↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書かねば、残らぬ  作者: とんこつしょうゆ
第三部・第二章『崩御』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/41

践祚

弘治三年(1557年) 十月  京  内裏  正親町天皇


 二十四年、この身は何もしてこなかった。


 何もしなかったというのは、怠けていたという意味ではない。することが、なかったのである。宮のうちは、政に関わらぬ。儀にも列さぬ。学び、詠み、写す。それだけを二十四年続けた。四十一になる。


 立太子の礼は、挙がっていない。挙がらぬまま、践祚となった。


 父帝は、譲位を望んでおられた。二十年、望んでおられた。望みを果たされぬまま崩御あそばされたので、この身は、生きておられる父から位を受け取るということを、ついにせずに終わった。


 十月二十七日、践祚の儀が行われた。


 儀といっても、剣璽を渡されるだけのことである。半刻もかからぬ。かからぬのが正しいのであって、即位の礼は別に挙げる。挙げねば、内外に対して帝ではない。


 挙げるには、銭が要る。


 その日から、人が来るようになった。


 二十四年、この身に何かを尋ねる者はいなかった。尋ねられるのは、和歌のことだけであった。それが、十日のあいだに何十人も来た。誰も同じことを言った。恐れながら、いましばらく御辛抱を。恐れながら、御大喪の後に。恐れながら、時世が。


 誰も、いつとは言わなかった。


 言わぬのは、知らぬからである。知らぬから言わぬ。それは分かる。分かるが、二十年待たれた父帝も、同じことを何十人からも言われたのだろうと思うと、この身はその者たちに何も言えなくなった。


 河鰭という少将が参ったのは、践祚の当日である。


 夏に、和歌の話をしに来た者である。三条西の実枝が連れてきた。装束の家の者で、節会の折の袍の色目が歌と合わぬ年がある、というようなことを長々と申した。面白かった。あれは何も求めなかった。


 その者が、践祚の日に参上した。


 この身は、それを聞いて、少し身構えた。求めに来たのだ、と思ったからである。夏に求めなかった者が、今日来た。今日来る者は、皆同じことを言う。恐れながら、いましばらく。


 通した。


 河鰭は、平伏したまま、しばらく顔を上げなかった。


「面を上げよ」


 上げた顔は、二十二か三である。思っていたより若い。夏に会ったときは、もう少し年上に見えた。


「本日は」


「践祚の御慶び、申し上げに参りました」


「それだけか」


「はい」


 この身は、そこで黙った。


 この者は、何も持ってきていない。紙も、書付も、目録もない。手ぶらで参上して、慶びだけを申し上げた。


 二十四年、この身に何も求めずに会いに来た者は、三条西の親子のほかにいない。


 この身は、聞いてみようと思った。


 聞いてはならぬことである。帝が急いてはならぬ。急けば、下の者が無理をする。無理をすれば、儀が崩れる。父帝は、二十年それを守られた。守られて、間に合わなかった。


 守るのが正しいのかどうかを、この身はもう信じていない。


「河鰭」


「はい」


「即位は、いつになる」


 河鰭が、息を吸った音がした。


 この身は、答えを待たなかった。待てば、この者は「恐れながら」と申す。申したら、そこで終わる。だから続けた。


「父帝は、十年待たれた」


 河鰭は、何も言わなかった。


「……」


 その沈黙は、短かった。二つ息をする間もなかった。


「六十日にございます」


 この身は、その者の顔を見た。


 言い直さなかった。付け足しもしなかった。恐れながら、とも申さなかった。六十日、とだけ申して、平伏した。


 しばらく、この身は何も言えなかった。


 六十日という数を、この身は聞いたことがある。践祚から即位まで、最短で六十日。古い書に、そうあるという。あると聞いただけで、実際に六十日で挙がった例を、この身は知らぬ。父帝は十年、その前の帝は二十一年である。


 この者は、それを承知で申したのか。


 承知でなければ、ただの追従である。承知で申したのなら——


「河鰭」


「はい」


「数えて、申したか」


 河鰭が、そのとき初めて、答えるのを遅らせた。


 この身は、待った。


「……数えて、おりませぬ」


 この身は、うなずいた。


 うなずいてから、この者が今日、初めて自分に不利なことを言ったと気づいた。数えて申したと言えばよいのである。それで済む。済んだものを、済ませなかった。


「では、何ゆえ申した」


「口が、先に出ましてございます」


 この身は、笑った。


 笑ったのは、たぶん父帝の崩御からこの方、初めてである。


「そなた、それは約束か」


 河鰭は、平伏したまま答えた。


「約束にございます」


「六十日で挙がらねば、どうなる」


「私が、嘘を申したことになります」


「うむ」


「嘘を申した者の書いたものは、後の世で使われませぬ」


 この身は、その一言を聞いて、この者が何を賭けたのかを知った。


 銭でも、位でもない。この者は、自分の書いたものが後で読まれるかどうかを賭けた。二十四年、何もしてこなかったこの身には、それがどれほどの賭けなのかを測るすべがない。


 測れぬが、軽いものではないことだけは分かる。


「河鰭」


「はい」


「今日、そなたが参ったのは、慶びを申しに参ったのではあるまい」


「……はい」


「では、何をしに参った」


 河鰭は、少し間を置いてから、こう申した。


「お目にかかりに参りました」


 この身は、その者を、しばらく見ていた。


「それだけか」


「それだけにございます。践祚の日に真っ先にせねばならぬことは、これであると、教えられました」


「誰にじゃ」


「書かなかった者に、にございます」


 この身は、意味を問わなかった。問えば、この者は答える。答えさせては、この者が誰かの恥を持ち出したことになる。


「下がってよい」


「はい」


 河鰭が退がったあと、この身は文台に手を置いた。


 六十日である。


 挙がるとは思わぬ。挙がらぬだろうと思う。思うが、この二十日ではじめて、日にちの数を聞いた。何十人が来て、誰も日を言わなかった。一人だけ、日を言った。


 その者は、数えずに言った。


 二十四年、この身は見られる側であった。人が来て、この身を見て、帰る。今日来た者は、見に来たのではない。会いに来た。


 夜、この身は歌を一首詠んだ。


 詠んで、書きつけて、それから消した。


 消したのは、内容が悪かったからではない。帝が待っていると書き残せば、下の者が急ぐからである。父帝は、二十年、一首もそれを詠まれなかった。


 いま、その理由が分かった。


弘治三年〜弘治四年(1557〜1558年) 十一月〜正月  京  河鰭邸  河鰭実初


 八の巻を、初めて紙に落とした。


 二年三か月、頭の中に置いていたものである。写さなかったのは、書き写した瞬間から危険物になるからであった。主上が御存命のうちに次の御代の順を書いた紙は、それだけで不敬である。


 いま、その理由がなくなった。


 実初は、書庫に籠って三日で書き出した。書きながら、自分が一字も忘れていないことに気づいた。気づいて、少し嫌な気持ちになった。忘れていないということは、二年三か月、毎日どこかで繰っていたということである。


 五本の筋になった。


 一つ、物。屏風、御帳、幔幕、楽器、御服。これは去年の春から集めている。内侍所の修理の名目で入れたものが、七割にあたる。残る三割は、大喪で使った。使った分は、作り直さねばならぬ。


 二つ、場。紫宸殿である。修理が要る。修理料の名目は、まだ生きている。


 三つ、銭。足りない。棟別で大喪はしのいだが、あれは一度きりである。即位の費えは、大喪の三倍を超える。


 四つ、日取り。奏請の順がある。八の巻に書いてある。


 五つ、役。


 実初は、五つ目のところで筆を止めた。


 止めたのは、去年の秋にも同じところで止まったからである。


 六の巻に、この家でなければならぬ役が十一ある。


 十一のうち、七つは京にある。残る四つが、京にいない。


 実初は、四家の名を書き出した。書き出して、しばらく見ていた。


 一つは、越前にいる。応仁の頃に下って、戻っていない。二つ目は、和泉。三つ目は、そもそも家が絶えている。絶えた家の役は、近い筋の家が代わりに勤める例が、三条実香の九冊に載っている。載っているので、これは埋まる。


 四つ目が、埋まらない。


 近衛稙家である。


 五十六。前関白。除目を差配する家の当主で、この人が持っている役は、代わりが利かない。摂家の中でも、この役は近衛の当主が勤めると決まっている。決まっているというより、他の誰が勤めても、それは前例のない即位になる。


 その近衛稙家が、朽木にいる。


 実初は、そこで筆を置いた。


 置いて、しばらく動かなかった。


 稙家が朽木にいるのは、上様がおられるからである。上様は五年、朽木におられる。京へ戻られる話は、去年から出ているが、まとまっていない。三好と幕府の話が、まとまらない。


 稙家を京へ呼ぶには、上様の許しが要る。


 上様が京へ戻られれば、稙家も戻る。


 だが、上様が戻られるには、三好が承知せねばならぬ。三好が承知するには、上様が承知せねばならぬ。両方が承知する筋を、この五年、誰も作れていない。


 実初は、そこまで並べて、五つ目の線を見た。


 ――即位の礼が、口実になる。


 思いついたのではない。並べたら、そこにあった。


 御大礼には、近衛の当主が要る。当主を出せと申せば、朽木は出さぬかもしれぬ。出さぬのは、出せば上様の身辺が細るからである。だが、御大礼の役を出さぬ武家は、帝を立てぬ武家になる。


 立てぬ武家である、と京で言われれば、上様は京へ戻る理由を失う。


 だから、上様は稙家を出す。


 出せば、除目を差配する家が京に戻る。戻った家は、京で働き始める。働き始めれば、上様が京にいないことのほうが、不自然になる。


 実初は、そこで手が冷たくなっていることに気づいた。


 冷たいのは、寒いからではなかった。


 四年前、伊勢貞孝に言われた言葉が出てきた。繋いだ橋は、どちらへも渡れる。あのとき実初は、幕府の帳と三好を繋いだ。繋いだ橋を、貞孝が渡った。渡ったのは貞孝の判断で、繋いだのは実初である。


 今度は、繋ぐのではない。


 上様に、御自分で京へ帰る筋を、こちらが作る。


 作ってやるのではない。作った筋を、上様が使うかどうかは上様が決める。決めるのは向こうである。


 ――そう思っている限り、また同じことになる。


 実初は、そう思った。思って、それでも筆を取り直した。


 取り直したのは、代わりの手がないからである。近衛の役は代えられない。代えれば、前例のない即位になる。前例のない即位を挙げれば、次の代でまた揉める。揉めれば、また十年待つ。


 十年待てば、あの方は五十一におなりになる。


 実初は、そこで初めて、六十日と申したことを思い出した。


 思い出して、筆が止まった。


 六十日である。


 物は七割ある。場は修理が要る。銭は足りない。日取りは組める。役は、四家が京にいない。


 どう組んでも、六十日では挙がらない。


 実初は、紙の端に日付を書いた。弘治三年十一月十九日。践祚から二十三日である。残りは、三十七日。


 書いてから、こう足した。


  六十日にては、挙がらず。

  申したのは、私である。


 書いたところで、何も変わらない。変わらないが、書かなければ、後で「あのときは仕方がなかった」と自分に言える。言えてしまう。


 言えないようにしておく。


 実初は、紙を仕舞い、五つ目の筋の続きを書き始めた。近衛稙家をどう京へ戻すかである。


 直に文を出せば、こちらの企てになる。企てになれば、上様が乗らない。


 乗せてはならない。向こうが自分で思いついた形にせねばならぬ。


 思いつかせるには、こちらが言わずに済む相手が要る。京にいて、朽木と話ができて、河鰭の名を出さずに動ける相手。


 実初は、一人しか思い当たらなかった。


 思い当たって、その名を書くまでに、少し時間がかかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。