいてくれなかった。
少しずつ、確実に、距離を詰める。心臓の鼓動は高鳴り、張り裂けそうになるほど苦しい。恐怖によってさらにその瞳は潤み始めていた。
それでも、そうだとしても、たどり着かなければいけない。そして伝えよう、ありのままの思いを。
勇気を振り絞ったリリィはウィンの後方へとたどりつく。叫ぶウィンに声をかけようと震える唇を動かそうとしたその時、
(!!)
叫ぶことを止めたウィンは手に持った大型拳銃の銃口をリリィに向けた。そこから一撃が放たれれば、リリィは塵1つすら残さずに消し飛ぶことになる。
だが、リリィは止まらなかった。
「……ウィン?」
震える声で、大切な名をつぶやく。そのか細い声を聞いたウィンは一瞬迷いを見せたが、ゆっくりと引き金に指をかけた。
諦めちゃいけない。止まっちゃいけない。絶望的な状況下にある自らを奮い立たせ、精一杯の思いを乗せ、続けた。
「お守り、してくれてるんだね。ありがとう」
◆◆◆
――狐耳の少女は大きな瞳からいくつもの涙をこぼしながらも、強がったような笑顔を見せた。
――頬を伝っていくその涙が、どういった感情によって流れているのかが理解できない。
――理解はできない。だとしても、今の『自分』にとってそれは必要なものだった。
≪……ア、ああアぁぁ……?≫
――それは、『願い』。変わり果てた存在に向ける温かなもの。
――戻ってきてほしいという愛を含んだ『願い』だった。
≪オオォォ……、ァァア……≫
少女はネックレスを身に着けていた。小さく加工された魔鉱石が取り付けられたのネックレス。それと似たようなものも青年は身に着けている。
青年は緑色。少女は琥珀色。あのミミズの化け物を倒す前に、手渡されたもの。大切な、大切な、お守り。
腹の底から無尽蔵に湧きあがり続けていた怒りと殺意が少しずつ治まっていく。大型拳銃の引き金にかけられた指も、次第に離れ始めた。
≪リ……、リ……ぃ?」
「……うん。私だよ」
ようやく叫びと嗤い以外を吐き出せるようになった口から出てきたのは、少女の名前。小さく掠れて分かりにくいそれを聞き、リリィはそれに答える。
殺したい。黒い狼を。獣の亜人を。でも違う、彼女は、この少女は、リリィは殺しちゃいけない。絶対に。
未だに残り続ける怨嗟の念を抑え込むべく、『ウィン』は青年に言い聞かせる。限りなく近く、それでいてぼやけている彼に向けて。ただただ、思いの限りをぶつけ続ける。
(リリィと一緒にいたい。これからも。ずっと)
思い浮かべるのはディアンにおける一ヵ月間。リリィとともに過ごした楽しい時間。温かく接してくれた町民たち。
本来持っているはずの記憶において、それがどれだけ短い期間であったかはウィンでも想像することは容易い。しかしながら、この一ヵ月間こそが、『ウィン』にとっての全てなのだった。
青年は確かに黒い狼を倒すために必死に努力して、死ぬ気で勉強もしたんだろう。でも、それでも、『今』の俺は、『ウィン』はただあの町の一員として暮らしていきたいと心の底から願っている。
『今』の俺は、『ウィン・ステイシー』なんだ。その熱く、温かい『願い』を受けた青年は心の果てで特大のため息をついた。
(好きにしろ)
短く告げた青年は背を向けて歩き出す。その行く先は心の果て。苛立ちと寂しさを漂わせるその後ろ姿が霞んで見えなくなるにつれ、『ウィン』の体に異変が起き始めた。
全身が温かな光にゆっくりと包み込まれていく。光が消えたそこには純白の魔人ではなく、完全に人の姿に戻ったウィンが立っていた。
だが安心するのもつかの間、突如凄まじい疲労感に襲われてウィンは前のめりに崩れ去ってしまう。それを慌てながらもリリィが受け止めた。
徐々に薄れ行く意識。眠りについてしまうまでの間、自らを受け止めてくれたリリィの腕の中で心地よい温かさを感じながら、ウィンは静かにつぶやいた。
「ありがとう、リリィ」
「どういたしまして」
◆◆◆
「――ああ、ちくしょう。ひどい目に遭った。ありがとな、助けてくれて」
「これで二度目だ、『ブレント』」
「重々承知ですって。ちなみにだが、再構成術は使ってくれないのかい?」
「残念ながらお前の右手と右足には残滓が確認できない。再構成は不可能だ」
「……っはは。マジかよ」
工事現場から離れた建物の屋上にて人影が2つ。1つはウィンたちに襲い掛かった『ブレント』という男。そしてもう1つは老齢ながら威厳漂う男だ。
すでにブレントが負った傷は治癒術で塞がったが、魔人化したウィンの覚醒した力によって残滓が消え、再構成術の行使が不可能となっていた。
二度と戻ることのない自らの右手と右足を見つめるブレント。その瞳の中で渦巻いているのは失ったことの悲しみではなく、すぐにでもウィンを殺したいという明確な殺意だった。
座ったままの状態で、ブレントは左手に魔力を集約し始める。それを放つ先は、もちろん工事現場にいる憎き存在だ。
「そんじゃあいつが気を失ったみたいだから――」
「これ以上手を出すことは私が許さん」
「おお? 何だよ。肩入れするってのか?」
「お前は私の『教え子』にまで危害を加えた。それは許すことのできない罪だ」
「教え子……? あ。もしかしてあの狐耳の娘のことか。もしかしてあんた、ロリコンか?」
「口を慎めよブレント。『暴虐』の『役割』を課せられたお前だからと言っても、許されないこともある。私の堪忍袋の緒が切れる前に利口になれ」
「おー怖。だってんならお利口になりますよー」
常人であったら卒倒してもおかしくないほどの眼光を向けられたブレントは、渋々了承して集約した魔力を霧散させていく。それでも完全に諦めきれてはいないようで、隠しきれない殺意はウィンに対して向けられたままだ。
魔人化したウィンとブレントの戦闘によって街は騒然としている。役所から工事現場までにできている戦闘痕にはやじ馬が集まり、防衛兵団と治安警備隊が場を静めるために現場を駆けまわっていた。
慌てふためく街の光景を老齢の老人は眺める。その目が今回の騒動で市民から傷者が出ていないことを確認したところで小さくため息をつく。その安堵する横顔をブレントが恨めしく睨み付けていることにも老人は気づいていた。
「『統率者』からの伝言がある。お前は『奴』の下に戻れ。だそうだ」
「あぁ? マジかよ。俺は合流できないのか?」
「任された仕事をしくじり、それだけでなく一ヶ月の間私の下で怠惰の極みと言える生活を送っていた。そして今回の警備の不手際をしでかしたお前を戻す気は統率者にはないのだろうな」
「想定外のことが重なっちまったんだ。しょうがないじゃねえかよ。またあの陰湿野郎の下に行くなんてまっぴらごめん――」
「文句を垂れ流し続けるな。これは決定事項。吠えるだけ時間の無駄だ」
「あ~、そ~、かい。分かったよ、分かりましたよ、理解しましたとも。んで、俺はどうやって首都に行けばいいんですか『再生』殿?」
「人を『役割』の名で呼ぶな」
「はいはい。んで、どーやっていけばいいんで~す、か~」
誠意が微塵にも感じられないへらへらとした態度でブレントは老人を煽り続ける。にやにやと陰湿な笑みを浮かべるブレントに対し、老人は最大級の侮蔑を込めた目で睨み付けながらゆっくりと告げた。
「旧式の義手と義足をすでに用意してある。それを装着して向かってもらう予定だ」
「旧式ぃ~? んだよやっぱ残滓ないとそんなのつけなくちゃならねえのか。ああ、やっぱ駄目だ。ここであいつ殺さないと気が――」
「……ふん」
延々と文句を吐き出し続けるブレントを老人は所定の場所へと強制的に転移させてしまった。静かになった屋上において、老人は心底疲れたといった様子で息を漏らす。
街全体へと向けられていた目は騒動の中心人物のいる工事現場へと移る。そこには駆け付けた防衛兵団によって丁重に保護されるリリィ達の姿があった。
それなりに優秀な教え子。しかしながらどうしてこんなことに関わることとなったのか。運命という言葉で簡単に片付けていい事柄ではない。思慮にふける老人は、今になってやってきた疲れによってため息をついてしまう。
「――お疲れ様です。『アルバート』さん」
「おお、君か」
老人、『アルバート』は背後からかけられた若々しい声に気分を入れ替えながら答える。声の主はゆっくりと歩を進め、アルバートの横に立った。
「全容は統率者から聞きました。彼の能力、想定以上でしたね」
「ああ。恐らくは彼こそがそうなのだろう」
「統率者も今回の一件で確信したそうです。近々他の対象の観察を取りやめると言ってましたよ」
「全ては君と彼の予想通りで終わったか。しかしながら危なかったぞ。ウィン君が力を解放しなければ私が本格的に動く羽目になった」
「実際、俺も含め結構色々なやつが動き出そうとしてましたよ」
「であれば私が動くことはまずなかったか」
「ええ。ま、今回の原因は”あれ”の警備を任せてたブレントに情報を与えていなかったことですからね。責任は全員にあるって感じです」
「そうか。それを聞いてあのバカの世話をしていた私の心も少しは軽くなったよ」
「だとすれば嬉しいです。それでここからが本題。これ、統率者からの指示です」
「ほう」
声の主である青年は折りたたんである紙を懐から取り出した。それを手渡されたアルバートはすぐに開き、そこに書かれた内容を読み進めて行く。
徐々に、アルバートの年季の入った顔が歪んでいく。書かれている内容は、彼にとっては容認しがたいものだった。
「……私がどうこう言ったところでどうにもならないのは理解している。だが、それだとしても、言わせてくれ」
「分かってます。教え子のリリィちゃんのことですね。安心してください。そこは考慮しているらしいので」
「らしい……?」
「そ、それに、これからは俺もそばにいるんですよ。いざとなれば遥か彼方に一緒に逃げるんで大丈夫ですって」
「……」
「あ、あはは……」
凄まじい剣幕を見せるアルバートに青年は引きつった笑みを浮かべることでしか対応できない。小心者であれば心臓麻痺で死んでしまいそうなほどにまで恐ろしい表情だ。
しばらく続いたのち、これ以上は無意味だと自らに諦めをつけたアルバートは再びため息をついて街に視線を戻した。縮こまっていた青年が安堵していると、アルバートは口を開き始める。
「教え子を頼む。レギオンズに”属さない”人間で私が最も信頼しているのは君だ」
「……任せてください。絶対に、死なせやしませんから」
「その言葉、忘れるなよ」
「はい」
「ではもういけ。準備の途中なのだろう」
「はい。それじゃ、失礼しますね」
約束を交わした青年はしっかりとした足取りで来た道を戻っていく。少しづつ離れていく気配を感じながら、アルバートは振り向くことなく、思い出したように問いかけた。
「最後に確認するが、『今現在』の君の名は何だったか」
「『ケネス』、『ケネス・リーガン』です。しがない何でも運送屋の優男ですよ」
◆◆◆
「何故だっ! 何故このタイミングで……っ!」
一人のスーツ姿の長身の男性が白いものに腰かけて、頭を抱えていた。その顔は焦りを感じてひどく歪んでいる。
「不安要素は排除したはず……! だのに何故だ! 何故いまさらになって……!」
予想外過ぎる事態。このままうまくいけば全てを掌握するのは時間の問題だったのに、ここにきてこんなことが起こるとは。
唯一の不安要素は消え去ったはずだった。まさかそれが上手くいっていなかったとでもいうのだろうか。それだとしてももう一ヶ月は経っている。
怒りと焦りに満ちて歪む顔。そんな状態の男へ扉越しに報告がやってきた。
「『ログネス』様。たった今情報が入りました」
「早く! 早く報告を!」
一体どこの誰がやったのか知りたい。早く。早く。
頭を抱えるログネスはイライラと何かに耐えることで必死だった。
「内通者によると、『天才式・虚無障害発生器for禁忌バージョン』は青年の銃撃によって撃ち落とされたっとのことです」
「撃ち落とされただと!?」
長ったらしく自己主張の激しい結界発生器の名称を聞いて、あの腹立たしい臭い豚を想像してログネスはさらに苛立ちながらも、その報告に驚愕した。
撃ち落とされた。まさか。そんなことあってはいけない。だとしたらあいつしかいないじゃないか。
「その青年は一か月前に消息を絶った『レイン・クウォーツゲル』だと思われます」
「そんなバカなことがあってなるものかああぁぁぁ!」
ログネスの絶叫が小さな部屋の中に響き渡る。そしてついに耐えきれなくなったアレが容赦なく襲い掛かってきた。
「あああぁぁぁぁがぁぁぁぁぁ!? 腹がぁぁぁぁ!」
響き渡るのはとても汚い不協和音。ログネスの下腹部から放たれた音は、汚らしい音を上げ続け、洋式便器へ固形物と液状の入り混じったものを生み出し続けた。
「うんぬあぁぁぁぁぁ……! あんの脳筋猿2匹が……! 無駄だというのに私の『防壁』に絶妙なタイミングで攻撃しやがってんほのおおぉぉぉ……!」
汚い断末魔を上げる彼が得意とする特殊魔術、『防壁』。物理であったり魔術や特殊能力ですら防ぎきる最高クラスの防護魔術だ。
その防壁への過度なダメージは、展開している者に何かしらの悪影響を与えることとなる。その影響が今、ログネスを襲っているのだ。
発生器が撃ち落とされた影響ももちろん大きいが、とある場所にて閉じ込めた2人の男の馬鹿力がさらに追い打ちをかけていた。
痛みに悶え、涙目になりながらも、ログネスは震える声で指示を出す。
「し、至急隠ぺい工作を……! ここでばれたら今までの全てが水泡に帰すことに……!」
「現地にたまたま居合わせたという調査員が発生器の写真を撮影。すでに首都へとデータは移送され、その写真から解析が始まっているそうです」
「いいいいいっぃいぃぃぃやあああぁあぁぁぁぁ!」
人生一番の絶叫がこだまし、それと同時に排泄音も響き渡る。焦りで歪んで頭を抱える男が腹を壊して絶叫するという、最悪の絵面。
やられた。やらかしてしまった。ここにきてこんな。ああ、やってしまった。ただただ、ログネスは頭を抱えた。
もう時間はほとんど残されていない。無駄とも呼べるほどに正確で素早い『技術開発局』の変態解析班も恐らく加わっているはず。
急がなければ、次の一手を。出し抜いて、蹴落として、その上へと上り詰めるために。
「終わらん! 終われぬ! 『あのお方』に全てを捧げるその時まで! 私はああああぁぁぁぁァァァ……!!」
野心を囂々と燃やすログネスは淀み切った心切り替えるために渾身の願いを乗せた絶叫を轟かせる。
そして、
「あろほげええぇぇぇぇぇぇええ!?」
終わることのない腹痛が再び襲い掛かり、凄まじく汚らしい排泄音も掃除の行き届いた綺麗なトイレに響き渡り続けるのだった。




