処分
段ボールを組み立てる手つきには迷いがない。底をガムテープで留め、側面に油性ペンで「処分」と書く。タツヤはそれを部屋の隅に置き、次の段ボールに手を伸ばした。
築五十年の団地の一室だった。五階建ての最上階、エレベーターはない。階段を上がるたびに、手すりの塗装が掌にぼろぼろと剥がれ落ちた。廊下の蛍光灯は三本のうち二本が切れていて、薄暗い通路の奥にその部屋はあった。
玄関を開けた瞬間に、古い紙の匂いがした。新聞だった。膝の高さまで積まれた新聞の束が、廊下から居間まで壁のように並んでいる。日付は遡るほど奥に向かう。一番手前の束の日付を見ると、三年前のものだった。そこで購読をやめたのか、あるいはそこから積むのをやめたのか。いずれにしても、タツヤにはどちらでもよかった。
壁に掛かったカレンダーは二十年前の四月で止まっている。桜の写真。めくられなかった残りの月が、下に薄く垂れている。
依頼主は故人の息子だった。都心に住んでいるという四十代の男で、現場には立ち会わず、電話で要件だけを伝えてきた。全部処分してくれ、仕分けの必要はない。値のつくものがあれば引き取ってもらって構わない。声に感情はなかった。タツヤはその口調に親しみのようなものを感じたが、理由は考えなかった。
居間には小さなちゃぶ台と、座布団が一枚。テレビは古いブラウン管で、上に埃が均一に積もっている。台所には使い込まれた片手鍋が一つと、茶碗が一つ。それだけだった。新聞の山を除けば、生活の道具は最低限しかない。
押し入れを開けた。布団が一組、黄ばんだシーツに包まれて畳まれている。その奥に、菓子箱があった。
蓋を開けると、祝儀袋だった。未使用の、白い祝儀袋。数十枚はある。一枚を手に取ると、軽い膨らみがあった。中を開く。旧札の千円札が三枚、きれいに揃えて入れてあった。次の袋も同じだった。その次も。どれも同じ千円札が三枚ずつ、丁寧に入っている。
タツヤは袋を菓子箱に戻し、段ボールに入れた。油性ペンで「処分」と書こうとして、少し考え、「確認」と書いた。
夕方、息子から電話が来た。作業の進捗確認だった。
「押し入れから祝儀袋が出てきました。数十枚、全部に千円札が三枚ずつ入っています」
「は?」息子の声に初めて感情が混じった。「何ですか、それ」
「わかりません」
沈黙があった。
「ボケてたんですかね」と息子が言った。「晩年は会ってないんで。施設にも入らなかったし」
タツヤは窓の外を見た。団地の向かい棟のベランダに、洗濯物が揺れている。
「お年玉かもしれませんね」とタツヤは言った。
「は?」
「お孫さんがいらっしゃったら、いつか会ったときに渡そうと思って、少しずつ用意していたのかもしれません。旧札ですし、かなり前から」
また沈黙があった。息子の呼吸が少し変わった気がしたが、タツヤにはそれが何を意味するのか興味がなかった。
「子供は、います。二人」と息子は言った。「連れて行ったことは、一度もないですけど」
「そうですか」
タツヤは菓子箱を「確認」の段ボールから出し、「処分」の段ボールに入れ直した。息子が処分してくれと言えばそうするし、引き取ると言えば送る。どちらでも同じだった。
電話を切った後、もう一度カレンダーを見た。二十年前の四月。桜。めくられなかった月。
何も感じなかった。タツヤは段ボールにガムテープを貼り、「処分」の文字をもう一度なぞった。




