読む者、遣はし候
弘治三年(1557年) 二月 京 河鰭邸 / 近江高島郡 朽木谷 河鰭清七
父に呼ばれたのは、朝の暗いうちだった。
清七は十九になる。この屋敷で生まれて、この屋敷で育った。
父の清六は家司で、七十を過ぎている。清七は五番目の子で、上の四人はみな死ぬか出るかした。だから家司の次は自分だと、なんとなく思っていた。
思っていたが、誰にもそう言われたことはない。
「清七」
「はい」
「若君が、お呼びじゃ」
父は、それだけ言った。言ってから、清七の袖を見た。
袖の端がほつれているのを、清七はそのとき初めて気がついた。
「そのままでよい」
と父は言った。
「直しておる暇はない」
書庫に、少将さまがいた。
清七は、この方が怖い。怒られたことは一度もない。声を荒げるところも見たことがない。それでも怖い。
父が三十年仕えている人で、父はこの方の話をするとき、なぜか少し声を落とす。
「清七」
「はい」
「近江へ、行ってもらいます」
清七は、返事ができなかった。近江という言葉が、すぐには自分と結びつかなかった。
「朽木谷にございます。上様が、おられます」
「……上様」
「四年、あちらにおられます。そなたには、書いていただきます」
清七は、膝に手を置いた。置いてから、これは何かの間違いではないかと思った。
自分は字が書ける。父に習った。書けるが、それは帳に品と数を書けるという意味であって、上様のことを書くというのは、まるで別の話に聞こえた。
「あの、少将さま」
「はい」
「手前は、字が下手にございます」
「存じております」
清七は、黙った。
「下手でよいのです」
少将さまは、そう言った。
「上手な者は、上手に書こうとします。上手に書こうとすると、書かなくてよいことを書き、書かねばならぬことを落とします」
清七には、その意味が半分も分からなかった。分からなかったので、聞いた。
「では、何を書けばよろしいのでございますか」
「全部です」
「全部」
「上様が、どこへ行かれたか。誰と会われたか。何を仰せられたか。何刻に起きられて、何を召し上がったか。全部です」
清七は、うなずいた。うなずいてから、また分からなくなった。
「あの、それは、面白うない話も書きますので」
「面白うない話を、いちばん多く書いてください」
そして、少将さまはこう続けた。
「評は、書かぬこと」
清七は、顔を上げた。
「上様が御立派であられた、とか、あの日はよろしくなかった、とか。そういうことは、一切書かぬこと。書くのは、あったことだけです」
「……それでは、読んでも、何も分かりませぬ」
言ってから、清七は自分が言い返したことに気づいて、青くなった。
少将さまは、怒らなかった。
「分からぬままでよいのです」
と、その方は言った。
「そなたが分かるように書けば、それはそなたの見方になります。二十年後に読む者は、そなたの見方など要りませぬ。その日、何があったかだけを要ります」
「二十年後」
「はい」
清七は、そこで初めて、自分が二十年後の話をされていることに気がついた。
気がついてから、一つ腑に落ちないことがあった。
「少将さま。上様は、読む者が欲しいと仰せなのではございませぬか」
少将さまは、しばらく黙っていた。
「そう申された」
「では、手前は」
「上様に、御自分を読んでいただきます」
清七には、意味が取れなかった。
「人は、その日のうちには自分を読めませぬ」
少将さまは、そう続けた。
「三年経てば、読めます。三年経ったときに読むものが無ければ、その三年は無かったことになります」
清七は、うなずいた。うなずいたが、まだ半分も分からなかった。
分からないまま覚えておこう、と思った。
自分は三十九になっている。父は、たぶんもういない。少将さまは四十二になっている。誰かが、自分の書いたものを読む。
その誰かが、誰なのかは分からない。
支度は、父がした。
紙と墨と、替えの筆を三本。清七が「三本も要りませぬ」と言うと、父は「四年おるかもしれん」と言った。
「父上」
「なんじゃ」
「なぜ、手前なのでございますか」
父は、荷を縛る手を止めなかった。
「わしが、若君に申した」
「……父上が」
「三十年、この家におる。この家は、書く者を出す家じゃ。出す家が、書く者を一人も出さんのは、おかしい」
清七は、そこで父の背中を見た。ずいぶん小さくなっている。
父は、荷を縛り終えてから、こう言った。
「清七。字は、下手でよい。じゃが、日を抜かすな。抜かした日は、無かった日になる」
朽木谷に着いたのは、二月の末である。
谷は狭く、雪が残っていた。将軍御所と聞いていたが、館は、京の中くらいの武家屋敷ほどしかない。警固の者が四人、門のところに立っていた。
清七は、文を差し出した。少将さまが持たせた、一行だけの文である。
読む者、遣はし候。
中へ通されるまで、しばらくかかった。
通された部屋に、若い男が座っていた。二十二か、三か。清七より少し上に見える。木刀が、脇に置いてあった。
その人は、清七の顔を見て、それから文を見た。文を見て、また清七を見た。
「そなたが、読む者か」
清七は、平伏した。平伏したまま、こう答えた。
「読む者ではございませぬ。書く者にございます」
しばらく、返事がなかった。
清七が顔を上げると、その人は笑っていた。笑いながら、目のあたりを袖で拭っていた。
弘治三年(1557年) 四月 京 山科邸 山科言継
気づいたのは、算木を出したときである。
言継は五十一になる。内侍所の修理が始まって、三年になった。
十年止まっていたものが動き出したのは、去年の秋の御料所の分が入ったからで、その筋を作ったのは河鰭である。
修理料は修理にしか使わぬ。それは初めに決めた。決めたのは言継で、決めさせたのは河鰭である。
名目のついた銭を他へ回せば、次から名目が立たなくなる。それだけの話であった。
だから、帳は合っている。
合っているのに、言継は算木を出したまま、しばらく置いていた。
板が入っている。檜である。内侍所の床の張り替えに要る量より、多い。
絹が入っている。修理に絹は要らぬ。壁代を新調するとあったが、内侍所の壁代にしては、色が濃すぎる。
そして、笙である。
三月に、楽人の家へ竹管の注文が回っていた。名目は「内侍所御修理に伴ふ、御神楽の具の繕ひ」である。
繕いなら、傷んだ管だけを替えればよい。注文は、一具まるごとであった。
言継は、算木を戻した。
――これは、帳外じゃ。
そう思いかけて、言継は止まった。
帳外ではない。帳外とは、帳に載らぬ銭のことである。
この物は、全部帳に載っている。名目も、額も、日付も、受け取った家の名も載っている。言継が自分で判を据えたものばかりである。
載っている。載っているが、修理には要らぬものが、修理の名目で作られている。
言継は、その日の夕方に河鰭を呼んだ。
来たのは、二十二になる男である。少将になって二年になるが、来るときの様子は十一のころと変わらない。用が済むと帰る。帰る前に、必ず一度だけ余計なことを聞く。
「少将どの」
「はい」
「檜が、多いな」
河鰭は、答えなかった。
「絹の色が、濃い」
「はい」
「笙は、一具まるごと替えるものではない」
「さようにございます」
言継は、そこで少し待った。待ったが、河鰭は続けなかった。
「そなた、何を作っておる」
「内侍所の御修理にございます」
「わしに、それを申すか」
「山科さまに申し上げております」
言継は、扇を膝に置いた。
「河鰭家は、幾ら出した」
「一文も出しておりませぬ」
「では、誰が出しておる」
「出しておるのは、御料所の分と、本願寺の献金にございます。額も名目も、山科さまの帳に載っております」
「ならば、そなたは何をしておる」
「札を出しております」
言継は、その一言で分かった。
河鰭は、銭を出していない。銭を集めてもいない。名目を書いた札を、方々へ出しているだけである。
この物は内侍所の修理に要る、と書いた紙を。書いた紙が回れば、物が動く。物が動いたことは帳に載る。載った物は、そこに在ることになる。
在る物を、後から何に使うかは、そのとき決めればよい。
「少将どの」
「はい」
「口には出すなよ」
「出しませぬ」
「わしも出さぬ」
言継は、そう言った。
言ってから、これで自分も同じ側に立ったと思った。立ったが、驚きはしなかった。
十一年前に、この子に十日の期限を切ったのは自分である。切った日から、こうなる筋はあった。
「一つだけ、聞く」
「はい」
「なぜ、いまじゃ」
河鰭は、初めて少し間を置いた。
「三条の大殿が、九十に近うおなりにございます」
言継は、河鰭を見た。
「大殿から、九冊、頂戴いたしました」
「……あれを、出したか」
「はい」
「わしは、三度に一度しか見せてもらえなんだ」
「山科さまは、銭の巻だけ御覧になったと、大殿は仰せでした」
言継は、笑わなかった。
あの老人は、十九年かけて何かを書いていた。書いていることは知っていた。知っていて、言継は銭の巻だけを見た。見て、それで足りると思った。
足りなかった。
足りないと分かったのが、五十一である。
三十年、内蔵寮の帳をつけてきて、十七度あの屋敷へ通って、五度中へ入って、見るものを間違えた。
間違えたのは、この子のせいではない。
「少将どの」
「はい」
「大殿は、なんと申された」
河鰭は、そこで初めて言葉を選んだような顔をした。
「十九年前に、書かなんだ者が、家を空けましてございます」
言継は、しばらく黙っていた。
その夜、言継は帳をつけた。四月の条である。
内侍所御修理の入目。檜、絹、笙の竹管。額を書き、日付を書き、受け取った家の名を書いた。全部、いつもどおりに書いた。
書き終えて、言継は筆を止めた。
河鰭が来たことを、書いていない。
書けば残る。残れば、二十年後に誰かが読む。読んだ者は、弘治三年四月に山科言継が何に気づいたかを知る。
知られて困ることは何もない。何もないが、河鰭が何を作っていたかまで、その者は数えられてしまう。
言継は、筆を置いた。
置いてから、これが自分の三十年で初めての、意図して落とした一行だと気づいた。
父の代から山科の帳は、来た者を全部書く。それが家の値である。
言継は、その値を、今日一つ下げた。
第三部第一章『門跡』 了




