#08 真実
すいませんでしたーーーー!!!(土)
前回前書きと後書き書くのを忘れてました!
今回の話は第8話で多分神回になると思います
それではどうぞ!
「バカッ!! 全部一人で勝手に終わらせようとしないでよ!!」
如月さんの平手打ちが、俺の頬に乾いた音を響かせた。
だが、その手はひどく冷たく、そして触れた瞬間からブルブルと震えていた。彼女は打った自分の手を痛そうに胸に抱え込み、俺のジャージの胸元に顔を埋めて、子どものように泣きじゃくった。
「あんたが笑うたびに……私たちが、どれだけ……っ!」
崩壊していく保健室。赤いノイズが雪のように降り注ぐ中、ドアの前に立つ29人のクラスメイトたちは、もう誰も「いじめっ子」の仮面を被っていなかった。
「瀬戸……いや、晴翔」
吉井くんが、ふらつく足取りで歩み寄り、俺の目の前でガクンと両膝をついた。その大柄な体が、小さく丸まる。
「ごめんな……っ、本当に、ごめんな……! お前を殴るたびに、俺の手に……10年前、血だらけのお前を抱き起こした時の感触が蘇ってきて……狂いそうだった。お前は俺たちのヒーローなのに、なんで俺はヒーローを殴らなきゃいけねえんだって……!」
吉井くんの嗚咽が床に響く。彼が俺を殴った後にいつも激しく嘔吐していたのは、俺を傷つけることへの強烈な自己嫌悪と、フラッシュバックによる拒絶反応だったのだ。
「水、冷たかったよね……っ」
平野さんが、両手で顔を覆いながら泣き崩れた。
「毎日毎日、冷たい水をかけてごめんなさい。でも、そうすれば……冷たさに驚いて、晴翔くんが目を覚ましてくれるんじゃないかって……。本当は、水をかけるたびに『起きて!』って、心の中でずっと叫んでたの……っ!」
「シロのこと……犬を奪って、ごめんなさい」
斎藤さんが、震える声で告白する。
「あの子は、システムが生成したただのプログラムだった。でも、あなたがこの仮想現実に愛着を持っちゃいけないから。ここで『幸せ』を感じてしまったら、もう二度と現実に帰ってこなくなっちゃうから……だから私たち、悪者になって奪うしかなかったのよ……っ」
「……破ったノートも、そうだ」
久保島くんが、眼鏡を外し、涙でぐしゃぐしゃになった顔を袖で乱暴に拭った。
「君の居場所を、この世界から物理的に消去し続ければ、君は絶望してシステムからログアウトするはずだった。でも……如月は、毎晩誰もいない教室で、泣きながら君のノートを修復していた。僕たち全員、もう限界だったんだ」
俺は、息を呑んだ。
机の上に毎日生けられていた、花瓶の白いアネモネ。
「如月さん……あの花は……」
俺の問いかけに、如月さんは涙で濡れた顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見つめた。
「……花言葉、調べたんでしょ? 『真実』『期待』。そして……『あなたを待っています』」
彼女は、ひび割れた文字盤の腕時計――10年前の8時15分で止まったままの時計を、そっと外して俺の手に握らせた。
「いじめの標的として花瓶を置くフリをして、本当は毎朝、全員で祈りながらあの花を生けてたの。どうか私たちの声が届きますようにって。現実の世界で、私たちがずっとずっと、あんたの帰りを待ってるんだってことを、伝えたくて……っ」
時計の冷たい金属の感触が、手のひらから胸の奥へと広がっていく。
彼らは俺を憎んでいたわけじゃない。
俺に「生きる理由」を思い出させるために、自分の心を血まみれにして、10年間もこの残酷な演劇を続けてくれていたのだ。16歳の姿をした彼らの魂は、現実世界ではすでに26歳の大人になっている。それでも、彼らは青春のすべてを投げ打って、俺を迎えに来てくれた。
『警告(Warning)。メインサーバーの崩壊率、90%を突破。全ダイバーの精神がロストするまで、残り120秒』
無機質なシステム音声が、空の彼方から死の宣告を下す。
早乙女先生が、血走った目で叫んだ。
「瀬戸!! もう時間がない! このままじゃ全員の意識が電子の海に消える! 頼む、世界を拒絶しろ! 怒りでもなんでもいい、ここから『出たい』と強く願え!!」
空間がひしげ、天井がポリゴンの破片となってパラパラと崩れ落ちていく。
俺の足元のアスファルトがひび割れ、真っ暗な奈落が口を開き始めていた。
「晴翔くん、お願い! 私たちを置いて、一人で逃げて!!」
「早くしろ瀬戸!! お前だけでも生きろ!!」
クラスメイトたちが、口々に叫ぶ。彼らの体もまた、足元から徐々に光の粒子となって消えかかっていた。
俺は、目を閉じた。
怒り? 憎しみ?
そんなもの、湧いてくるはずがない。
こんなにも俺を愛し、こんなにも不器用に俺を救おうとしてくれた彼らを、どうして拒絶できるだろう。
だが、気づいたのだ。
俺の「何されても怒らない」「すべてを許す」という姿勢は、優しさなんかじゃなかった。
それは、傷つくことから逃げるための、ただの『諦め』だったんだ。
10年前の事故の恐怖。生きるということの痛み。それらすべてから逃げて、安全な殻の中に閉じこもっていただけだった。
俺はゆっくりと目を開き、崩れゆく世界の中で、如月さんの両手を強く、強く握り返した。
「……違うよ、如月さん」
「え……?」
「俺は一人じゃ逃げない。……怒りや憎しみなんかで、目覚めたりしない」
俺は、29人のクラスメイトたち、そして早乙女先生をぐるりと見渡した。
「みんな、ごめん。俺のせいで、10年間も苦しい思いをさせた。俺のために、いっぱい泣かせてごめん」
「ハルト、何を言って……」
「俺は、みんなと一緒に生きたい。泥水がかかっても、殴られて血が出ても……それでも、みんながいる『現実』の世界に帰りたい!」
俺の目から、初めて大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、システムのエラーなんかじゃない。俺自身の、心からの熱い涙だった。
「俺は、目を覚ますよ。みんなが待っててくれる世界に、帰る。だから……一緒に帰ろう!」
その言葉を口にした瞬間。
俺の胸の奥から、圧倒的な光が溢れ出した。
『システムメッセージ。対象者の生存本能の完全な覚醒を確認。クリア条件をアップデート』
『――リジェクション・プロトコル、成功。全ダイバーの強制ログアウトを開始します』
光の奔流が、赤いノイズをすべて白く塗り潰していく。
重力が消え、俺たちの体がふわりと宙に浮き上がった。
「晴翔……っ!」
光に包まれながら、如月さんが俺の首に腕を回し、力いっぱい抱きついてきた。彼女の姿が、少しずつ大人の女性のシルエットへと変化していく。
「待ってる……! 目を開けたら、一番に私が……っ!」
「うん。おはようって、言ってね」
吉井くんが笑って親指を立てる。平野さんが泣き笑いの顔で手を振る。久保島くんが深く頷く。
29人の姿が、無数の白いアネモネの花びらとなって、光の彼方へ溶けていった。
最後に残った早乙女先生が、フッと優しく微笑んだ。
「よく頑張ったな、晴翔。……さあ、朝だぞ」
世界が、完全に真っ白に染まった。
――ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
規則正しい電子音が、耳の奥に響く。
まぶたが、鉛のように重い。全身の筋肉が強張って、指先一つ動かすのにも信じられないほどの労力が必要だった。
「ん……っ」
微かなうめき声が、酸素マスク越しに漏れた。
ゆっくりと、本当にゆっくりと、10年ぶりにまぶたを開く。
ぼやけた視界に飛び込んできたのは、見慣れた白い天井。
そして、独特な消毒液の匂い。
「……あ」
視線を横に向けると、ベッドの傍らで、一人の女性が俺の手を両手で包み込むようにして握りしめ、突っ伏して眠っていた。
美しい黒髪。少し大人びた横顔。彼女の左腕には、文字盤のガラスが直された、あの腕時計が光っている。
俺がわずかに指先を動かすと、彼女はビクッと肩を震わせ、弾かれたように顔を上げた。
「……っ」
大人の女性になった如月澪は、目を見開いたまま、息を止めた。
彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと、とめどなく涙がこぼれ落ちていく。
「……おはよう、如月さん」
掠れた、ひどく不格好な声だった。
如月さんは、わっと声を上げて泣き崩れ、俺の胸に顔を埋めた。
「おはよう……っ、おはよう、晴翔……ッ!!」
開かれた病室のドアの向こうから、ドタバタと騒がしい足音が複数聞こえてくる。
「おい! マジか!? 本当に!?」という吉井の声。「晴翔くん!」という平野の声。
皆、立派な大人になっていた。けれど、その泣き顔は、あの箱庭の教室で見せてくれた、温かくて不器用な彼らのままだった。
窓の外では、眩しいほどの朝陽が差し込んでいる。
止まっていた時計の針が、今、確かな音を立てて動き始めた。
アステリズム――星と星を結んでできる、星座にはならない小さな星の群れ。
俺の心に開いていた空白は、今、彼らという無数の光で、痛いほどに満たされていた。
今回で急遽最終回になります
今まで本当に本当にありがとうございました!




