↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
書かねば、残らぬ  作者: とんこつしょうゆ
第二部『帳』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
29/41

三本

天文二十三年(1554年) 冬  京  河鰭邸  河鰭実初


 甲斐から使者が来た。七日後には小田原、その月の末には駿河からも文が届いた。


 三家が同じ日に神前へ並び、一つの盟約を結ぶのではない。甲斐と駿河、駿河と相模、甲斐と相模。三年かけて婚姻を結んだ二家ごとに、三つの問いが来たのである。


 実初は七年前の書付を開いた。


 武田が今川と北条の間に立つ、と書いた読みは外れていない。


 だが、形が違う。


 三家が一枚の大きな約束を結ぶと読んでいたなら、外れである。実際にできたのは、三本の小さな約定が互いを動けなくする形だった。


 当たったのは、誰と誰が結ぶかである。外れたのは、どう結ぶかである。


 人は読める。形は、読めなかった。


 甲斐の使者は、駿河との起請を前に言った。


「姻戚の儀を先に置くか、年来の誓約を先に置くか。順によっては、こちらが後から縁を願うたように見えまする」


 実初は、二つを一文に重ねた。年来の誓約に基づき、今の縁を守る。先と後を分けず、古い約束と新しい婚姻を、原因と結果に置いた。


 案は三日で戻った。使者は「基づき」の二字を指した。


「これでは古い誓約のほうが上にございます。縁組によって誓約が固まった、とも読めるように」


 実初は、書き直した。


  年来の約と、今度の縁とを、相互に違へざること。


 どちらを土台にも、飾りにも置かない。二つを並べ、動詞を一つにした。


 今度は戻らなかった。


 小田原から来た文は、甲斐との約定についてだった。問題は、一行である。


  一方の敵を、他方は助けぬこと。


 この文なら、二家だけでは通る。だが甲斐の敵が駿河なら、相模は駿河を助けられない。相模の敵が駿河なら、甲斐も駿河を助けられない。


 一本を強くすれば、残る二本が切れる。


「河鰭さま」


 小田原の使者が言った。


「敵と書かずに、同じことを書けまするか」


「同じことには、なりませぬ」


「では」


「弱くします」


 使者の顔が曇った。


「弱くしては、起請になりませぬ」


「二家だけを見れば、さようにございます」


 実初は、甲斐と駿河の文を横へ置いた。


「ですが、この一行を強くすれば、三家の縁は一度の争いで二本切れます」


 実初は、「敵」を消した。


 代わりに、争いが起きたとき、まず使者を交わし、相手の言い分を聞かずに兵を出さない、とした。援兵の約ではない。兵を出す前に一度止まる約である。


 小田原の使者は、すぐには受け取らなかった。


「これでは、甲斐を助けるとは書いてございませぬ」


「相模を助けるとも、書いてございませぬ。互いに同じだけ足りませぬ」


 使者は、その文を持ち帰った。十日後、一字だけ直されて戻った。


 「聞く」を「糺す」とする。


 実初は、その修正を受けた。


 聞くは、相手の言い分を受けるだけである。糺すは、正すところまで含む。一字で、約が重くなった。


 小田原は、字を知っている。


 駿河は、日付を尋ねてきた。甲斐との起請と、相模との起請を、同じ日にするべきか。


 同じ日にすれば、二つの縁を同じ重さに見せられる。だが、どちらか一方が遅れれば、もう一方まで効かなくなる。


「同じ日にする必要はございませぬ。起請は、二家ごとに効くものにございます」


「では、三家の結びつきは、どこに書かれます」


「どこにも書きませぬ」


 駿河の使者は、しばらく実初を見た。


「書かぬのですか」


「三家の結びつきは、三本が残った結果にございます。一つの文に書けば、その一つが破れた日に全部が破れます」


 駿河は、二つの日を別にした。甲斐と駿河。駿河と相模。それぞれの起請に、それぞれ二家の名だけが入った。


 三家を横一列に置く紙は、一枚も作らなかった。


 ある午後、甲斐と相模の使者が、河鰭邸の門で行き合った。先に来ていた駿河の馬も、厩につないである。


 三人は互いの顔を知っていた。知らぬふりをして、別々の間へ入った。


 河鰭邸に間は三つしかない。実初は、その日、三つとも使った。


 行き合わせぬようにはしなかった。隠せば、隠したことが伝わる。三家は、互いが京の同じ家へ来ていることを、もともと知っている。


 見せてよいのは、そこまでである。文の中身は、見せない。


 清六が三つの文箱を一つの部屋へ運ぼうとしたので、実初は止めた。


「別々に」


「若君。いずれも同じ御用では」


「違う御用にございます」


 清六は、それ以上聞かなかった。


 甲斐の使者が、部屋の端に置かれた文箱を見て聞いた。


「他の二家の文も、こちらに」


「ございます」


「三組に共通する条だけ、一覧にしていただけませぬか」


「作りませぬ」


「なにゆえ」


「一覧を作れば、それが三家を束ねる文になります」


「控えにございます」


「控えでも、残れば引かれまする」


 実初は、甲斐と駿河の箱を一尺離した。


「甲斐の御方には、甲斐が誓う文と相手から受け取る文だけをお渡しします。相模にも駿河にも同じ。互いの文を、京で一つにはいたしませぬ」


 使者は、不満そうだった。


「では、三本が食い違うたときは」


「食い違うております。初めから別の約定にございます」


「同じに見せれば、違うところが隠れます。違うまま残せば、破れたとき、どの二家の何が破れたか分かりまする」


 甲斐の使者は、しばらく黙った。


「河鰭さまは、三家の盟約を作っておられるのではございませぬな」


「作っておりませぬ」


「では、何を」


 実初は、すぐには答えなかった。


 三家の盟約。そう呼べば分かりやすい。だが、分かりやすい名を置いた途端に、実際にあるものより大きくなる。


「三つの約定を、壊れにくくしております」


 それだけ答えた。


 甲斐の使者は、自分の箱だけを持って帰った。


 三家が帰ったあと、実初は控えを三冊に分けた。表紙の色も変えた。甲斐と駿河。駿河と相模。甲斐と相模。


 三冊を一つの紐で綴じなかった。同盟の形を、保管の仕方まで一つにしない。


 返した書式は、全部で六通になった。一つの約定につき、双方が神前に誓う二通。それが三組。


 名の順は争いにならない。甲斐の文には甲斐の名だけ、駿河の文には駿河の名だけを書く。相手に向けて誓うのではなく、各々が神に誓い、写しを交換する。


 同じなのは、その形だけである。文言も、日付も、二家ごとに違う。


 実初は、起請文そのものには何も足さなかった。返す書式の包み紙に、一行だけ添えた。


  なほ、内侍所の御修理、諸国に募られ候。


 甲斐にも。相模にも。駿河にも。同じ、京の近況として。


 最初に聞いたのは、小田原の使者だった。


「この一行は、起請の内にございまするか」


「ございませぬ」


「消しても」


「差し支えございませぬ。ただ、京で御修理が始まったことは御伝えください」


「献じよ、とは」


「書いてございませぬ」


 使者は一行を消さなかった。頼まれていないからこそ、国元でどう扱うかを自分たちで決められる。


 冬のうちに、まず甲斐から返りが来た。修理料が添えられていた。額は、大きくない。


 甲斐の使者は、渡す前に一度聞いた。


「駿河と相模は、幾ら出しまする」


「まだ届いておりませぬ」


「届いておれば、教えられまするか」


「教えませぬ。修理料は、起請の条ではございませぬ」


 実初は、包みを受け取った。


「ここで額を揃えれば、京が三家へ課したことになりまする」


 使者は、それ以上聞かなかった。


 五日後、駿河から来た。甲斐より、少し多い。さらに三日後、相模から来た。駿河と同じ額だった。


 三家が同じ日に、同じ額を決めたのではない。


 甲斐が出したことは、駿河へ伝わった。駿河の額は、相模へ伝わった。起請の日は別でも、互いの動きは見ている。


 揃ったのではなく、あとから合わせた。


 その違いを、実初は帳の脇に書いた。


 誰が最初に出したか。次が、どれだけ増やしたか。三番目が、何に合わせたか。


 同じ額だけを書けば、三家が示し合わせたように見える。順を書けば、別々に決めたことが残る。


 言継は、三つの返りを見て、筆を取った。


  武田 献


  今川 献


  北条 献


「東国が、三家続いたな」


「はい」


「そなた、起請に何ぞ書いたか」


「書いておりませぬ。包みに一行だけ」


「何と」


「『内侍所の御修理、諸国に募られ候』と」


 言継は、少し笑った。


「誰が募っておるとは、書かなんだな」


「書きませぬ」


「出せとも」


「書きませぬ」


「侍従どの。あと、幾つ集まる」


「わかりませぬ」


「十九年ぶんには、遠いぞ」


「存じております」


 実初は頭を下げた。


「ですが、始まりました」


 その夜、実初は修理料の帳を開いた。三好。甲斐。駿河。相模。


 十九年ぶんには、遠い。一年ぶんにも届かない。


 だが、初めに出した者がいる帳になった。次に来る者は、それを見る。誰も出していない募りではない、と分かる。


 実初は帳の末に一行を書いた。


  始まった募りには、後から入りやすい。


 残るは、西国である。


 周防が死んで、三年。誰が西国を取るのか、まだ決まっていない。取った者が、いちばん大きい。


 実初は灯を消した。


 待つよりない。待つのは、得意ではない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。