↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書かねば、残らぬ  作者: とんこつしょうゆ
第三部・第三章『六十日』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/41

抜かした日

永禄元年(1558年) 十二月  京  将軍御所  足利義輝


 京は、思ったより変わっていなかった。


 五年である。二十三になった。出たときは十八であった。


 五年ぶりに入った京は、屋根が減り、辻が広くなり、そのぶん空が大きく見えた。それだけである。


 和睦は、六角の口利きで成った。


 その前に、戦をした。三月に坂本で兵を挙げ、六月に如意ヶ嶽へ上がり、鹿ヶ谷で三好と当たった。こちらが三千、向こうが一万五千である。


 数が違いすぎて、勝ちも負けも決まらぬまま夏が終わった。


 挙げたのは、年号のことである。


 二月に、朝廷が改元した。義輝には、諮りも報せもなかった。改元は武家が執奏し、費えも武家が出す。それを飛ばされた。


 飛ばされて黙っていれば、次からは何もかも飛ばされる。


 だから、出た。


 出て、決まらず、六角の仲介で戻った。戻る条件は、三好を幕府に入れることであった。


 御所へ入って三日目、荷が届いた。


 朽木から運ばせた荷である。武具と、書物と、それから冊子の束であった。


 義輝は、その束の前に座った。


 河鰭が寄越した男が、書いたものである。名を清七という。二年前に来た。十九であった。


 字が下手で、口数が少なく、聞いてもいないことを喋らない。


 その男が、二年、毎日書いた。


 束は、思ったより大きかった。


 義輝は、いちばん上を取って開いた。


  二月十九日。雪。上様、朝、粥。午の刻より、庭にて木刀。四半刻。

  昼、鯉。朽木の使い、二人。話、聞こえず。

  夕、書。何を書かれしかは、伺わず。


 義輝は、次をめくった。


  二月二十日。晴。上様、朝、粥。庭に出られず。

  昼、なし。

  夕、書。


 次も、その次も、同じようなものであった。粥。木刀。使い。書。


 義輝は、しばらくめくり続けた。半刻ほど、そうしていた。


 やがて、束の下のほうを取った。去年の夏である。


  六月四日。如意ヶ嶽。上様、辰の刻に上らる。

  麓に敵、見ゆ。数、知れず。

  上様、二度、陣を出でらる。二度とも、戻らる。

  夜、膳、残さる。


 義輝は、そこで手を止めた。


 あの日のことは、覚えている。麓に三好の旗が見えた。二度、出ようとして、二度、止められた。数が違いすぎた。


 止めたのは晴元で、義輝はそれに従った。従ったことは、覚えている。


 二度出ようとしたことは、覚えていない。膳を残したことも、覚えていない。


 書いてある。


 義輝は、束を横に置いて、しばらく天井を見ていた。


 ――わしは、思うておったより、いろいろやっておった。


 そう思った。


 思って、それから、おかしくなった。


 谷にいた五年、自分は何もしていないと思っていた。何もせずに、ただ待っていたと思っていた。


 冊子には、毎日、何かが書いてある。粥を食い、木刀を振り、使いに会い、書いている。


 やっていた。


 やっていたのに、覚えていない。


 義輝は、束を初めから数え直した。


 二年である。


 朽木にいたのは、五年である。


 三年、書かれていない。


 義輝は、そこで笑うのをやめた。


 河鰭が男を寄越したのは、二年前である。それより前の三年は、誰も書いていない。義輝自身も書いていない。書こうと思ったことはあった。思って、書かなかった。


 書かなかった三年に、何があったか。


 義輝は、思い出そうとした。


 思い出せるのは、四つか五つである。霊山を落とされた。谷へ入った。晴元が来た。冬が寒かった。あと一つ、二つ。


 五年のうちの三年が、それだけになっている。


 ――消えたな。


 義輝は、そう思った。


 七年前、あの少将は谷へ来て、こう言った。書かねば、残りませぬ、と。


 あのとき義輝は、腹が立った。腹が立ったが、言い返せなかった。言い返す材料がなかったからである。


 いまは、材料がある。


 河鰭が御所へ来たのは、それから四日後である。


 二十三になっていた。少将のままである。年に一度か二度しか会わぬから、会うたびに背が伸びている気がしていたが、もう止まったらしい。


「上様」


「河鰭」


「御帰洛、恐悦に存じ奉ります」


「よい。それより、あれを見た」


 河鰭は、束のほうを見た。


「清七は、いかがでございましたか」


「字が下手じゃ」


「下手に書けと申しました」


「うむ。読めた」


 義輝は、そこで少し間を置いた。


「河鰭。七年前に、そなた、わしに申したな」


「はい」


「書かねば、残りませぬ、と」


 河鰭は、答えなかった。


「あのときは、腹が立った。何も持たぬ者に、紙のことを言われたと思うた」


「……はい」


「いまは、こう思う」


 義輝は、束に手を置いた。


「書いておったら、残っておった」


 河鰭は、頭を下げた。長く下げていた。


 義輝は、それを見ながら、この男に一つだけ言っておこうと思った。


 言っておかねば、この男は自分が寄越したから残った、と思うかもしれぬ。


「河鰭」


「はい」


「これはな、そなたの手柄ではない」


 河鰭が、顔を上げた。


「清七が書いた。毎日、書いた。雪の日も書いた。わしが不機嫌な日も書いた」


「あれは、そなたが命じたからではない。あの男が、日を抜かさなかったからじゃ」


 河鰭は、しばらく黙っていた。


「……父親に、そう言われたそうにございます」


「そうか」


「抜かした日は、無かった日になる、と」


 義輝は、うなずいた。


 その夜、義輝は自分でも書いてみることにした。硯を出し、紙を出し、筆を持った。


 持って、四半刻、何も書けなかった。


 書くことがないのではない。今日は帰洛して七日目で、人に会い、沙汰を出し、束を読んだ。書くことは幾らでもある。


 どう書けばよいのかが、分からなかった。


 義輝は、筆を置いた。置いて、明日、清七に聞くことにした。


 聞くのは、少し恥ずかしい。二十三の将軍が、二十の家司の子に、日記の書き方を聞く。


 恥ずかしいが、聞かねば、また三年が消える。


永禄二年(1559年) 正月  京  内裏  河鰭実初


 足りない額は、大喪の三倍を超えていた。


 実初は、正月の三日前にもう一度組み直した。組み直しても、同じ数が出た。


 物は七割ある。場は修理が要る。銭は、届かない。


 届かないまま、節会を挙げることにした。


 挙げるかどうかを決めたのは、実初ではない。近衛稙家である。


 稙家が京に戻って、ひと月になる。除目が京で動き始めた。動き始めたので、正月の儀も京で挙げる形になった。


 実初は、そこに物を出しただけである。


 出したのは、去年から蔵にあるものである。


 屏風は内蔵寮の古いものを裏返して立てた。三条実香の九冊に、天文五年に同じことをした記があった。幔幕は、大喪で使った分の縁を切り直した。舞人の装束が揃わなかったので、舞を一つ省いた。


 抜くのも、九冊に書いてあった。


 実初は、書いてあるとおりにやった。


 やりながら、自分が何一つ考案していないことに気づいていた。二十三年前に一度やられたことを、そのまま繰り返している。


 繰り返せるのは、書いてあるからである。


 正月一日、節会が挙がった。


 実初は、末席にいた。少将である。前のほうには座らない。座らないところから、殿上を見ていた。


 物は、揃って見えた。


 揃って見えたのは、足りないところに古いものを置いたからである。古いものは、新しいものより格が高く見えることがある。


 裏返した屏風の裏は、表より色が落ちていない。二十三年、裏だったからである。


 式のあいだ、実初はほとんど何も感じなかった。数える癖が出るかと思ったが、出なかった。


 出なかったのは、もう数え終わっていたからである。


 終わって、殿上から下がるとき、後ろで誰かが言った。


「先帝の御代より、立派ではないか」


 実初は、振り向かなかった。


 振り向けば、誰が言ったかが分かる。分かってしまえば、その人の名を覚える。覚えれば、次に使いたくなる。


 言われた言葉のほうが、言った人より大きい。


 三日後、実初は書庫に籠った。


 節会の記を作った。誰が列に立ったか。何の儀が挙がったか。物は何を用いたか。日取りは、旧儀のどおりか。


 書いて、写しを作った。十七通である。


 宛先は、諸国の大名と、大寺と、大社である。安芸、周防、豊後、越後、甲斐、駿河、越前、近江、和泉、紀伊。名の知れた家に、順に。


 文面は、同じにした。


  当年正月、節会、旧儀のまま相調ひ候。

  御記、写し進上仕り候。


 それだけである。


 銭がない、とは書かなかった。助けてくれ、とも書かなかった。


 書いたのは、挙がった、ということだけである。挙がったものの記録を、そのまま送る。読んだ側が何を思うかは、読んだ側が決める。


 姉が、書庫へ来た。


「十七通ですか」


「はい」


「返事は、来ますか」


「来ぬところが、多うございましょう」


「では、なぜ出すのです」


 実初は、写しの束を揃えながら答えた。


「出さねば、来ませぬ」


 清子は、そこで笑わなかった。


「実初。あなたは、この節会に幾ら遣いましたか」


「ほとんど、遣うておりませぬ」


「では、この記に書いてあることは」


「全部、本当にございます」


「本当ですが」


 清子は言った。


「銭がないことを書かねば、読んだ人は、京には銭があると思います」


 実初は、手を止めた。


「思わせておいてよろしいのですか」


 実初は、しばらく答えなかった。


「……よろしくは、ございませぬ」


「では」


「ですが、銭がないと書けば、次は物乞いの文になります」


「一度きりで済ますなら、物乞いのほうが早うございましょう」


「一度では、足りませぬ」


 姉は、そこで束の一通を取り、宛名を見た。


「安芸」


「はい」


「あそこには、もう三度出しています」


「四度目にございます」


 清子は、束を戻した。


「実初。あなた、あの家を待っているのですね」


 実初は、答えなかった。


 待っている。三年、待っている。


 毛利は、防長が静まったと言ってきた。静まったと言ってきたきり、何も言ってこない。


 こちらから額を言えば、値切られる。言わなければ、向こうが決める。それがいちばん高い、と三年前に言継に言った。


 言ったが、三年経っている。


 高いままで、まだ来ていない。


「姉上」


「はい」


「三年前、私は山科さまに、額を書かぬほうが高うございますと申しました」


「聞いています」


「あれは、間違いだったかもしれませぬ」


 清子は、実初を見た。


「そうかもしれません」


 と姉は言った。


「ですが、いま額を書いたら、三年待った意味がなくなります」


「はい」


「それは、意味がなくなるのが嫌なだけです。高いか安いかとは、別の話です」


 実初は、そこで初めて顔を上げた。


 姉の言うとおりであった。


 自分は三年待った。待った分を捨てたくないから、まだ書かないでいる。それは勘定ではない。惜しんでいるだけである。


「……姉上は、こわいことを仰せられます」


「あなたが、そう書けと教えたのです」


 清子は立ち上がった。


「評は書くな、あったことだけを書け、と」


 十七通は、正月十五日に出た。


 実初は、そのうち一通だけ、末尾に一行を足した。安芸行きの分である。


  御服の儀、いまだ調ひ申さず候。


 これは、額ではない。物である。足りないものを一つだけ書いた。


 書いてから、実初は、これが物乞いなのかそうでないのかを、自分で決められなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。