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書かねば、残らぬ  作者: とんこつしょうゆ
第二部『帳』

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25/41

納め

天文二十二年(1553年) 七月下旬  京  河鰭邸  松永久秀


 夜に、参った。供は、一人。この形も、久しい。昼に来られる年もあった。去年は、そうであった。今年は、また夜である。


 久秀は、この一月、それを見ている。


 厄介じゃ。


 兵を動かすのは、八月と決まっている。主が、そう決められた。その京が、踊っておる。


 久秀は、二十年、帳を見てきた。踊っている町は、まとまっている。まとまっている町は、動かせる。


 二十年で分かったことが、一つある。人の集まる形ができると、必ず、それを誰が握るかという話になる。祭でも、講でも、座でも同じである。


 いまの京には、町ごとに頭がおり、揃いの装束があり、鉦がある。組は四十を超えるという。


 ならば、誰かが、動かす。上様か、細川右京大夫か、あるいは坊主か。


 そして、兵を入れるときに、町が動いていると厄介である。久秀は、それを主に申し上げた。主は、こう言われた。


「止めよ」


「はっ」


「ただし」


 主は、久秀を見られた。


「焼くな。斬るな。捕らえるな」


 久秀は、頭を下げた。下げながら、思った。


 では、どうやって止める。


 三日、考えた。


 銭を撒いて、組を割る。割れば止まる。だが撒いた銭はどこかの懐に残り、来年また踊る。


 頭を呼んで、言い含める。呼べば、呼ばれた者が町で偉くなる。こちらが頭を作ることになる。


 禁令を出す。出して聞かれなければ、聞かれなかったことが残る。


 三つとも、後に残るものが悪い。久秀は、河鰭邸へ行くことにした。


「侍従さま」


「松永どの」


 河鰭は、十八になった。正五位下。まだ、侍従である。位が、また上がった。官は、動かぬ。久秀は、そこを毎年見てきた。


「町が、踊っておりまする」


「さようにございますな」


「手前どもは、これを止めるべきにございましょうか」


 河鰭は、すぐには答えなかった。考えておる。久秀は、待った。この人は、待てば必ず答える。


「松永どの。止められませぬ」


 久秀は、顔を上げた。


「……なにゆえにございまする」


「止める理由が、ございませぬ」


 河鰭は、そう言った。


「踊ることは、罪ではございませぬ」


「罪でないものを止めれば、それは力にございます」


「力で止めれば、町は覚えまする」


「そして、次に兵が入るときに、思い出しまする」


 久秀は、気づいた。主と、同じことを言うておる。


 「焼くな、斬るな、捕らえるな」


 理由が、これじゃ。


「ですが、」


 河鰭が、続けた。


「終わらせることは、できまする」


 久秀は、身を乗り出しかけて、やめた。この人の前では、乗り出さないほうがいい。


「……と、申されますると」


「風流は、祭礼に准じておりまする」


 河鰭は、そう言った。


「私が、そう書きました」


 久秀は、少し、驚いた。この人が、書いたのか。町に回っている「河鰭の色目」の書付。あれが、この人のものだとは、知らなかった。


「祭礼には、」


 河鰭は、続けた。


「終わりの日がございます」


「七月晦日をもって、風流納め、と」


「御家より、触れを出されませ」


 久秀は、指を折り始めた。禁じるのではない。「踊るな」ではない。「今日で終い」と決めるだけである。


「侍従さま。触れを出しても、聞きませぬぞ」


「聞きまする」


 久秀が聞いた。


「なにゆえ」


「終わりの日が決まれば、皆、最後の日に出まする」


 久秀は、すぐには分からなかった。終わらせるために最後の日へ集めるというのは、逆に見える。


 だが、置いてみると筋が通る。終わりのないものは、いつまでも続く。終わりが決まれば、人はそこへ向かって出る。


「最後に、踊り尽くす」


「さようにございます」


「翌日からは、続ける者になる」


「町の目には、そのように見えましょう」


 止める者がいなくても、続ける側が自分で浮く。ならば、こちらが敵にならずに済む。


 久秀は、ようやく息を吐いた。


「松永どの。納めの日に、御主人が見物なされませ」


 久秀は、手を止めた。


「……見物、にございまするか」


「はい」


「京を治める御方が、町の踊りを御覧になる」


「それだけにございます」


 河鰭は言った。


「銭も、兵も、要りませぬ」


 久秀は、しばらく黙って、その筋を追った。効く。


 主が見物される。町は、それを見る。焼かなかった家である。その家の主が、踊りを見に来る。それだけで、町の頭は「三好は敵ではない」と受け取る。


 そこで、久秀は一つ引っかかった。


「侍従さま。主が見物なされば、三好が風流を仕切ったと見られませぬか」


「見られる者も、おりましょう」


「それでは」


「ゆえに」


 河鰭は顔を上げた。


「上様も、お誘いなされませ」


 部屋が、静かになった。久秀は、動けなかった。


 いま、何と申された。


 上様は、三月に和約を破棄された。東山に城を築かれ、細川右京大夫と結んでおられる。来月、そこへ兵を入れる。


「侍従さま。上様は、御来駕なされませぬ」


「存じております」


「では、なにゆえ」


 河鰭は、頭を下げた。そして、こう言った。


「誘ったことが、残りまする」


 久秀は、背中が冷えた。また、それか。


 六年前、堺で会ったときも、この人はそう言った。「書かれた物は、忘れませぬ」と。


「松永どの。先だって、申し上げました」


 河鰭が、続けた。


「御主人は、上様を軽んじておられぬ、と」


「伝える作法がない、と」


「これが、作法にございます」


「共に、踊りを見ましょう」


 河鰭は、そう言った。


「それだけにございます」


「断られても、誘った事実は残りまする。そして、八月に兵を動かされるとき、」


「『誘ったが、来られなかった』と、『何も言わずに攻めた』では、」


「後の世の帳が、違いまする」


「……忝く存じまする」


 頭を下げながら、久秀は相手の筋を追った。この人はいま、うちの主のために言うておるのではない。上様のためでもない。


 まだ生まれていない者が読む、後の世の帳のためである。


 久秀は、門で一度、振り返った。


「侍従さま。八月にございまする」


 河鰭は、答えなかった。


 久秀も、それ以上言わなかった。言えば、報せたことになる。報せれば、この人は動く。動けば、上様の側に立ったことになる。


 久秀は、頭を下げて、出た。


 触れが出た。風流納め。町は、聞いた。最後の日に、四十を超える組が出た。史上、いちばん多い。


 三好長慶が、四条の辻で見物した。主は、馬から降りられた。降りると、供の者が床几を出そうとした。主は、それを断られた。


 立って、半刻、見ておられた。


 久秀は、少し後ろにいた。前を見ている主の背中と、その向こうで踊っている町を、同時に見ていた。


 誰も、逃げなかった。


 四年前、この人は京へ入って六日で出た。あのとき町衆は道の脇に出て、次に誰が来るかを見定めていた。


 いまは、踊っている。


 上様は、来られなかった。誘いの文は、霊山城へ届いた。返事は、なかった。


 その夜、久秀は帳に書いた。


  七月晦日 風流納め。

  主、四条にて見物。半刻。

  上様へ、御来駕を請ふ。御返事なし。


 書いてから、久秀はしばらく、その三行目を見ていた。書かねば、無かったことになる。


 誘ったことは、誰も見ていない。文は、返事が来なかった。書いておかねば、誘っていないのと同じである。


 久秀は、筆を置いた。そして、こう思った。あの人は、これを書かせるために、言うたな。


 主のためでも、上様のためでもない。三行目を、この帳に書かせるために。


 久秀は、少し笑った。笑って、それから、笑うのをやめた。


 夜が明ければ、八月一日である。


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