潤、シュレーディンガーのお湯を発明する
仕事を終えた広瀬潤(39)は、夕食を食べながらテレビをつけた。
画面には旅番組。タレントが絶景の露天風呂に入り、気持ちよさそうに言う。
「はぁ〜〜最高ですねぇ〜〜」
潤は箸を止めた。
「……いいな……温泉……俺も入りたい……」
しかし次の瞬間、現実が襲う。
「でも……出かけるの面倒だな……準備して、車出して、タオル持って……いや、今日はもう動きたくない……」
潤はひらめいた。
「そうだ、自宅の風呂に入浴剤入れればいいじゃん!それで温泉気分だ!」
テンションが上がった潤は、すぐに風呂場へ向かった。
◇お湯を沸かして準備万端
潤は風呂のスイッチを押し、お湯がたまる音を聞きながらワクワクしていた。
「今日は“にごり湯のやつ”入れようかな……あれ、温泉っぽいんだよな……」
お湯が沸いた。
「よし、入浴剤を……」
潤は洗面台の下の棚を開けた。
◇入浴剤が……ない
棚の中を見て、潤は固まった。
「……え?」
棚には——
・いつ買ったかわからない石けん
・予備の歯ブラシ
・そして空の入浴剤の箱
潤は箱を手に取った。
「……空じゃん……僕、前に全部使い切ったんだ……」
棚の奥まで探した。
「どこかに……どこかに……温泉の素……にごり湯……森林の香り……なんでもいいから……!」
しかし——
どこにもない。
潤は膝をついた。
「なんで……なんで今日に限って……入浴剤ないんだよ……」
◇仕方なく普通のお湯につかる
潤は風呂のふたを開けた。
湯気がふわっと立ち上がる。
「……まあ……普通のお湯でも……温かいし……疲れは取れるし……」
湯船に入った。
「……うん……これはこれで……悪くない……」
しかし、旅番組の温泉シーンが脳裏に浮かぶ。
「いや……やっぱり入浴剤ほしかったな……せめて色ついてたら気分違ったのに……」
湯船の中でため息をついた。
◇潤、謎の理論を発明する
そのとき、潤は突然ひらめいた。
「……そうだ……入浴剤がないなら……“あると思い込めばいい”んじゃないか……?」
湯船の中で腕を組んだ。
「これは……“シュレーディンガーのお湯”だ……!」
潤は自分の理論を説明し始めた。
「入浴剤がないけど、入浴剤が“あると思えばあるし、ないと思えばない”。つまりこのお湯は、温泉であり、温泉でない状態が同時に存在している……!」
湯船の中でひとり頷いた。
「……よし、これは温泉だ。僕は今、温泉に入っている……そういうことにしよう……」
潤は満足げに目を閉じた。
「……うん……なんか……ちょっとだけ温泉っぽい気がしてきた……かも」
◇風呂上がり
潤はタオルで髪を拭きながらつぶやいた。
「“シュレーディンガーのお湯”も悪くなかったな……」
そして少し笑った。




