践祚
弘治三年(1557年) 十月 京 内裏 正親町天皇
二十四年、この身は何もしてこなかった。
何もしなかったというのは、怠けていたという意味ではない。することが、なかったのである。宮のうちは、政に関わらぬ。儀にも列さぬ。学び、詠み、写す。それだけを二十四年続けた。四十一になる。
立太子の礼は、挙がっていない。挙がらぬまま、践祚となった。
父帝は、譲位を望んでおられた。二十年、望んでおられた。望みを果たされぬまま崩御あそばされたので、この身は、生きておられる父から位を受け取るということを、ついにせずに終わった。
十月二十七日、践祚の儀が行われた。
儀といっても、剣璽を渡されるだけのことである。半刻もかからぬ。かからぬのが正しいのであって、即位の礼は別に挙げる。挙げねば、内外に対して帝ではない。
挙げるには、銭が要る。
その日から、人が来るようになった。
二十四年、この身に何かを尋ねる者はいなかった。尋ねられるのは、和歌のことだけであった。それが、十日のあいだに何十人も来た。誰も同じことを言った。恐れながら、いましばらく御辛抱を。恐れながら、御大喪の後に。恐れながら、時世が。
誰も、いつとは言わなかった。
言わぬのは、知らぬからである。知らぬから言わぬ。それは分かる。分かるが、二十年待たれた父帝も、同じことを何十人からも言われたのだろうと思うと、この身はその者たちに何も言えなくなった。
河鰭という少将が参ったのは、践祚の当日である。
夏に、和歌の話をしに来た者である。三条西の実枝が連れてきた。装束の家の者で、節会の折の袍の色目が歌と合わぬ年がある、というようなことを長々と申した。面白かった。あれは何も求めなかった。
その者が、践祚の日に参上した。
この身は、それを聞いて、少し身構えた。求めに来たのだ、と思ったからである。夏に求めなかった者が、今日来た。今日来る者は、皆同じことを言う。恐れながら、いましばらく。
通した。
河鰭は、平伏したまま、しばらく顔を上げなかった。
「面を上げよ」
上げた顔は、二十二か三である。思っていたより若い。夏に会ったときは、もう少し年上に見えた。
「本日は」
「践祚の御慶び、申し上げに参りました」
「それだけか」
「はい」
この身は、そこで黙った。
この者は、何も持ってきていない。紙も、書付も、目録もない。手ぶらで参上して、慶びだけを申し上げた。
二十四年、この身に何も求めずに会いに来た者は、三条西の親子のほかにいない。
この身は、聞いてみようと思った。
聞いてはならぬことである。帝が急いてはならぬ。急けば、下の者が無理をする。無理をすれば、儀が崩れる。父帝は、二十年それを守られた。守られて、間に合わなかった。
守るのが正しいのかどうかを、この身はもう信じていない。
「河鰭」
「はい」
「即位は、いつになる」
河鰭が、息を吸った音がした。
この身は、答えを待たなかった。待てば、この者は「恐れながら」と申す。申したら、そこで終わる。だから続けた。
「父帝は、十年待たれた」
河鰭は、何も言わなかった。
「……」
その沈黙は、短かった。二つ息をする間もなかった。
「六十日にございます」
この身は、その者の顔を見た。
言い直さなかった。付け足しもしなかった。恐れながら、とも申さなかった。六十日、とだけ申して、平伏した。
しばらく、この身は何も言えなかった。
六十日という数を、この身は聞いたことがある。践祚から即位まで、最短で六十日。古い書に、そうあるという。あると聞いただけで、実際に六十日で挙がった例を、この身は知らぬ。父帝は十年、その前の帝は二十一年である。
この者は、それを承知で申したのか。
承知でなければ、ただの追従である。承知で申したのなら——
「河鰭」
「はい」
「数えて、申したか」
河鰭が、そのとき初めて、答えるのを遅らせた。
この身は、待った。
「……数えて、おりませぬ」
この身は、うなずいた。
うなずいてから、この者が今日、初めて自分に不利なことを言ったと気づいた。数えて申したと言えばよいのである。それで済む。済んだものを、済ませなかった。
「では、何ゆえ申した」
「口が、先に出ましてございます」
この身は、笑った。
笑ったのは、たぶん父帝の崩御からこの方、初めてである。
「そなた、それは約束か」
河鰭は、平伏したまま答えた。
「約束にございます」
「六十日で挙がらねば、どうなる」
「私が、嘘を申したことになります」
「うむ」
「嘘を申した者の書いたものは、後の世で使われませぬ」
この身は、その一言を聞いて、この者が何を賭けたのかを知った。
銭でも、位でもない。この者は、自分の書いたものが後で読まれるかどうかを賭けた。二十四年、何もしてこなかったこの身には、それがどれほどの賭けなのかを測るすべがない。
測れぬが、軽いものではないことだけは分かる。
「河鰭」
「はい」
「今日、そなたが参ったのは、慶びを申しに参ったのではあるまい」
「……はい」
「では、何をしに参った」
河鰭は、少し間を置いてから、こう申した。
「お目にかかりに参りました」
この身は、その者を、しばらく見ていた。
「それだけか」
「それだけにございます。践祚の日に真っ先にせねばならぬことは、これであると、教えられました」
「誰にじゃ」
「書かなかった者に、にございます」
この身は、意味を問わなかった。問えば、この者は答える。答えさせては、この者が誰かの恥を持ち出したことになる。
「下がってよい」
「はい」
河鰭が退がったあと、この身は文台に手を置いた。
六十日である。
挙がるとは思わぬ。挙がらぬだろうと思う。思うが、この二十日ではじめて、日にちの数を聞いた。何十人が来て、誰も日を言わなかった。一人だけ、日を言った。
その者は、数えずに言った。
二十四年、この身は見られる側であった。人が来て、この身を見て、帰る。今日来た者は、見に来たのではない。会いに来た。
夜、この身は歌を一首詠んだ。
詠んで、書きつけて、それから消した。
消したのは、内容が悪かったからではない。帝が待っていると書き残せば、下の者が急ぐからである。父帝は、二十年、一首もそれを詠まれなかった。
いま、その理由が分かった。
弘治三年〜弘治四年(1557〜1558年) 十一月〜正月 京 河鰭邸 河鰭実初
八の巻を、初めて紙に落とした。
二年三か月、頭の中に置いていたものである。写さなかったのは、書き写した瞬間から危険物になるからであった。主上が御存命のうちに次の御代の順を書いた紙は、それだけで不敬である。
いま、その理由がなくなった。
実初は、書庫に籠って三日で書き出した。書きながら、自分が一字も忘れていないことに気づいた。気づいて、少し嫌な気持ちになった。忘れていないということは、二年三か月、毎日どこかで繰っていたということである。
五本の筋になった。
一つ、物。屏風、御帳、幔幕、楽器、御服。これは去年の春から集めている。内侍所の修理の名目で入れたものが、七割にあたる。残る三割は、大喪で使った。使った分は、作り直さねばならぬ。
二つ、場。紫宸殿である。修理が要る。修理料の名目は、まだ生きている。
三つ、銭。足りない。棟別で大喪はしのいだが、あれは一度きりである。即位の費えは、大喪の三倍を超える。
四つ、日取り。奏請の順がある。八の巻に書いてある。
五つ、役。
実初は、五つ目のところで筆を止めた。
止めたのは、去年の秋にも同じところで止まったからである。
六の巻に、この家でなければならぬ役が十一ある。
十一のうち、七つは京にある。残る四つが、京にいない。
実初は、四家の名を書き出した。書き出して、しばらく見ていた。
一つは、越前にいる。応仁の頃に下って、戻っていない。二つ目は、和泉。三つ目は、そもそも家が絶えている。絶えた家の役は、近い筋の家が代わりに勤める例が、三条実香の九冊に載っている。載っているので、これは埋まる。
四つ目が、埋まらない。
近衛稙家である。
五十六。前関白。除目を差配する家の当主で、この人が持っている役は、代わりが利かない。摂家の中でも、この役は近衛の当主が勤めると決まっている。決まっているというより、他の誰が勤めても、それは前例のない即位になる。
その近衛稙家が、朽木にいる。
実初は、そこで筆を置いた。
置いて、しばらく動かなかった。
稙家が朽木にいるのは、上様がおられるからである。上様は五年、朽木におられる。京へ戻られる話は、去年から出ているが、まとまっていない。三好と幕府の話が、まとまらない。
稙家を京へ呼ぶには、上様の許しが要る。
上様が京へ戻られれば、稙家も戻る。
だが、上様が戻られるには、三好が承知せねばならぬ。三好が承知するには、上様が承知せねばならぬ。両方が承知する筋を、この五年、誰も作れていない。
実初は、そこまで並べて、五つ目の線を見た。
――即位の礼が、口実になる。
思いついたのではない。並べたら、そこにあった。
御大礼には、近衛の当主が要る。当主を出せと申せば、朽木は出さぬかもしれぬ。出さぬのは、出せば上様の身辺が細るからである。だが、御大礼の役を出さぬ武家は、帝を立てぬ武家になる。
立てぬ武家である、と京で言われれば、上様は京へ戻る理由を失う。
だから、上様は稙家を出す。
出せば、除目を差配する家が京に戻る。戻った家は、京で働き始める。働き始めれば、上様が京にいないことのほうが、不自然になる。
実初は、そこで手が冷たくなっていることに気づいた。
冷たいのは、寒いからではなかった。
四年前、伊勢貞孝に言われた言葉が出てきた。繋いだ橋は、どちらへも渡れる。あのとき実初は、幕府の帳と三好を繋いだ。繋いだ橋を、貞孝が渡った。渡ったのは貞孝の判断で、繋いだのは実初である。
今度は、繋ぐのではない。
上様に、御自分で京へ帰る筋を、こちらが作る。
作ってやるのではない。作った筋を、上様が使うかどうかは上様が決める。決めるのは向こうである。
――そう思っている限り、また同じことになる。
実初は、そう思った。思って、それでも筆を取り直した。
取り直したのは、代わりの手がないからである。近衛の役は代えられない。代えれば、前例のない即位になる。前例のない即位を挙げれば、次の代でまた揉める。揉めれば、また十年待つ。
十年待てば、あの方は五十一におなりになる。
実初は、そこで初めて、六十日と申したことを思い出した。
思い出して、筆が止まった。
六十日である。
物は七割ある。場は修理が要る。銭は足りない。日取りは組める。役は、四家が京にいない。
どう組んでも、六十日では挙がらない。
実初は、紙の端に日付を書いた。弘治三年十一月十九日。践祚から二十三日である。残りは、三十七日。
書いてから、こう足した。
六十日にては、挙がらず。
申したのは、私である。
書いたところで、何も変わらない。変わらないが、書かなければ、後で「あのときは仕方がなかった」と自分に言える。言えてしまう。
言えないようにしておく。
実初は、紙を仕舞い、五つ目の筋の続きを書き始めた。近衛稙家をどう京へ戻すかである。
直に文を出せば、こちらの企てになる。企てになれば、上様が乗らない。
乗せてはならない。向こうが自分で思いついた形にせねばならぬ。
思いつかせるには、こちらが言わずに済む相手が要る。京にいて、朽木と話ができて、河鰭の名を出さずに動ける相手。
実初は、一人しか思い当たらなかった。
思い当たって、その名を書くまでに、少し時間がかかった。




