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第73話 うつせみのはなし

第73話 うつせみのはなし


『なーくん! 今日も私と一緒に帰ろうよ!』


 りんっ、と鈴の音が耳元を掠めた。眩しいな、なんてその時は、茜さす世界で思わず手をかざして目を細めた。琥珀色に溶け込んだ藍色の夕空を背景に微笑んだ彼女は、そんな世界の中でもはっきりと認識できるくらい美しく輝いていた。薄い水色のワンピースに映えるように、長く伸びた黒髪は、彼女がその場でくるくる回る度、後をなぞるように靡いている。

 水色のリボンのカチューシャが、琥珀色に反射して宝石のように煌めいている。俺が彼女の誕生日にあげたものだった。女の子は何が好きかわからない、そう姉貴に相談して、貯めたお小遣いで買ったものだ。俺があげた日から、彼女はそれをずっと付けていた。


 靴を履き替え、黒に染まったランドセルを背負い直す。教科書とか筆箱がたくさん入っていてとても重い。重たい、と呟く俺に、赤いランドセルを背負った彼女は、情けないなあ、とからかうように笑った。

 思わず頬を膨らませると、タコみたいとその頬をつつかれてしまう。あははと笑って、微笑む彼女。ほんの少し、本当に少しだけ俺よりも背の高い彼女のその笑顔に密かに好意を抱いていた。


……河川敷沿いを歩きながら、彼女と俺は永遠に尽きない話を続けた。クラスではほとんど話さないが、二人きりの時だけは話のネタに困ることがないくらい、永遠にその時間が続いていた。その辺の石を蹴りながら、自分の横目にある川を眺める。水に反射してキラキラと宝石が敷き詰められたような夕焼けが目に映る。同じ時間、同じ場所を、毎日変わらず繰り返しているのに、彼女と歩くこの時間はどんな宝石よりもキラキラしていて愛おしい時間だった。


『なーくんとお話してたら、すぐにお家に着いちゃうね』


 照れたように笑う彼女の頬は、この夕空と同じくらい染まっていたように見える。俺もずっと話していたい、なんて、あの時の俺はちょっとだけ大人びようとしてそんな言葉を彼女に言った気がする。愛とか恋とか、友情とか、そう言うのがまだイマイチわからない頃で、ただ、一つだけわかっていたことがあるとすれば、この時間が永遠に続くなんて、自分が馬鹿に自惚れていたことだけだった……。


『なーくん、一緒に帰ろうよ?』

『……嫌だ。お前とは帰らない』

『どうして? いつもみたいにたくさんお喋りしようよ』

『……たまには一人で帰りたい』


 思春期に入っていたというのもあるかもしれない。それを言い訳にするつもりはないが、半分くらいはそれがあったんだろう。


『もしかして、あいつらのこと気にしてるの?』

『……』

『だったら大丈夫! 私、あいつらの言うこと気にしてないし、私あいつらよりも身長大きいし、なーくんは気にしないで……』


 そう言って、彼女はいつもと変わらない笑顔を俺の腕を優しくとった。だけど、その日の俺は、彼女のその優しさを壊すようにその手を払い除けた。


『うるさいっ! もう俺には関わるな!』


 目から溢れそうになった液体を零さないように、歯を食いしばって、彼女をキッと睨んだ。彼女を見れば、可愛らしい頬に大きなガーゼ、細く白い二の腕に巻かれた包帯はその痛々しさを物語っていた。


 これは【彼女が俺を守るために負った傷】だった。


 呆気に取られた彼女は、声も出せないまま、その腕を静かに下ろしていた。そして俺は、彼女と自分にも一生償えない嘘を吐いて、傷だらけの彼女と情けなさに溺れた自分を粉々にした。

 二度と同じ時間を歩まないように、時計の針を壊して、踏みつけて。


 俺は、あの豪雨の中に飛び出したんだ……。


「……すーちゃん、聞いてるー?」


 がらりと世界が一変する。カラフルな色に彩られた世界、優美な有線のBGMが耳元を掠める。ハッとして、俺は声を掛けた方を向く。そこにいたのは彼女……ではなく、仁都だった。サイズの違うボールペンを両手に取りながら、どっちがいいのかな、なんて口を尖らせながら悩んでいる。


 そうだよな、隣にいるわけないもんな。


 そう思いながら、首を回して背筋を伸ばした。起きてる間に夢を見るなんて、珍しいこともあるもんだなと思っていると、くるりと仁都がこちらを向く。


「ねえ、すーちゃん。こっちのメーカーと、こっちのメーカーって値段一緒だけど何が違うの?」


 ボールペン一本買うのにどれだけ悩んでいるのだろうか。仁都なら三秒ぐらいで適当に選んでしまいそうなもんだが、こういうのにも一応関心はあるというのが意外だった。というか、俺よりも店員に訊いた方が絶対にいいと思うんだがな……。


 そう思いながら、渡された両方のボールペンを受け取る。細さやインクの量をそれとなく観察する。

 文房具店に来た時は、必ずと言っていいほど仁都達から頼られることがある。絵を描いてるから、という安直な理由で、イコール文房具にも詳しいだろうというそんな偏見で相談されるようになった。

 もちろん、俺自身はさほど詳しいつもりはないのだが、あの三人からしたら俺はオタク同然らしい。まあ、筆記具とか紙に関しては異常なまでにこだわってるから、ってのもあるんだろうけど。


 メーカーを見て、自分が使ったことがあるかどうか何となく思い出しながら、仁都に双方のメリットとデメリットを伝えた。あくまでも俺個人の主観で。仁都は持ち手が楽で、紙の上で滑りにくいのが欲しいらしい。それなら、とボールペン売り場に戻って別のメーカーのものを渡して使用した体験談を伝えると、それにする! と嬉しそうに笑った。こいつ、俺の薦めたものなら何でも購入しそうだ。


「やっぱりすーちゃんは頼りになるなあ。店員さんみたいに詳しいもん」

「……そんなつもりないんだけどな」

「えー、自信持ちなよ! これ特技にしよ?」

「はあ……」


 接客業なんて俺には一番向いてないんだけど、と一応否定をしながら、新商品のチェックをしていると、その横で仁都が何かを思い出したかのように顔を上げた。


「あ、そうそう! そんなすーちゃんにもう一個相談があるんだよね」

「ん? なんだ」

「あれあれ、女の子が好きそうな付箋というか、メッセージカードみたいのってどんなのがいいと思う?」


 具体的な名前は出てるのに、みたいなものって、またそらどっちつかずな相談してくるな……。

 そう思いながら渋々詳細を訊けば、今日の夜に親戚が遊びに来るとかで、誕生日も近いし、手紙みたいなものを添えたいんだとか。


「プレゼントはもう用意してあるんだけど、今年はそれだけじゃ味気なくて可哀想だし……」


 と言われたものの、残念ながら俺はそういった凝ったことなんて小学生以来したことはないので、なんとも難解な案件となった。とにかく、便箋とメッセージカードが置いてあるコーナーへと向かう。可愛らしいものからシンプルなデザインのものまで、あの頃に比べれば種類が豊富になっていた。


 便箋だと相手に読む負担がかかることを考えなくてはならないし、メッセージカードだと要点を纏めないと格好がつかないので、ここは結構悩みどころである。

 その親戚とはどんな関係なんだ、と深くない程度に訊けば、仁都はうーんと腕を組んだあと、「よく一緒にいるけど、お互いあんまり喋らない」関係だと答えた。


 そりゃあまた珍しいことである。昔の田本と坂田みたいなものかと思って訊けば、そういう訳でもないらしい。歳も二つほど下で、月一に会うくらいとのこと。余計に混乱した気がしたが、仁都の優しさなのだろう、その親戚の子の話をする時は少し穏やかな目をしている。


「こういうのだったら、普段言えない言葉とか、そういうのだったら書けそうだし、今年はそうしようかなーって」


 仁都にしては珍しく慈愛に満ちた目をしているような気がした。まさか、彼女か?! なんて一瞬頭をよぎるが、俺が訊くよりも先に、彼女じゃないよ、と仁都は笑って否定した。まあ、他人のあれこれをとやかく言うつもりはないので、あーだこーだと十五分ほど話し合い、仁都は結局うさぎの柄のメッセージカードを選ぶのだった。


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