少将
天文二十三年(1554年) 十一月 京 河鰭邸・山科邸 河鰭実初
その日のうちに発ち、一日半で京へ入った。随伴にはならなかった。持ち帰った紙は一枚である。
滞任是正の儀、先例を勘へて奏せらるべし。
順の儀、関白の沙汰に委ぬべし。
近衛稙家の筆である。実初は三日見ていた。誰をどの順で上げるかはなく、決める者だけが書かれている。「先例を勘へて奏せ」は許しであって命令ではない。「順の儀、関白の沙汰に委ぬべし」は、十九の現職関白・近衛晴嗣を名指す。
父の命として従えば、晴嗣はただの息子になる。父に逆らうことだけを考えても、関白ではない。
九条、二条、鷹司は、現職関白へ委ねられたものに先に手を出せない。決められる者は一人、その前で決め方だけが空いている。
実初は、稙家の言葉を思い出した。
あれの前に、空白を置いた。
力か、先例か、そのどちらかじゃ。
京の力は三好にあるが、公家の席次は決められない。晴嗣が関白として拠れるのは、先例だった。十一月、実初は一筆を持って山科邸へ行った。
言継は一筆を読み、しばらく黙った。
「侍従どの。決め方が何も書いておらぬ。なのに、決める者だけは逃げられぬ」
「近衛の大殿が、書かれたからにございます」
「同じ文言を、私が書いたとしたら」
「紙屑じゃ」
言継は、即答した。
「晴嗣関白が書かれたら」
「それは一筆ではない。沙汰そのものじゃ」
「では、近衛の大殿が書かれたら」
言継は一拍置いた。
「関白の前まで通る」
「なにゆえにございます」
「前関白であり、今の関白の父だからじゃ」
「じゃが、最後に決めるのは晴嗣さまじゃ」
実初はうなずいた。
「書いたものの値は、中身では決まりませぬな」
言継は手を止め、少し自嘲するように口元を歪めた。
「わしは二十年、それを言えなんだ。帳の値は、書いてある中身ではなく、誰が書いたかで決まる」
「わしの歴名が本なのは、わしが編んでおるからじゃ。他の誰かが編めば、中身が同じでも、そちらが本になる」
実初は尋ねた。
「山科さま。では、これから編むものは、誰が書けばよろしゅうございます」
言継は、実初を見た。
「侍従どの。そなたが書けば、通らぬ」
「存じております」
「わしが書いても通らぬ。なにゆえか、お分かりか」
実初は答えた。
「山科さまは、十一人のうちにおられませぬ」
「さよう」
「ですが、十一人の隣におられます」
言継はうなずいた。
「そういうことじゃ。わしが書けば、自分のために書いたと読まれる。わしのは別の病じゃが、読む者はそこまで見ぬ」
実初は、それから三日考えた。自分が書けば自薦になり、山科が書けば身贔屓になる。では誰が書くのか。
三日目の夜、誰がではなく、何を書くかだと気づいた。
実初は、筆を取った。名を、一つも書かない。十一人の名も、自分の名も、書かない。書くのは、基準だけである。
滞留の年数を以て、先後を定む。
実初はその一行をしばらく見た。誰が何年滞っているかは控えから出るため、名を書かなくても名簿は定まる。この基準を退ける者は、年数に代わる拠を示さねばならない。
実初は実際に、十一人を滞留の年数で並べた。
自分は五年で下から三番目、先頭は十九年である。自分が先頭になる基準では通らない。だから年数にしたのではなく、年数にしたら、たまたま自分が下だった。
そこまで考えて、筆を止めた。嘘である。
功、家格、年齢という並べ方もあるなかで、自分が下になる年数を選んだ。自分を下に置いたほうが通るからで、謙譲ではない。
その事実は消さなかった。
題を『滞任是正之儀』とした。わずか二枚で、一枚目には前年の書の結論を引いた。
是正されたる例には、いづれも執奏の者あり。
放置されたる例には、これを見ず。
二枚目には、こう記した。
今、除目は行はれをり。
然れども、位官の相当を離れて滞る者、十一人あり。
いづれも、執奏の者を得ず。
滞留の年数を以て、先後を定む。
名は、一つも書いていない。実初は、それを持って、山科邸へ行った。
「山科さま。これを、奏していただきとうございます」
言継は二枚を読み終えた。
「侍従どの。名が一つもない。では、これは誰のための案じゃ」
「誰のためでもございませぬ」
言継はしばらく黙った。
「それでは、断るなら、断る理由をこちらが書かねばならぬな」
実初は、答えなかった。
天文二十四年(1555年) 正月〜三月 京 山科邸・内裏 山科言継
二枚の案を、言継は三日手元に置いた。奏することには迷わなかった。その迷わなさが気になった。
自分は十一人に入らない。位と官は相当しており、乖離はない。それでも上がらぬのは、執奏がないからではない。山科家に、これ以上の例が一つもないからである。
ただ、笙、陰陽、医、有職の家など、十一人のうち四人は知っていた。病は違っても、実務で位を上げ、席が来ない者たちである。
三日目の朝、ようやく案を手放した。誰の名もなく、自薦にも身贔屓にもならず、奏する者を選ばないよう作ってある。
正月、内蔵頭・山科言継より奏上した。
二月に入って、動きがあった。
公卿の間で、「滞っている者が十一人おるらしい」「誰じゃ」「知らぬ」と話になった。名がないため、入っていない者まで「わしは十一人に入っておるか」と気にした。
反対も出た。「年数で決めれば、家格を無視することになる」。
もっともである。言継は、答えられなかった。案には、年数としか書いておらぬ。羽林の五年と、名家の十九年を、一つの列に置いてよいのか。家格を跨げば、滞任を直す話が、家格を崩す話に変わる。
河鰭も答えを書いていない。言継は反対を控えへ記し、作り物の答えは出さなかった。「では、誰が年数を確かめるのか」と問われたときだけ答えた。
「控えに残っております。二十年ぶん書いてまいりました。繰れば出まする」
年数については、それで黙った。家格については、まだ残った。
二月の末に、関白から下問があった。近衛前嗣さま。当年、二十である。正月に、晴嗣の名から「晴」を捨て、前嗣と改められた。
父は朽木にいる。その父が、この関白に順を委ねた。
「内蔵頭。この案は、誰が作った」
河鰭の名を出せば、自薦になる。言継は答えた。
「先例が、作りましてございます」
関白は少し笑われた。
「先例が、か」
「はっ」
「先例は、筆を持たぬ」
言継は、頭を下げた。
「持ちませぬ」
「では、誰が持った」
言継は、答えた。
「持った者は、名を書きませなんだ」
関白はしばらく黙っておられた。
「内蔵頭。近衛の大殿の一筆があると聞いた」
「はっ」
「『順の儀、関白の沙汰に委ぬべし』とな」
「さようにございます」
関白は、扇を膝に置かれた。
「父はわしに決めよと書いた。父の望む答えを書け、とは申しておらぬ。ならば、これは父の沙汰か。わしの沙汰か」
言継の背筋が冷えた。そう問われるか。答えは、河鰭から聞いていない。
言継は、自分で答えた。
「お決めになれば、関白の御沙汰にございます」
「父の一筆があっても、か」
「大殿は御名を挙げず、決め方も書かれませなんだ。書かれたのは、関白が決める、ということだけにございます」
関白は、長く黙っておられた。やがて、控えを一枚、取り上げられた。
「内蔵頭。年数だけでは家格を跨ぐ。名家の十九年と羽林の五年を、そのまま一つの列には置けぬ。家格の内に限る」
言継が顔を上げると、前嗣は言い切った。
「それが、わしの沙汰じゃ。父のでも、先例のでもない」
言継は、頭を下げた。
「承りました」
前嗣は「家格の内に限る」と自ら追書し、二枚の案へ添えた。言継はその日のうちに内奏した。
二日後、滞留年数と関白の限りをそのまま用いるとの御裁可が下った。
滞任是正の儀、当年より、滞留の年数を以て先後を定むべし。
ただし、家格の内に限る。
名のない二枚が通った。言継は控えを開いた。奏上時の十一人から、二月に滞留三年の羽林家が隠居し、十人になっている。沙汰に間に合わず、列を降りた者がいた。
年数だけなら、十九年の笙の家が一番、五年の河鰭は九番、次が四年だった。家格の内で分け直すと、名家は笙の家、羽林は河鰭が先頭に出る。
河鰭の書かなかった一行を、関白が加えた結果である。
山科言継 権中納言
言継自身の欄は動かない。病は執奏の不在ではなく、山科家にこれ以上の例がないことだった。それでも、先例のない事柄を調べ、名を外して基準を奏し、関白が限りを加え、主上が裁可する手順が残った。
言継は初めて、自分の次を探すことも無駄ではないかもしれぬと思った。
十人のうち、この年に動いたのは十九年の笙の家と、五年の河鰭である。
言継は除目の控えに書いた。
河鰭実初 正五位下・左近衛少将 二十歳
残る八人は、来年以降になる。言継は筆を置いた。
父の官まで、あと一段じゃな。
河鰭季富。左近衛中将。あの男が死んで、十九年になる。
天文二十四年〜弘治元年(1555年) 三月〜十二月 京 河鰭邸ほか 山科言継
言継は、初めて河鰭邸へ行った。天文十五年正月に十一の若君と会ってから九年、いつも来るのは河鰭のほうだった。来ぬ月も、京を離れた冬もあったが、途切れた次の月にはまた来た。
邸は思ったより小さく、築地の一部がまだ直っていない。庭に南天が一本、厩にはあの馬がいた。
案内したのは七十を超え、四十年この家にいる家司の清六だった。言継を見ると目を伏せた。
「内蔵頭さまが」
「うむ」
「若君は、書庫に」
二十になっても、まだ「若君」と呼ばれている。北向きの書庫は寒く、棚が半分空いていた。九年前に山科邸へ移した十一箱の跡である。
河鰭は、そこに座って、紙を広げていた。言継が入ると、驚いて立ち上がった。
「山科さま。なぜ、こちらへ」
言継は座り、しばらく黙ってから呼んだ。
「少将どの」
河鰭が顔を上げた。
「……は」
「慣れぬか」
「はい」
「わしも慣れぬ。七年、侍従どのと呼び、その前は若ぎみじゃった。今日は礼を言いに参った」
「山科さま。私は、何も」
「言うな。言われると面倒じゃ」
河鰭が黙ると、言継は続けた。
「七年前、『借りを寝かせておけぬ』と申した。覚えておるか」
「覚えております」
「あれは本気じゃった。銭なら算木に残せる。恩も同じと思うておったが、違うた」
山科荘は河鰭が動かし、七年言わなかった。二十年戻らなかった御料所が三か所戻り、節会は四年続けて旧儀のまま挙がっている。馬は河鰭の馬だ。十年止まっていた内侍所の修理も始まった。
言継は指を折ろうとして、やめた。
「そして、滞任是正じゃ」
「あの二枚は、十一人に入っておらぬわしの案として通った。少将どの。そなた、それを狙うたな」
言継は河鰭を見た。
河鰭は答えなかった。
「名を一つも書かなんだから、誰が奏しても自薦にならぬ。しかも、控えを繰って奏せる者は京にわし一人しかおらぬ」
「申し訳ございませぬ」
「詫びるな。九年、そなたに使われてきた。それが面白かった」
言継は少し笑った。
「はい」
「わしの次は、誰が書く」
河鰭が顔を上げた。一昨年は答えられなかった問いである。
「まだ書けませぬ。ですが、書ける形はできました」
「うむ」
「山科さまの病は、執奏の者がおらぬことではなく、引ける家例がないことにございます」
「さよう」
「今年の滞任是正は、山科さまの昇進にそのまま引ける例ではございませぬ」
「ですが、先例のないものを調べて基準として奏し、関白が限りを加え、主上が御裁可なさいました。無いものを通す手順が残りました」
「少将どの。それは、何年かかる」
「十年か、二十年か。わかりませぬ」
と河鰭は正直に答えた。言継は少し笑った。
「わしは四十九じゃ。二十年経てば六十九。生きておるかどうか、分からぬ」
河鰭は頭を下げた。
「生きておられぬかもしれませぬ。ですが、書ける形はできました。使えるかどうかは後の話にございます」
言継は少し可笑しくなった。
言継は立ち上がった。
「少将どの。わしの次は、そなたが書け。わしは諸家の次を書いてきたが、自分の次だけは書けなんだ。自分で書けば自薦になる。そなたが書けば、そうはならぬ」
河鰭が顔を上げた。
「山科さま――」
「頼んでおるのではない。押しつけておる。少将どの、そなたは二十じゃ」
言継は遮った。
「はい」
「わしが六十九のとき、そなたは四十じゃ。四十なら書けよう」
河鰭は頭を下げ、しばらく上げなかった。
言継は庭に出た。南天が一本ある。春で、実はもうない。
「少将どの。父御の官は、何じゃった」
「左近衛中将にございます」
「うむ。あと一段じゃな」
言継は庭を見た。
その年の十月、安芸の厳島で毛利元就が陶晴賢を討った。四年前に大内を倒した陶が消え、西国がまた空く。言継は帳に記し、河鰭がいつ動くかを待った。
月に一度の用で山科邸へ来る河鰭は、少将になっても変わらない。その日も用が済むと紙を出した。
「山科さま。安芸より、返事が参りました」
言継は顔を上げた。
「……毛利へ出したのか」
「四月に。厳島の半年前にございます」
言継が受け取った返書は、二行だった。
貴札、拝見仕り候。
御父君の帳、いかほどに候や。
額を聞いてきた。言継はしばらく返書から目を上げなかった。
「少将どの。そなた、何と書いて出した」
「四行にございます。大内家が天文五年の御即位より禁裏を支えてきたこと、その儀が当家の帳に残っておること、いま、その勤めが絶えておること、そして当家が有職の家であること」
「それだけか」
「それだけにございます」
「では、この『御父君の帳』とは」
「末に一行、父が天文五年の御即位に費えを立て、その帳がいまだ返らぬと足しました」
言継は聞いた。
「少将どの。額は書いたか」
「書いておりませぬ」
「では、何と返す」
「まだ決めておりませぬ」
言継は河鰭を見た。九年前と同じ顔じゃ。あのときも、写しの総額を書かず、足し算だけを手元に置いた。
「少将どの。額を書けば、値切られるぞ」
「存じております」
「書かねば、向こうが、決める」
河鰭は頭を下げた。
「それが、いちばん高うございます」
その夜、言継は帳をつけた。
天文二十四年 三月 河鰭実初 左近衛少将
同年 十月 厳島。毛利元就、陶晴賢を討つ。
弘治元年 十二月 安芸より、河鰭へ返書。
九年前は十一、いまは二十で少将。中将には、あと一段届かなかった。それでも表の座が十年空き、列から落ち、誰も推す者のいなかった家である。
言継は算木を出しかけ、戻した。
この先は、時じゃ。
外で風が鳴り、弘治元年が終わろうとしていた。
第二部『帳』 了




