#06 屋上の境界線
今回で第6話になります!
それでは本文へどうぞ!
昼休みの喧騒から逃れるように、俺は旧校舎の屋上へと足を運んでいた。
普段は固く施錠されているはずの分厚い鉄扉だが、ノブを回すとあっけなく開いた。錆びた蝶番が「ギイィッ」と不快な音を立てる。
コンクリートが剥き出しになった屋上には、強い風が吹き荒れていた。
俺はフェンスの際まで歩み寄り、眼下に広がる街の景色を見下ろした。遠くに見えるバイパス道路、豆粒のような車、立ち並ぶビル群。
一見すると、何の変哲もない日常の風景だ。
俺はポケットから、ルーズリーフを折って作った紙飛行機を取り出した。
そして、思い切り空に向かってそれを放り投げる。
風に乗った紙飛行機は、校庭を越え、街の方へと飛んでいく——はずだった。
しかし、フェンスからおよそ十メートルほど離れた空中で、紙飛行機は「見えない壁」にぶつかったようにピタリと静止した。
そして次の瞬間、まるでテレビの砂嵐のようにノイズが走り、ポリゴンの破片となってフッと虚空に消滅してしまったのだ。
「……やっぱり」
俺は確信する。この世界には『果て』がある。精巧に作られた箱庭の中で、俺たちは生かされているんだ。
「そこで何をしているんだい、瀬戸」
背後から、氷のように冷たく、理路整然とした声が響いた。
振り返ると、屋上の入り口に久保島亮が立っていた。その後ろには、おどおどとした様子の平野奈央が隠れるようにしてこちらを見ている。
「久保島くん、平野さん。……もしかして、俺を探してたの?」
「勘違いするな。君のようなバグ……いや、目障りな存在が、ここで何か良からぬことを企んでいるんじゃないかと思って監視に来ただけだ」
久保島くんは眼鏡の中央を中指で押し上げながら、ゆっくりと近づいてきた。
「屋上のフェンスの外をずっと見ていたね。……いよいよ、自分の存在価値のなさに絶望して、そこから飛び降りる決心でもついたのか?」
彼の言葉はナイフのように鋭い。
平野さんが、ビクッと肩を震わせ、久保島くんの背中をギュッと掴んだ。
「そうよ……! さっさといなくなっちゃえばいいのよ! あんたなんかがいるから、私たちのクラスはいつまで経っても……っ」
平野さんはそう叫びながら、俺の足元に上履きを投げつけた。彼女がわざわざ教室から持ってきたのだろう。俺の机の中に隠されていた、泥だらけの上履きだ。
俺はその上履きを拾い上げ、パンパンと土を払った。
「ありがとう、平野さん。探してたんだ」
「なっ……なんで、そこでお礼なんて言うのよ! 気持ち悪い! ほんっと、頭おかしいんじゃないの!?」
平野さんは顔を真っ赤にして怒鳴るが、その瞳にはまたしても大粒の涙が浮かんでいた。彼女の指先は、小刻みに震えている。
「久保島くん」
俺は上履きを持ったまま、彼を真っ直ぐに見据えた。
「飛び降りろって言ったよね。俺がここから消えれば、みんなの苦しみは終わるの?」
「……あぁ、そうだ。論理的に考えて、君が排除されることがこのクラスの最適解だ。君がいなくなれば、全ては正常に稼働する」
久保島くんは表情一つ変えずに言い放つ。だが、俺はもう騙されない。
「そうか。じゃあ、試してみよう」
俺はフェンスに足をかけ、身軽な動作で一気にその上へと登った。
地上四階建ての屋上。フェンスの外側、わずか十センチほどのコンクリートの縁に立つ。突風が吹き抜け、制服がバタバタと煽られた。
一歩でも足を踏み外せば、確実に命はない。
「なっ……!?」
久保島くんの完璧なポーカーフェイスが、一瞬にして崩れ去った。
「お、おい……瀬戸! 何をしている! ふざけるな、今すぐそこから降りろ!!」
「飛び降りろって言ったのは久保島くんだろ? 俺はみんなの役に立ちたいんだ。俺が消えることでみんなが笑ってくれるなら、それでもいいと思ってる」
俺は眼下を見下ろし、それから振り返って二人に微笑みかけた。
「ち、違う! そうじゃない!!」
久保島くんが血相を変えてフェンスに駆け寄ろうとする。
「待て、瀬戸! それは『ルール違反』だ! その状態でロストしたら、君の意識は完全に……っ! いいから降りろ! 命令だ!!」
「ルール違反? 誰が決めたルール? この世界を管理している『システム』のこと?」
俺が尋ねると、久保島くんはハッと息を呑み、絶句した。
「やめて!! お願い、ハルトくん!!」
突然、平野さんが金切り声を上げた。
『瀬戸』ではなく、『晴翔くん』。その呼び方に、俺の胸の奥がチクリと痛んだ。
「なんで……なんでよ! なんであんたはいつもそうなの!? 10年前もそうやって、私たちを庇って……っ! だから私たちは、今度こそあんたを……っ!!」
平野さんは顔を覆い、膝から崩れ落ちて号泣し始めた。
「10年前……昨日、如月さんも言ってた。時計の針が止まった、あの日のことだね」
俺はフェンスの外側に立ったまま、静かに語りかけた。
「俺はまだ、自分が誰なのか、過去に何があったのか、全部は思い出せない。でも、一つだけ確信したことがあるんだ」
俺は、泣き崩れる平野さんと、蒼白な顔で立ち尽くす久保島くんを見つめた。
「君たちは、俺を憎んでなんかない。俺をいじめるのは、俺に『怒り』を抱かせたいからだ。俺がこの世界を拒絶して、ここから逃げ出したいと強く願うように。……君たちは、俺を救おうとしてくれてるんだね」
「……っ、黙れ」
久保島くんが、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「黙れ、瀬戸……! 君に何がわかる! 僕たちがどれだけのものを犠牲にして、どれだけの痛みに耐えてこの『箱庭』を維持しているか! 君のその薄っぺらい優しさが、僕たちをどれだけ絶望させているか!!」
彼は眼鏡をかなぐり捨て、フェンス越しに俺の腕を力任せに掴んだ。
「怒れよ!! 殴ってこいよ!! なんで僕たちを許すんだ!? 僕たちは君を傷つけてるんだぞ! 君の尊厳を踏みにじってるんだぞ! なのになんで……どうして君は、そんな悲しい目をして笑うんだよ!!」
久保島くんの目から、ついに涙が溢れ出した。理知的な彼の顔が、子供のようにぐしゃぐしゃに歪んでいる。彼の手は信じられないほどの力で俺の腕を握りしめ、絶対に離すまいと震えていた。
「久保島くん……」
俺が彼の手を握り返そうとした、その時だった。
『ゴォォォォォォッ!!』
突然、あり得ないほどの暴風が屋上を吹き抜けた。
ただの風じゃない。空間そのものが歪むような、物理法則を無視した衝撃波。
「うわっ!?」
俺の体が、フェンスの外側へと大きく傾いた。
足場にしていたコンクリートの縁が、ノイズと共に崩れ落ちる。
「瀬戸ッ!!」
「晴翔くん!!」
体が宙に浮く。重力が俺を下へ下へと引きずり込もうとする。
落ちる——そう思った瞬間。
「ガシッ!!」
両腕に、強烈な痛みが走った。
フェンスから身を乗り出した久保島くんと平野さんが、俺の両腕を死に物狂いで掴んでいたのだ。
「離さない……絶対に、離さないッ!!」
久保島くんの腕の筋肉がはち切れんばかりに膨張している。
「いやあああぁぁぁっ! もう嫌だ! 私の目の前で、またハルトくんが死ぬなんて……絶対に嫌ッ!!」
平野さんの手首からは、擦りむけた血が滲み、俺の制服を赤く染めていく。
二人は、俺を落とすまいと必死に引き上げようとしていた。
自分たちの体がフェンスから乗り出し、一緒に落ちてしまうかもしれない危険も顧みず。
宙吊りになった俺は、下を見下ろした。
アスファルトの地面が、赤と黒のノイズに塗れ、まるで地獄の口のように口を開けている。
そして頭上からは、あの無機質な合成音声が響き渡った。
【Warning。対象者の致命的欠損の危機。フェーズの強制終了を実行します】
【空間座標の再計算。……エラー。……エラー】
【システム、強制介入】
パキンッ!!
世界に、ガラスが割れるような甲高い音が響いた。
その瞬間、俺の体を引っ張っていた重力が、ふっと消滅した。
宙吊りになっていた俺の体は、見えない糸で引き上げられるように、ゆっくりと空中を逆再生で浮上し、屋上のフェンスの内側へとふわりと着地したのだ。
「……え?」
俺が呆然としていると、久保島くんと平野さんが崩れ落ちるように俺に抱きついてきた。
「よかった……っ、本当によかった……!」
「バカ野郎……! 心臓が止まるかと思った……ッ!」
二人は俺の胸にすがりつき、声を上げて泣きじゃくっている。
俺は、二人の背中をそっと撫でた。
空を見上げると、先ほどの赤いノイズはすっかり消え去り、偽物の青空が広がっている。
俺は命を救われた。この世界のシステムに、そして、彼らの手によって。
「久保島くん、平野さん。……ありがとう。助けてくれて」
俺が優しく声をかけると、久保島くんはビクッと体を震わせ、ゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた彼の顔には、安堵の表情と共に、深い絶望が刻まれていた。
「……あぁ、そうだ。僕たちは君を助けてしまった」
彼は自嘲気味に笑い、血の滲むような声で呟いた。
「クリア条件である『怒り』を引き出すどころか……システムの強制介入を引き起こしてまで、君を生かしてしまった。これじゃあ、君は一生……この鳥籠から出られない」
屋上の風が、冷たく俺たちの間を吹き抜ける。
境界線を越えかけた俺を引き戻した彼らの『愛』が、結果として俺をこの偽りの世界に深く縛り付ける呪いになってしまったのだと、この時の俺はまだ、完全に理解してはいなかった。
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