紙の縁
弘治三年(1557年) 九月 京 内裏 河鰭清子
その朝、清子は指の関節が痛んだ。
四十になる。三年ほど前から、雨の前に指が痛む。今日は晴れていた。
晴れているのに痛むのは珍しいと思って、そのまま袖に手を入れた。
九月五日である。
主上が崩御あそばされたのは、その日の暮れ方であった。宝算六十二。御在位三十一年。
奥に、声が満ちた。満ちて、すぐに引いた。声を出してはならぬからである。
清子は、女房たちが袖を噛んで泣くのを、いくつも見た。
自分は、泣かなかった。
泣かなかったのは、悲しくないからではない。手が動いていたからである。
灯を替え、几帳を寄せ、白い物を出し、人を呼びに走らせた。手が動いているあいだ、清子は何も思わなかった。
四つの年から数える弟と、同じ仕組みなのかもしれないと、あとで思った。
夜半、局に戻った。座って、袖から手を出した。指が、まだ痛んでいた。
清子は、そこで初めて、譲位のことを思った。
主上は、譲位を望んでおられた。望んでおられたことを、奥の者は皆知っていた。二十年、望んでおられた。挙げる銭がないから、挙がらなかった。
挙がらぬまま、崩御あそばされた。
譲位というのは、生きているうちにしかできぬものである。
清子は、その当たり前のことを、四十になって初めて身に沁みて思った。
挙がらなかったのではない。間に合わなかったのである。
十七年前を、思い出した。
天文九年、疫病が流行った年である。主上は御自ら般若心経を書写された。諸国の一宮へ奉納するためである。
銭は出せなかった。兵も出せなかった。書くことしか、できることがなかった。
清子は、あのとき紙を運んだ。二十三であった。
紙は、思ったより重かった。一束で腕が痺れた。運びながら、これで疫病が止むとは、どうしても思えなかった。
思えないまま運んで、廊下の角で一度、腕を持ち替えた。
そのときの、紙の縁が指に食い込む感じを、清子はいまでも覚えている。
覚えているのは、その一点だけである。主上の御姿も、その日の天気も、誰と一緒に運んだかも、覚えていない。紙の縁だけを覚えている。
――止まらぬと思いながら、運びました。
清子は、暗い局でそう思った。
止まらなかった。疫病は、その年も次の年も出た。書いても止まらなかった。
だが、あの写経は残っている。諸国の一宮に、いまも在る。
残っていることに何の意味があるのかを、清子は二十三のときには考えなかった。四十のいま、考えた。考えて、答えは出なかった。
弟なら、何と言うだろうか。
あの子は、書かねば残らぬと言う。書いても残るとは限らぬとも言う。読む者を得ねば効かぬとも言う。
全部、あの子が自分で見つけたことである。
だが、あの子は十七年前にいなかった。五つであった。
紙を運んだのは、自分である。
清子は、そこでようやく、涙が出た。
出てから、これは主上のための涙ではないと気づいた。
二十三の自分が、腕を痺れさせながら、無駄だと思って運んでいた。それが可哀想だったのである。
――無駄では、なかったのですよ。
誰に言うともなく、清子はそう思った。思ってから、それも本当かどうか分からぬと思い直した。
明け方、弟が来た。
母屋ではなく、局のほうへ来た。表の沙汰は、もう出ている。実初は白いものを着ていた。
「姉上」
「はい」
実初は、そこで何も言わなかった。座って、清子の顔を見て、それから廊下のほうを見た。
清子は、弟がこの一年、何の支度をしていたかを知っている。中は見ていない。中を見ずに、九の巻を預かっている。
いま、その支度が要る日になった。
弟は、そのことを一言も言わなかった。
言わないでいるのが、この子には難しいはずである。清子には、それが分かる。
四つの年から数えている子が、数え終わったことを口に出さずに座っている。
「実初」
「はい」
「今日は、数えないでいなさい」
弟は、しばらく黙っていた。
「……はい」
「明日から、いくらでも数えられます」
弟は、うなずいた。うなずいて、それから、こう言った。
「姉上。指が、お痛みですか」
清子は、袖の中の手を見た。自分でも気づかぬうちに、右手で左手を握っていた。
「よく気がつきますね」
「昔から、気がつきます」
弟は、そう言った。
清子は、笑いかけて、やめた。やめて、弟の隣に座り直した。
二人とも、それきり何も言わなかった。
外が白んできて、蔀を上げる音が、どこか遠くでした。
弘治三年(1557年) 九月 京 山科邸 山科言継
算木を出したのは、九月七日の朝である。
言継は五十一になる。大喪の費えを組むのは初めてであった。組んだことのある者が、京に一人もいない。
前の御大喪は大永六年で、三十一年前である。当時の勘例は、内蔵寮の櫃に入っている。入っているが、額の欄が半分虫に食われていた。
それでも、組んだ。
三日で、足りぬ額が出た。
言継は、その数を三度検めた。三度とも同じ数が出た。出たので、算木を払って、目を閉じた。
足りぬ分は、修理料にある。
内侍所の修理に積んだ分である。去年の秋から入り続けている。板も絹も、もう蔵に入っている。銭も、まだいくらか残っている。
あれを回せば、届く。
言継は、目を開けた。
――回せぬ。
修理料は修理にしか使わぬ。それは初めに決めた。決めたのは自分である。
名目のついた銭を他へ回せば、次から名目が立たなくなる。だから一度も回さなかった。回さなかったから、二十年戻らなかった御料所が三か所戻った。
旗を立てたのは、言継である。
立てた旗に、いま自分が縛られている。
言継は、その日の午後に禁裏へ出た。出て、口には出さなかった。
口に出せば、誰かが「では回せ」と言う。言われれば、断る筋を立てねばならぬ。断る筋を立てているうちに、大喪が遅れる。
夕方、河鰭が来た。
呼んでいない。二十二になるこの男は、呼ばぬときに来る。来るのは、たいてい先に数え終わっているときである。
「山科さま」
「少将どの」
言継は、算木を出したまま座っていた。河鰭は、それを見た。
「足りませぬか」
「足りぬ」
「幾ら」
言継は、額を言った。
河鰭は、うなずいた。うなずいただけで、驚かなかった。
「少将どの」
「はい」
「言うておくが、修理料は使わぬ」
河鰭は、答えなかった。
「そなたが最初に申したことじゃ。名目のついた銭を回せば、次から名目が立たぬ、と」
「申しました」
「わしは、それを二年守った」
「はい」
「守ったから、いま届かぬ」
言継は、そこで初めて河鰭を見た。
「少将どの。わしは、正しいことをして、間に合わぬのか」
河鰭は、しばらく黙っていた。
「山科さま」
「うむ」
「修理料は、使えませぬ」
「分かっておる」
「使えませぬが、修理料で買ったものは、蔵にございます」
言継は、動かなかった。
「板が、あります。絹が、あります。笙の竹管も、揃うております」
「……少将どの」
「大喪に要るものと、御修理に要るものは、半分ほど重なります」
言継は、算木に手を伸ばしかけて、やめた。
「そなた」
「はい」
「この春に、わしが檜が多いと申したな」
「申されました」
「あのとき、そなたは何を作っておった」
河鰭は、そこで初めて言葉に詰まったように見えた。詰まったのではなく、言い方を選んでいるのだと、言継には分かった。
「内侍所の御修理にございます」
「まだそれを申すか」
「それしか、申せませぬ」
言継は、笑わなかった。
この男は、去年から大礼の物を集めていた。集めた名目は内侍所の修理である。
主上は御存命であられた。御存命のうちに次の御代の支度をしていたことになる。
それが世に出れば、この男は終わりである。
いま、その物が、大喪の役に立つ。
役に立つから、誰も名目を問わない。
「少将どの」
「はい」
「そなた、これを見越しておったか」
「見越しておりませぬ」
河鰭は、即座に答えた。
「見ていないものは、数えられませぬ。主上の御命日を、私は数えておりませぬ」
言継は、その答え方を聞いて、九年前を思い出した。総額を写しに書かなかった童である。書けるものと書けぬものを、当時から分けていた。
「では、なぜ集めた」
「六十日にございます」
言継は、聞き返さなかった。聞き返さなくても分かった。
践祚から即位まで、最短で六十日。物が揃うている場合に限る。揃っていなければ、揃えるだけの日を足す。前の御代は十年、その前は二十一年かかった。
この男は、日数を短くするために、物を先に積んでいた。誰の御代のためかは、決めていない。決めずに積んでいた。
「少将どの」
「はい」
「わしは、そなたの名目を問わぬ」
「はい」
「じゃが、帳には修理料と書く。使うたのは大喪と書く。名目が違うたことは、書く」
河鰭は、頭を下げた。
「そのほうが、後で助かります」
言継は、算木を仕舞った。
仕舞ってから、この春に自分が書かなかった一行のことを思った。あれは落とした。今度は落とさない。
落とさぬ代わりに、名目の違いだけを書いて、なぜ違ったかは書かない。
書かねば残らぬ、と河鰭は言う。
だが、残せば咎められるものもある。咎められぬ形にして残すのが、帳をつける者の仕事である。
三十年やってきて、言継はそれを今日はっきり言葉にした。
弘治三年(1557年) 九月〜十月 京 三好邸ほか 松永久秀
河鰭が走ってきた、と聞いて、久秀はまず日を確かめた。
崩御から九日である。早い。早すぎる。喪の沙汰も出そろっていない。
久秀は五十になる。二十年、京の周りを見てきた。
公家が武家のところへ銭の話に来るのは珍しくない。珍しくないが、たいてい遅い。遅くなってから来て、額を言えず、家格の話をして帰る。
河鰭は、座るなり額を言った。
「大喪の費え、不足の分にございます」
そして、費目ごとに数を並べた。
紙を見ていない。懐から出しもしない。
棺の材、これだけ。人夫、これだけ。僧の布施、これだけ。運送、これだけ。十七の費目を、順に、間を置かずに言った。
久秀は、途中から数えるのをやめた。
言い終わって、河鰭は黙った。
「少将どの」
「はい」
「なぜ、額を御存じにございます」
河鰭は、答えなかった。
久秀は、それでよいと思った。答えれば嘘になる。この男は、久秀の前で一度も嘘を言っていない。言わずに済ませる手を、いくつも持っているからである。
「三十一年前の勘例は、虫が食うておりましょう」
「食うております」
「では、どこから」
「足りぬところは、私が組みました」
「組んだ額を、いま暗誦なされたか」
「はい」
久秀は、扇で膝を叩いた。
この男は、去年から物を積んでいる。それは久秀も知っていた。名目は内侍所の修理で、帳には全部載っている。載っているから咎めようがない。
咎めようがないものを、久秀は咎めずに眺めていた。眺めていて、何を作っているのかは分からなかった。
いま、分かった。
――こやつ、間に合わせたな。
久秀は、そう思った。思って、少し面白くなくなった。
面白くないのは、この男が主上の御命日を待っていたからではない。待っていなかったからである。
待っていた者なら、読める。待っていない者が、いつ来るとも知れぬ日のために三年積むというのは、久秀の帳にない項目であった。
「少将どの」
「はい」
「当方が出すと、思うておられるか」
「思うておりませぬ」
「では、なにゆえ参られた」
「三好さまが出されるのではございませぬ。洛中が出します」
久秀は、扇を止めた。
「棟別」
「はい」
「――少将どの。それは、当方が申すことにござる」
「申していただきとうございます」
久秀は、しばらく河鰭を見ていた。
棟別銭は、家ごとにかける税である。洛中は広い。町衆は銭を持っている。持っているが、出させるには理由が要る。
三好が理由もなく洛中に税をかければ、それは占領である。
主上の御大喪となれば、話が別になる。
出さぬ者は、帝を葬らぬ者になる。
「よう考えられた」
「三好さまでなければ、できませぬ」
「褒めても、額は下がりませぬぞ」
「褒めておりませぬ。三好さま以外の家では、洛中が言うことを聞きませぬ」
久秀は、笑った。
この男は、褒めるのが下手である。下手なのを承知で言っている。承知で言うから、こちらは断りにくい。
「一つ、伺うてよろしいか」
「はい」
「少将どの。上様は、朽木におられる」
河鰭が、動かなかった。
「本来、御大喪の費えを差配なさるのは、武家の棟梁にござる。上様が京におられぬゆえ、当方が出す。出せば、洛中は当方の沙汰で動く」
「はい」
「それは、上様の御立場を、いよいよ細うすることになりますが」
河鰭は、しばらく黙っていた。
「存じております」
「存じておって、参られたか」
「はい」
久秀は、うなずいた。
この答え方を、久秀は覚えている。四年前にも同じ答え方をした。あのとき久秀は、この男を面白いと思った。
いまは、面白いとは思わなかった。
長慶が棟別を課したのは、十月に入ってからである。
洛中の町ごとに割り、日を切った。名目は御大喪の費えである。差配は三好、取次に河鰭少将の名が入った。
書付が回った日、久秀は市中を歩いた。
弘治三年(1557年) 十月 京 室町 小山 小山宗琢
小山宗琢の店に、久秀が入ってきたのは夕方である。
宗琢は、この男を知っていた。知っているが、店に来られたのは初めてである。質屋に武家が来るときは、たいてい碌な話ではない。
「棟別を、どう思う」
久秀は、座りもせずにそう聞いた。
宗琢は、茶を出させてから答えた。
「出しまする」
「不服はないか」
「ございます」
「申せ」
宗琢は、少し考えた。考えて、商いの言い方に直した。
「額は、高うございます。手前どもの町で、去年の礼銭の三倍にあたります」
「うむ」
「ですが、名目が立っております」
「名目」
「主上の御葬にございます。出さぬ者は、町で顔が立ちませぬ」
久秀は、そこで初めて笑った。
「町で顔が立たぬのが、いちばん高いか」
「いちばん高うございます」
宗琢はうなずいた。
「銭は、また稼げます。顔は、稼げませぬ」
久秀が出ていったあと、宗琢は帳を開いた。
春に、河鰭の少将から言われたことを書き付けてある。
一度きりでは献金、続けば勤め。
あのときは、半分も分からなかった。
いまも、半分しか分からない。分からないが、今度の棟別は一度きりである。一度きりのものは、銭にしかならない。
宗琢は、筆を取り、その下に一行足した。
続けたる者、いまだ無し。




