値
弘治二年(1556年) 三月 京 室町 小山宗琢
使いは、朝のうちに来た。大坂からである。
小山宗琢は質を商う。銭を貸し、物を預かり、預かった物に値をつける。三十年、それだけをしてきた男である。だから値のつかぬものの話は、たいてい宗琢のところへ回ってくる。
来たのは坊官ではなく、堺の商人だった。そのほうが話が早いと向こうも思ったのだろう。宗琢もそう思った。
「格を、お求めにございます」
「格」
「門跡の、格を」
宗琢は茶を飲んだ。飲みながら、これは自分の手に余ると思い、それから、手に余るからこそ回ってきたのだとも思った。
本願寺には銭がある。畿内でいちばんある。門徒が出すからである。国が出さぬものを門徒が出し、その銭で寺は寺の外まで動く。動くが、格だけは動かない。
「幾らまで、出されます」
「限りは、伺うておりませぬ」
限りがない、という返事を、宗琢は三十年で初めて聞いた。値のつかぬものは幾らでも見てきたが、値の上のほうが空いている品は初めてである。
二日おいて、宗琢は河鰭邸へ行った。
庭に南天が一本。厩に馬。十年前に来たときは、この家に馬はいなかった。案内に出た家司はひどく老いていて、宗琢の顔を見ると、少し笑った。
奥から出てきた男は、二十一になっていた。
「小山」
「お久しゅうございます、少将さま」
宗琢は、そこで少し話を回した。近ごろ室町の商いが細いこと、去年の秋の相場のこと、堺の者が急に強気になったこと。用件を先に言わないのは、商いの癖である。値を言うほうが負けるからだ。
河鰭は、黙って聞いていた。聞き終えてから、
「本願寺にございますね」
宗琢は、口を閉じた。
「……なぜ、お分かりに」
「限りを申されぬ相手は、あそこだけにございます」
宗琢は、自分がまだ本願寺の名を出していないことを確かめた。出していなかった。
「では、話が早うございます。幾らまでなら」
「銭では出ませぬ」
河鰭は、そう言った。
「門跡は、御血筋にございます」
宗琢には、その一言の意味が取れなかった。取れないので、聞き返した。
「血筋は、買えぬということにございますか」
「血筋は、繕えます」
宗琢は、顔を上げた。
「摂家か、それに次ぐ家の猶子となれば、筋は立ちます。養子でなくてよろしい。名の上だけで足ります」
「……では、買えるのではございませぬか」
「猶子を受ける家に、受ける理由が要ります」
河鰭は、そう言った。
「銭は、理由になりませぬ。銭で受ければ、受けた家の格が下がります。下がるほうが高くつきますゆえ、どの家も受けませぬ」
宗琢は、そこでようやく半分だけ分かった。
分かったが、困った。困ったのは、値が立たないからではない。値の立つところが、自分の商いの外にあるからである。
三十年やってきて、いちばん困る返事である。
「では、その理由と申しますのは」
「勤めにございます」
「……少将さま。手前は、値のつかぬものに値をつけて食うております」
「存じております」
「十年前、この家の紙に値をつけたのも手前にございます」
「覚えております」
「では、なにゆえ今度は」
河鰭は、少し間を置いた。
「小山。献金と勤めは、別のものにございます」
「はい」
「一度きりで出されたものは、献金にございます。銭にございます。銭は、いくら大きくても、銭にしかなりませぬ」
宗琢は、うなずいた。半分も分からずにうなずいた。
「続けば、勤めにございます」
河鰭は、そこで初めて宗琢を見た。
「勤めは、帳に載ります。載った家は、その勤めを持つ家になります。持つ家は、格を申し立てられます」
「……年に一度、ということにございますか」
「年に一度でも、十年でも。続いたことが、書いてあればよいのです」
宗琢は、しばらく黙っていた。それから、失礼を承知で聞いた。
「十年、かかりますので」
「かかります」
「向こうは、待ちませぬぞ」
「待たれる分だけ、格が上がります」
宗琢は、黙った。
同じ千貫でも、一日で出せば千貫。十年に分ければ勤めになる。
値段ではない。時間に値がついている。
宗琢が立ちかけたとき、河鰭が一つだけ付け足した。
「小山。本願寺の御門主には、京から縁組の話が入っております」
「存じております。細川さまの御養女と伺いました」
「養い親は細川さまにございます。生家は、三条にございます」
宗琢は、その言い方に引っかかった。引っかかったが、何に引っかかったのかは分からなかった。
河鰭は、それ以上言わなかった。
言わなかったので、宗琢も聞かなかった。聞かないのは商いの礼である。相手が止めたところから先は、値がついていない。
帰りの道で、宗琢は同じことを三度考えた。
銭では出ない、と持ち帰れば、本願寺は額を吊り上げてくる。吊り上げれば、河鰭はまた断る。断られた側は、次は別の家へ行く。それで話が終わる。
続ければ出る、と持ち帰れば、向こうは十年の話を聞かされたと受け取る。受け取って、それでも出すかどうかは、宗琢には測れない。
同じ返事である。書き方が二つあるだけだ。だが、その二つで額が変わる。
宗琢は、室町の店に戻り、帳を開いた。開いて、筆を持ったまま、しばらく持っていた。
十年前、あの家の紙に値をつけたとき、値をつけたのは自分だと思っていた。いまは、そう思わない。あのとき自分は、つけさせられたのだ。
宗琢は、こう書いた。
一度にては、銭。年ごとに続き候はば、勤め。
額は、書かなかった。書かないほうが高い。それだけは、河鰭に教わるまでもなく知っていた。
弘治二年(1556年) 五月 京 河鰭邸 河鰭実初
安芸からの二通目は、五月に着いた。前の一通から、半年である。
実初は、封を切る前に日を数えた。厳島から八か月。防長へ攻め入って、まだ片づいていないはずである。片づいていない家が、京へ二度目の文を出す。
文は、やはり短かった。
貴札、拝見仕り候。
御父君の御記、写しを賜り候はずや。
実初は、二度読んだ。
前の一通は「いかほどに候や」だった。額を聞いてきたと、あのとき言継は言った。実初もそう読んだ。読んで、額を書かずに置いた。
今度は、額を聞いていない。
写しを求めている。
実初は文を置き、しばらく庭を見た。南天に実はない。五月である。
考えねばならないのは、毛利が何を欲しがっているか、ではない。なぜ額を聞くのをやめたかである。半年のあいだに、向こうで何かが片づいた。あるいは、片づいていないから、こうなった。
大内は、去年まで防長の主である。天文五年の御即位に費えを立てたのは大内義隆で、その帳が河鰭にある。義隆は五年前に死に、討った陶は去年死んだ。いま防長を取りかけているのは毛利である。
取れば、大内の跡を継ぐことになる。継げば、大内が果たしていた勤めも回ってくる。回ってくるが——回ってくると誰かが書かねば、回ってこない。
毛利は、それを探している。額ではない。根拠だ。
実初は、そこまで数えて、自分の手が止まっていることに気づいた。止まったのは、次が難しいからではない。次が、簡単すぎるからである。
写しを出せば、毛利は喜ぶ。喜んで、勤めを継ぐ。継げば銭が動く。禁裏に入る。それで終わりである。
終わってしまう。
十一箱のうち、天文五年の巻。書いてあるのは、誰が幾ら出したか、である。出した家の名と、額と、日付。父はそれを几帳面に並べた。
並べたが、その帳を読む者を、父は作らなかった。
だから十九年、あれは誰の役にも立たなかった。立たなかったものを、いま実初が写して安芸へ送れば、初めて役に立つ。役に立って、そして毛利のものになる。
毛利のものになった帳は、次に毛利のために使われる。使われるのは構わない。構わないが、そのとき河鰭は、どこにいるのか。
「実初」
姉が来ていた。いつからいたのか、実初は気づかなかった。
「安芸ですか」
「はい」
「今度は、何と」
「写しを、と」
清子は、文を見なかった。見ずに、こう言った。
「では、出しなさい」
実初は、姉を見た。
「姉上」
「出さねば、来ませぬ。あなたが十年やってきたのは、来させることでしょう」
「……はい」
「では、なぜ迷うのです」
実初は、答えるのに少し時間がかかった。
「写しを出せば、あちらは根拠を得ます」
「はい」
「根拠を得た家は、次から、こちらに聞かなくなります」
清子は、そこで初めて文に目を落とした。落として、すぐに上げた。
「あなた、それは商いの話ですか。それとも、父上の話ですか」
実初は、答えなかった。答えられなかったのではない。答えると、後者だと分かってしまうからである。
清子は、それ以上聞かなかった。
「わたくしには、どちらでもよいことです」と姉は言った。「ただ、父上は十九年、誰にも読まれませんでした。あなたが十九年待つ理由は、ないでしょう」
実初は、頭を下げた。
その晩、実初は写しを取り始めた。天文五年の巻から、費えに関わる条だけを抜く。抜きながら、二つ決めた。
一つは、額を写すこと。前の文で書かなかった額を、今度は書く。書かねば根拠にならない。根拠にならないものを送っても、向こうは動かない。
もう一つは、註を書かないことである。
この条はこういう意味で、この勤めはこう継ぐべきで、と一行でも添えれば、それは河鰭が毛利に教えたことになる。教えた側は、教えられた側の上に立つ。立ったつもりで、実は次からは呼ばれなくなる。
教えないほうがいい。読み方は、向こうに読ませる。
筆を置いたのは、明け方だった。実初は、写しの最後に一行だけ足した。註ではない。事実である。
他に写し取り申さず候。
嘘ではなかった。この日まで、誰にも渡していない。
弘治二年(1556年) 七月 京 河鰭邸 河鰭実初
安芸へ写しを出して、二月になる。返事はない。
その代わりのように、朽木から文が来た。
二行だった。
書いておる。
——読む者が、おらぬ。
署名はない。ないが、誰の手かは分かる。四年前、谷で会った十六の男の字である。あのとき「わしのことを書く者を寄越せ」と言われて、実初は寄越していない。
寄越していないまま、四年が経った。
実初は、その二行を膝の上に置いた。置いて、動かさなかった。
責めていない。責めていれば、もっと長い。長く書ける相手には、人は長く書く。二行で済ませたのは、二行しか出てこなかったからである。
実初は文机へ行き、朽木の二行と、安芸の二通目を並べた。
三月の分は、文ではない。小山が口で持ってきて、口で持って帰った。実初は紙の端を切り、そこに一行だけ書いて、二通の脇に置いた。
本願寺。
並べてから、しばらく座っていた。
欲しいものが、三つとも違う。格と、根拠と、読む者である。
三つとも、銭では出ない。三つとも、兵では出ない。三つとも、紙に書いてあって、それを誰かが読んで、初めて出るものである。
畿内でいちばん銭を持つ寺と、西国でいちばん兵を持つ家と、この国の武家の頂に立つはずの人が、同じ年に、同じものを欲しがって、京の羽林家に文を出してきた。
実初は、それを面白いとは思わなかった。
思わなかったのは、三つ並べたときに、四つ目が見えたからである。
三つとも、こちらが出せるものを求めている。だが、こちらが持っているものは、一つしかない。父の帳と、山科の帳と、六年ぶんの自分の帳。全部、費えの帳である。
銭が幾ら要って、誰が出して、誰が出さなかったか。それだけだ。
格の立て方は、書いていない。根拠の作り方も、書いていない。儀式そのものの、やり方が書いていない。
実初は、そこで立ち上がった。
いま、この国で即位の儀を挙げた者は一人もいない。当代の主上が挙げられたのが天文五年で、二十年である。その前は、二十一年待たれた。
やり方を知っている人間が、どれだけ残っているか。
「姉上」
清子は、母屋にいた。実初は、廊下に座って、襖越しに聞いた。
「天文五年の御即位を、仕切られたのは、どなたにございますか」
しばらく、返事がなかった。
「……なぜ、いまそれを」
「三つ、参りました。三つとも、こちらが出せぬものを求めております」
襖が、開いた。
清子は、答えなかった。答えずに、実初の顔を見た。見て、それから、ひどく静かな声で言った。
「あなた、その先を考えていますね」
「はい」
「口に出しますか」
「出しませぬ」
主上は、ご存命である。在位三十年。譲位を望んでおられることは、御所の内では誰もが知っている。知っているが、挙げる銭がない。だから挙がらない。
挙がらないものの支度を、いま始めるということは——
「出しませぬ」実初は、もう一度言った。「口に出せば、それだけで不敬にございます」
清子は、うなずいた。うなずいてから、こう言った。
「三条の大殿は、御存命です」
実初は、顔を上げた。
「八十八におなりです。天文五年のとき、あの方が奥で仕切られました」
「……姉上は、それを」
「十年、薬を送っておりました」清子は、実初の言葉を遮った。「送るのをやめたのは、あなたが元服した年です。もう要らぬと思いましたので」
実初は、何も言えなかった。
「行くなら、早いほうがよろしい」
姉は、それだけ言って、襖を閉めた。閉める前に、一言だけ足した。
「あの方は、待つのがお嫌いです」
実初は、廊下に座ったまま、三条邸へ行く支度を考え始めた。十年、行っていない。前に行ったとき、自分は十一で、勝てると分かって勝たなかった。
廊下の先、文机には、二通と、切れ端が一枚。
あのとき手を引いたのは、姉のためだった。
今度は、姉のためではない。




