帳と判
天文十八年(1549年) 三月 京 伊勢邸 伊勢貞孝
上様は、坂本におられる。伊勢貞孝は、京にいる。それが、この二年の形である。
政所執事である。伊勢の家は、代々これを継いでいる。幕府の帳と判を握る家だ。訴訟を受け、所領を安堵し、判を据える。銭も、いくらかは動かす。
だから、この乱世でも痩せていない。京の公家がみな痩せている中で、貞孝は痩せていない。
そのことを、貞孝は恥じていない。
天文十六年三月。
上様が東山に籠られたとき、貞孝は残った。
残って、真っ先にやったことがある。京に残った幕臣の所領を、守れ、と申し立てた。上様に随って行った者の所領は、こちらでは守れない。残った者のぶんは、守れる。
それを、忠と呼ぶか。呼ばぬ者もいる。貞孝は、それを承知している。
去年、山科荘を押さえた。貞孝が押さえたのではない。上様の御名で、書付が出た。だが、事務を扱ったのは政所である。当方の落度である。
押さえてから、貞孝は算木を並べた。
割に合わぬ。
山科荘から上がる分は、たいしたものではない。その代わりに失うものが、大きすぎる。
山科言継は、朝廷の銭を集める男である。諸国を回って、頭を下げて、献金を貰ってくる。あの男が動けなくなれば、禁裏が止まる。禁裏が止まれば、幕府の格も下がる。
将軍を任じるのは、朝廷だからである。だから、命令が取り消されたとき、貞孝は安堵した。
近衛の大殿が、間に入られたそうな。
そして、もう一つ聞いた。奥からも、同じ話が上がっておった。
誰が上げたかは、分からない。
分からないが、上げた者がいる。その名を聞いたのは、今年に入ってからである。
小田原から、問い合わせが来た。北条は、もとは伊勢である。遠い縁だが、縁である。
問い合わせは、こうであった。
「河鰭という家は、何者か」
貞孝は、家の記録を繰った。羽林家。閑院流。滋野井の支流。十年、当主がいなかった。去年、童が立った。
それだけである。書けることが、それしかない。だから、そう書いて返した。
書いてから、貞孝は少し考えた。
なぜ、小田原が。
関東の北条が、京の羽林家一軒を調べる。理由が、ある。
貞孝は、それを頭の隅に置いた。
三月。その河鰭が、来た。十四である。侍従。
貞孝は、まず座次を見た。
きちんとしておる。
伊勢の家は、武家の礼法を伝える家である。座り方一つで、誰に習ったかが分かる。
この子は、古い型で座った。いまどきの武家が真似る型ではない。書物にしか残っていない型である。
貞孝は、呼び方を決めた。
「河鰭侍従殿」
名ではなく官で呼んだ。礼法の家が礼を外すわけにいかぬし、貴殿を軽んじてはいない、と伝える呼び方でもある。
貞孝は用件を聞く前に、こちらから言った。
「山科荘の儀、当方の落度にござった」
先に言う。
どうせ出る話である。出るなら、こちらから出したほうがいい。出された話は、相手のものになる。自分から出せば、こちらのものになる。
河鰭は、知らない顔をしなかった。
「……取り消されたと、伺いました」
「近衛の大殿の御口添えでな」
貞孝は、少し笑った。
「当方が押さえ、当方が返した。間の抜けた話にござろう」
河鰭は、笑わなかった。
笑わぬか。
ここは、笑うところである。こちらが自嘲した。相手は笑って流すのが作法だ。
この子は、流さなかった。
用件は、意外なものだった。
「伊勢さま。禁裏の御料所のことにございます」
「ほう」
「幾つ、押さえられておりましょうか」
貞孝は、湯呑みを置いた。そこを聞くか。
「侍従殿。当方は、押領の実態を、全部知っておる」
「どこを、誰が、いつから」
「帳もある」
「では」
「取り返せぬ」
貞孝は指を三本立てた。幕府には押領者を追い出す兵がなく、命じても聞かれない。書付は出せるが、それで田が動かぬことは、去年の山科で見た。
貞孝は少し間を置いた。言えば幕府の恥である。だが、この子はたぶん既に見抜いている。隠せば、隠したことだけが残る。
「押さえておるのが、当方の被官じゃ」
河鰭は、うなずいた。驚かなかった。
やはり、知っておるか。
「命じれば、離れまする」
河鰭が、そう言った。
「さよう」
「離れれば、幕府がさらに軽くなりまする」
「さよう」
「ゆえに、命じられませぬ」
貞孝は、うなずいた。言わせてしまった。
いや。この子は、こちらが言いにくいことを、代わりに言った。
河鰭が、一つ聞いた。
「伊勢さま。上様が京を離れられたとき、貴殿は残られました」
貞孝は、目を細めた。そう聞くか。
二年、誰も面と向かって聞かなかった。背後では、言われている。不忠だ、と。
だが、面と向かっては、誰も聞かない。聞けば、答えられるからである。
「……そう聞かれるか」
「はい」
貞孝は、湯呑みを置いた。そして、答えることにした。
「侍従殿。幕府は、上様の御身体にはござらぬ。帳と、判にござる」
「訴訟は、当方が京で受けておる。所領の安堵も、当方の判じゃ」
「上様が近江に行かれても、京の土地は動かぬ」
「動かぬ物を守るのが、当方の役目にござる。それを忠と呼ぶか、不忠と呼ぶかは、後の世が決めよう」
河鰭はしばらく黙り、頭を下げた。
「後の世は残っておる物で決めまする。帳が残っておれば帳で、残っておらねば噂で決めまする」
貞孝が顔を上げた。貞孝は、初めて、この子を客ではなく同業として見た。
わしと、同じことを言うておる。
言い方が、少し違う。こちらは「動かぬ物を守る」と言った。この子は「残っている物で決まる」と言った。
同じである。
貞孝は、帳を出した。押領の帳である。どこを、誰が、いつから。二十年、書き足してきた。
誰も、見に来ない。
訴えに来る者はいる。だが、帳そのものを見に来る者は、いない。
河鰭も、今日はまだ見たいとは言わなかった。
貞孝は、それを閉じて、こう思った。あの子は、いずれ見に来る。
見に来たら、見せるか。
見せる。
なぜなら。見に来る者がいる帳は、まだ効いておる帳だからである。
天文十八年(1549年) 六月二十四日 摂津 江口 松永久秀
三好政長が、討たれた。
久秀は、その報せを、陣の後ろで聞いた。いつもどおりである。右筆は、後ろにいる。
同族である。三好政長。主の一族であり、細川右京大夫さまの側近であり、そして主と不倶戴天であった男。
この二年、主はその男を追い詰め続けた。
主君の側近を、討った。それが、何を意味するかは、誰にでも分かる。
細川右京大夫・晴元は、摂津から逃げた。六角の兵も退いた。晴元は、上様と上様の御父君を連れて、坂本へ入った。
そこまで繋いで、久秀の目に見えたものは一つだった。
京が、空いた。
主は、細川氏綱を立てた。晴元に代わる主君として。主君を、取り替えた。被官が、主君を選び直した。
それを、下剋上と呼ぶ。
入京した。久秀は、行列の後ろについて、京の町を見ていた。
焼けておらぬ。
主は、この二年、京を焼かなかった。焼く機会は、いくらでもあった。焼かなかった。
手前が、申し上げたゆえ、ではない。久秀は、そう思っている。主は、もともとそのつもりであった。自分は、理由を一つ足しただけである。
町衆が、道の脇に出ていた。
誰も、歓迎していない。誰も、逃げてもいない。
見ている。久秀は、その顔つきを見定めた。次に誰が来るかを、見定めている顔である。
主は、六日で京を出た。七月十五日。細川氏綱を京に残して、摂津へ戻った。伊丹城を囲むためである。
居座らなかった。久秀は、そのことを、後ろでずっと考えていた。
居座れば、京を治めることになる。治めれば、将軍のいない京を治める者になる。それは、叛臣である。
だが、居座らなければ。
京は、誰のものでもなくなる。誰のものでもない京を、誰が食うか。
食う者は、いくらでもいる。
摂津への道で、久秀は主に呼ばれた。
三好孫次郎範長。二十八。
「弾正」
まだ、その官はない。久秀は、そう呼ばれることに慣れていない。
主は、時々そう呼ぶ。先に呼んでおく癖がある。
「はっ」
「京を、どう思うた」
久秀は、答える前に、問いの重さを量った。この問いは、二度目である。二年前、舎利寺の後にも聞かれた。
あのとき、久秀はこう答えた。「静かにございました」
逃げた。今度は、逃げないことにした。
「誰も、殿の名を口にいたしませぬ」
主は、答えなかった。
「舎利寺の折も、そうにございました」
「『細川右京大夫さまが取り戻された』と、京は申しました」
「今度は、」
久秀は、続けた。
「『細川右京大夫さまが逃げられた』と、申しております」
「殿の名は、どちらにも出ませぬ」
主は、しばらく黙って馬を進めた。それから、こう言った。
「弾正。上様は、坂本におられる」
「さようにございます」
「戻っていただかねばならぬ」
久秀は、顔を上げた。そう来るか。
「殿。上様は、右京大夫さまと共におられます」
「知っておる」
「お戻りいただけば、右京大夫さまも戻られます」
「それでよい」
久秀には、意味が掴めなかった。掴めないまま、聞いた。
「……なにゆえにございます」
主は、前を向いたまま言った。
「将軍のおらぬ京を治めれば、わしは叛臣じゃ」
久秀は、答えられなかった。
「叛臣は、一代で終わる」
久秀は、背中が冷えた。
一代で終わる。
この主は二十八で、もう次の代を見ている。
その夜、久秀は陣でいつもの帳をつけた。誰がどこにいて、何がいくらか。
書きながら、二年前のことを思い出した。
堺の、あの童である。薬の値を聞きに来た、公家の子。
あの子が、こう言った。
「入らなかった理由も、書かれます」
「書いた者は、忘れます。書かれた物は、忘れませぬ」
久秀は、筆を止めた。主が、いま同じことを申された。
言い方が、違う。主は「叛臣は一代で終わる」と言った。あの子は「書かれた物は忘れぬ」と言った。
同じである。残るか、残らぬか。
久秀は、帳の隅へ小さく書き留めた。
河鰭
いつか要る。主が次代を見ている以上、必ず要る。次の代に何を渡すかは兵では決まらない。
細川政権は事実上終わり、畿内の実権は三好にある。だが、名は、まだ細川氏綱にある。将軍は、坂本におられる。
久秀は、その形を帳に書いて、しばらく見ていた。
この形は、続かぬ。
続かないと分かっているが、どう変えればいいのかが、分からない。
兵で変えられるものは、もう全部変えた。




