第1章 第3節
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(……あれ? 痛くない……)
眉間の力を緩め、そっと瞼を開けた。
視界が影に覆われ、暗くなっている。
いや、そうではない。私の見上げた先に見えたのは、背中だった。
私とスライムの間に男が割り込み、壁になってくれたのだ。
「ありがとうご――」
「礼はあとだ!」
男は前を向いたまま背中越しに怒鳴った。
格好はパパが着ているような服装で、ごくごく普通の薄手のシャツとズボン。
だが、きこりのパパ以上に肩や背中は筋肉で盛り上がり、見るからに逞しいのが分かる。そして、両手で大きな槌を持っていた。
足や腕に小さな傷ができ、うっすら血が流れている。今できたばかりの傷だ。
おそらく彼は私の前に入り込むために、ブル―スライムの間を割ってきた。
無理矢理にスライムとスライムの通った際に、攻撃を受けたのだろう。
「今、傷を治します! 魔法ならもう少し使えます!」
「それよりもまずは自分の傷を癒せ! 回復役が倒れるのは最後だ!」
「はっ、はいッ!」
彼も冒険者で戦闘慣れしているのが分かった。
多くの冒険者はパーティを組み、その中には私のような回復メインの者がいる。
私は効率よくダメージを出すことはできないが、その前線を支える役割を担う。
もし攻撃役と回復役のどちらかしか回復できない場合、基本的には回復役の傷を癒すべきと言われている。なぜなら次の手番で攻撃役を回復すればよいのだから。
納得した上で、彼の言葉に従う。
(ええっと……呪文。呪文……ステータス・オープン!)
ステータスを開くと、私の能力値などが視界に半透明で表示された。
その端に「ストレージ」「呪文・スキル」「通知」「お布施」「その他」と表示されている。その中から「呪文・スキル」を選ぶと、私の使える呪文リストが出た。
回復呪文を選ぶと、ステータスの表示が薄れ、両手を組んで神へ祈り始める。
「命の神よ。定命の者の傷を癒し、今一度、活力を与え給え! 《治癒》!」
神への祈りに合わせ、私の身体がほのかな熱に包まれた。
視界上部に見える私のHPゲージが回復する。
これで、ブル―スライムの攻撃を数発なら耐えられそうだ。
その代わり、MPのゲージが減った。私の唱えられる呪文なら、せいぜいあと一回といった残量だ。
ふと、視線を前に向ける。
「ウオオォッ! お前らを相手にするのも随分久しぶりだな!」
彼は槌を振り下ろし、ブルースライム一体を叩き潰した。
すぐさま横に薙ぎ払い、もう一体を仕留める。鮮やかな連撃だ。
(まさか二回攻撃! いや、――)
驚いている間にも、今度は反対側の敵を潰した。
通常、戦闘中に行動を取ると、疲労が溜まる。疲労状態もまたFP(FatiguePoint:疲労点)ゲージとして表示され、例えば呪文を唱えたばかりの私は最大値に達している。これが少しずつ減り、疲労が減ったところで次の行動を取れる。ついでに言うと、能力値の【耐久力】が高いと疲労の回復が早い。
普通は一度攻撃をしたら、次の攻撃までインターバルが必要になる。
ところが、彼は一度の攻撃で三回連続の攻撃をした。
(私よりも遥かにレベルが高いんだ!)
上級者特有の技を目の当たりにしたものの、彼は槌を両手で握ったまま立っていた。
どうしてブル―スライムとの距離を詰めないのかしら?
そう疑問に思い掛けたが、すぐに答えは出た。
私を守るために動くに動けないのだ。
私は急いで立ち上がり、盾と棍棒を構え直す。
「ありがとうございます! これでしっかり防御できます!」
ヤツらと少し距離が空いて余裕ができたのか、彼は背を向けたままこちらに話し掛けてくる。
「ところでお嬢さんのACは幾つだ?」
「……えーしー? それ何ですか?」
「何だ。最近の冒険者はアーマークラスのことも知らないのか。ステータスの上の方に出ているだろ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
ステータスを開き、確認する。
上の方には冒険者名・生年月日・種族などパーソナル情報が並び、その下に先制点・回避点・防御点など、主に能力値や装備から導出される値が並ぶ。
「えっと……確認したんですけど、ないみたいです」
「ない? いや、そんな馬鹿な! それならタコは?」
「タコ? ……名前は聞いたことあるんですけど、山育ちなので食べたことありません」
「蛸じゃない! THAC0ってないか? 通称は『タコ』だけど、正しくは『O』じゃなくて、『0(ゼロ)』だからな」
「ええっと……今確認します」
ステータスは開けっ放しだったので、すぐに確認した。
ところで、このステータスの表示は便利で、普段は半透明で普通に何かを見る分には邪魔にならないけど、見たいと思ったときには本を広げたときのようにちゃんと文字を認識できる。ついでに、眼鏡を掛けていなくてもよく見える。たぶん、目で見るのとは違うのだろう。
それはともかく、彼の言う「THAC0」の文字列を探す。
「……ザッと確認しましたが、それらしき情報はありません」
「そんな馬鹿な……俺のステータスにはちゃんと表示されてるぞ」
「ひょっとして、クラスが違うからじゃないでしょうか」
「クラスが違うからといってステータスに表示される情報が違うとも思えんが……ま、どのみち、それは後回しだ。お嬢さん、残りHPは大丈夫そうか?」
「はい! おかげさまで、バッチリです!」
「それなら俺も少し前に出て、残党ども狩るとするよ。ペッ!」
彼は掌に唾を吐き、槌を握り直した。
きっと気合を入れるおまじないか何かだろう。ちょっと汚い。
彼の振るう槌はまっすぐな直線を描き、一振りするたびに一体を確実に仕留める。
ブル―スライムの包囲網は完全に崩れ、いまや散り散りだ。
こうなるとブル―スライムが可哀そうに思えるほどだ。
「ブルースライムはレベルが低いから、『仲間を呼ぶ』はあまり成功しないんだが、こんなに増えるなんて、お嬢さんはずいぶん引きが強いらしいな」
「運不運もあるでしょうが……私の判断が甘かったです」
そう言って棍棒を振り下ろし、私も手近な一体を仕留めた。
判断が甘かったのは間違いない。反省すべきだ。
その一方で、彼が一緒に敵を仕留めてくれることに安堵を覚えた。




