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書かねば、残らぬ  作者: とんこつしょうゆ
第二部『帳』

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15/41

侍従

天文十六年(1547年) 十二月  京  河鰭邸  河鰭実初


 小田原へ文を出したのは、二月である。十月に、返事が来た。八月かかった。


 実初は、その八月のあいだ、一度も催促をしなかった。催促できる立場ではない。


 北条氏康。三十三。去年の四月、河越で夜討ちをかけて、扇谷上杉を滅ぼした。関東で、いちばん重い。


 だが、実初が目を向けたのはそこではない。


 北条は、もとは伊勢である。伊勢新九郎盛時。幕府政所執事の伊勢氏の一族と言われている。その子・氏綱が、鎌倉北条の名を名乗った。


 勝手に名乗ったのではない。朝廷に願い出て、通した、と聞いている。


 そして、その後に左京大夫を得た。鎌倉の執権が名乗った官である。古例に倣って、同じ官を取った。


 この家は、先例を調べて、先例に合わせて、朝廷に通した。


 それは、有職の仕事である。河鰭家の商品そのものである。


 文は、短くした。


  鶴岡八幡宮の御造営、畿内にも聞こえ候。

  当家、有職の儀、旧に復し候。

  御造営に関はる京の記、当家の記にも残るところ、御入用あらば写し進らすべく候。


 売り込まない。


 「習いませんか」とは、絶対に書かない。格の高い相手にそれを書けば、無礼になる。


 「持っている」とだけ書く。


 鶴岡八幡宮の造営は、氏綱が八年かけて成したものである。あれを、京の側がどう見たか。


 北条は、それを絶対に持っていない。そして、成り上がった家がいちばん知りたいのは、そこである。


 八月遅れて来た返書は、短かった。


  御芳志、忝く存じ候。

  御記の写し、賜はりたく候。

  なほ、当家の家中、朝廷の儀に暗く候。


 実初は、その最後の一行を、三度読んだ。


 「暗く候」。


 北条氏康が、京の羽林家に向かって、自分から「知らない」と書いてきた。


 調べていた。


 「河鰭とは、何者か」を。


 八月である。それだけ、慎重ということだ。成り上がった家ほど、身元を調べる。偽物を掴めば、そこで格が落ちる。


 では、どこに聞いたか。


 実初は、少し、腹の底が冷えた。


 いちばん格の高いところに聞くはずだ。北条氏綱の継室は、近衛家の娘である。摂関家と、縁組している家だ。


 近衛に聞けば、答えは一つしかない。


 「聞かぬ家にござる」。


 当然である。天文十五年の河鰭家は、表の座が十年空いて、去年新しい当主が立ったばかりの羽林家だった。摂関家から見れば、存在していないに等しい。


 実初は、手を止めた。


 では、なぜ返事が来た。


 八月かかった。それでも来て、「暗く候」と書いてきた。


 格の話ではない。近衛に聞いて「聞かぬ家だ」と言われたなら、そこで終わる。


 終わらなかったということは。


 実初は、思い当たった。


 北条は、もとは伊勢である。幕府政所執事の伊勢氏。武家の礼法を伝える家である。


 武家が京の家格を調べるなら、公家より先にそこへ聞く。


 実初は、その筋を帳の端へ書き留めた。


  伊勢


 まだ、会ったことがない。政所執事。幕府の帳と判を握っている家である。


 いずれ、要る。


 「御記の写しを賜りたく候」と書いてきた。送る。だが、何を送るかが問題だった。


 実初は、三つに分けた。


 まず、鶴岡八幡宮造営が、京でどう記録されたか。誇張しない。実際には、たいした記述ではない。「関東にて、社殿成る」程度である。


 だが、それを正直に写す。誇張すれば、いつか露見する。


 また、左京大夫の任官例。鎌倉の執権以来、誰がいつ名乗ったか。これが、本体である。


 北条は、この官を古例に倣って取った。古例の一覧を、京の側から確認してやる。これは、北条家が金を払っても買えない。


 最後に一行だけ足した。


  当家、東国の儀に暗く候。御教示賜はりたく候。


 こちらからも「知らない」と書く。


 北条は「暗く候」と書いてきた。同じ言葉を返せば、対等になる。一方通行の教授は、下請けである。交換にすれば、往復が始まる。


 文を封じていると、清六が来た。


「若さま。馬にございますが」


「うむ」


「乗られませぬのか」


 実初は、手を止めた。


 乗っていない。来たのは、先月である。厩は直った。藁も入れた。だが、一度も乗っていない。


「乗り方を知らぬ」


「……存じております」


 清六は、そう言って、少し困った顔をした。


「習われませぬか」


 実初は、しばらく考えた。


 要るか。京の内を歩くなら、要らない。だが、堺へ行くには、遠い。朽木へ行くとなれば、もっと遠い。


 いつか、要る。


「清六」


「へえ」


「そなた、乗れるか」


「……三十年、乗っておりませぬ」


「では、二人で覚えよう」


 清六が、目を丸くした。


 その月、実初は侍従の任を願い出た。言継が、動いた。


 砂金は、全部消えた。言継の見立てどおりである。口宣案の礼、蔵人所への礼、諸方の心付け。


 実初は、消えていく額を、一つずつ数えた。


 数えながら、一度も「高い」とは思わなかった。思わないように、していた。


天文十七年(1548年) 正月  京  山科邸  山科言継


 除目が済んだ。言継は、控えを広げている。


 書き写しておかねば、消える。除目の控えは、公にはならない。誰がどう決めたかは、その場にいた者しか知らない。


 言継は、それを二十年、写している。誰に頼まれたわけでもない。


 今年の除目に、一つある。


  河鰭実初 侍従


 十三である。


 言継は、筆を止めた。


 さて。ここが、難しい。


 除目は、そのつど新しく決めるのではない。勘例を出す。「先例では、こうであった」という書き付けである。どの例を引くかで、話が変わる。


 河鰭実初について、引ける例は二つある。


 新たに家督を継いだ者の、初任。どこの家にもある。ありふれている。この例を引けば、この子は新参として並ぶ。


 中絶した家が、旧に復した例。こちらは、少ない。少ないが、ある。言継は、二十年ぶんの控えを繰って、三つ見つけた。


 二つ目を引けば、河鰭家は「もともとあった家が、戻ってきた」ことになる。


 嘘ではない。表の座が十年空いて、新しい当主が立った。中絶して、復した。事実である。


 だが。引く例を選ぶのは、こちらじゃ。


 言継は、少し、自分を疑った。


 わしは、この子に肩入れしておるか。


 考えた。しておる。


 認めて、二つ目を引くことにした。


 まず、天文五年の帳外である。河鰭季富は、二家のうちの一家だった。返らないまま、死んだ。それを知っている生き証人は、わし一人である。


 また、あの子は、写しの総額を書かなかった。あれを見て、決めたのじゃ。


 言継は、筆を置いた。


 三つ目は、うまく言葉にならない。


 わしは、四十二である。


 言継は、控えの、自分の欄を見た。


  山科言継 権中納言


 幼くして元服し、のちに内蔵頭を継いだ。天文六年、従三位。遅くはなかった。むしろ、家格から見れば速いほうであった。


 そして、四年前に権中納言になった。


 言継は、その三文字を指でなぞった。


 父も、権中納言であった。祖父の言国も、権中納言。その前の顕言も、権中納言。教興も、教言も。


 山科家は、代々そこで止まっている。


 言継は、二十年、諸家の官歴を写してきた。だから、はっきり分かる。


 この先の例が、ない。


 山科の者で、権大納言に昇った者は、一人もいない。権中納言の次に、引ける家例がない。


 言継は、筆を持ち直した。そして、しばらく持ったままでいた。


 わしは、諸家の次を書ける。どの家の誰が、次に何になるか。勘例を繰れば、たいてい当たる。二十年、そうしてきた。


 自分の次だけ、書けない。


 自家の例が、ないからである。


 他家の例なら、引ける。権大納言に昇った家は、いくらもある。だが、それを引くには、「山科にも当てはめよ」と言う者が要る。


 言う者が、おらぬ。


 進めぬのではない。進めと言う者が、いないだけである。


 言継は、筆を置いた。


 このことを、誰にも言ったことがない。言えば、愚痴になる。愚痴は、帳に載らない。


 天文十七年正月。


 河鰭実初、侍従。十年ぶりに、河鰭家の名が除目に載った。


 実初が、礼に来た。言継は、薬の部屋に通した。


「侍従どの」


 実初が、顔を上げた。


「……は」


「呼びにくいか」


「いえ」


 言継は、少し笑った。


「わしは、二十年これをやっておるがな」


「呼び名が変わると、話が変わる」


 実際、変わった。


 四半刻ほど話して、言継は自分でそれに気づいた。


 去年までは、こちらが試しておった。総額を当ててみせた。条件を三つ出した。「小山には行かぬ」と言った。


 今年は、違う。


 普通に、仕事の話をしている。甲斐がどう、小田原がどう、堺の唐薬がどう。同業の話じゃ。


 実初が、一つ聞いた。


「山科さま。位と官は、どちらが取りやすうございますか」


 そこを聞くか。


 言継は、薬研を止めた。


「侍従どの。位はな、」


「はい」


「一人上げても、誰の席も減らぬ」


「官は、違う」


 言継は、続けた。


「近衛府の少将は、左右で四人ずつじゃ。中将も、そうじゃ」


「員数がある」


「権官を立てれば、多少は融通が利く。じゃが、無限ではない」


 実初が、うなずいた。うなずいて、こう聞いた。


「では、員数の内で、誰が先かは、どうやって決まりまする」


 言継は、少し、間を置いた。


 この子は、いつもここへ来る。「どこに書いてあるか」を聞く。


「勘例じゃ」


「勘例は、どこに」


「わしのような者が、控えを繰って出す」


「では、山科さまがお決めになるのですか」


「決めぬ」


 言継は、はっきり言った。


「わしは、例を並べるだけじゃ」


「選ぶのは」


「摂関家じゃ」


 実初が、黙った。


 言継は、それ以上言わなかった。


 いまは、これでよい。この子は十三である。次は従五位上、そのあと正五位下、それから少将。まだ、五年か六年ある。


 その間に、自分で気づくじゃろう。


 実初が帰ったあと、言継は控えを閉じた。閉じて、もう一度開いた。


 自分の欄を、また見た。


  山科言継 権中納言


 わしの次は、誰が書く。


 考えたことがなかった。いや、考えないようにしていた。


 書ける者が、いないからである。自家の例がない。他家の例を引くには、引けと言う者が要る。わしのために、それを言う者が、おらぬ。


 言われねば載らず、載らねば無かったことになる。


 言継は控えを閉じた。庭で鳥が鳴いた。


 十三の童が、いま「どこに書いてあるか」と聞きおった。そこで、自分の家のことが浮かんだ。


 あの子なら、言う者になるかもしれぬ。


 思って、すぐに打ち消した。


 十三である。言う者になるには、まだ、何もかもが足りぬ。


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