#04 鳥籠の空
今回で第4話になります!
それでは本編へどうぞ!
翌朝、登校して自分の席についた俺は、机の引き出しに手を入れて少しだけ驚いた。
昨日、如月さんにビリビリに破り捨てられたはずの数学のノートが、一番上に置かれていたのだ。
そっと取り出してみると、無数の切れ端が不格好なセロハンテープでツギハギに修復されていた。所々、水滴が落ちて文字が滲んだような跡がある。
俺は顔を上げ、教室の前方で女子たちと談笑している如月さんを見た。
彼女と一瞬だけ視線が交差する。彼女はハッと息を呑み、すぐに「気持ち悪い」と言わんばかりに顔を背けてしまった。だが、その耳たぶはほんのりと赤く染まっていた。
昨夜、暗い教室で泣きながらこのノートを繋ぎ合わせていた彼女の姿が脳裏をよぎる。
「……ありがとう」
俺は誰にも聞こえない声で呟き、そのノートを大切に鞄の奥にしまった。
放課後。俺は真っ直ぐに学校の裏山へと向かっていた。
雑木林を抜けた先にある、古びた神社の裏手。そこが今の俺にとって、唯一呼吸ができる場所だった。
「ピー、ピー」
かすかな鳴き声に誘われて近寄ると、段ボール箱の中で茶色い子犬が震えていた。
首輪はない。誰かに捨てられたのだろう。俺はコンビニで買ってきた犬用のミルクを小皿に移し、そっと差し出した。
「ほら、お腹空いてるだろ。食べていいよ」
子犬は警戒しながらも、やがてペチャペチャと音を立ててミルクを飲み始めた。その温かくて小さな体を撫でていると、胸の奥のつかえが少しだけ取れる気がした。
「お前も、一人ぼっちか」
この世界で、俺に悪意を向けてこない存在はこいつだけだった。
人間たちはなぜか俺を傷つけ、そして自分たちも傷ついている。その複雑なひび割れに触れるのが怖くて、俺はこの小さな命に縋っていたのかもしれない。
「名前、何がいいかな。……茶色いけど、『シロ』なんてどう?」
「クゥ」と鳴くシロを抱き上げた時だった。
「……やっぱり、こんなところにいたのね」
背後から踏みしめる落ち葉の音がして、俺は弾かれたように振り返った。
そこに立っていたのは、クラスでも目立たない平凡な男子・鈴木翼)と、いつもクールで口数の少ない斎藤さんだった。
「鈴木くん、斎藤さん……どうしてここに」
「君が最近、放課後すぐに消えるから後をつけてきたんだよ。……なるほど、そんな『バグ』みたいなイレギュラーに構っていたのか」
鈴木くんの口から出た言葉は、冷たいがどこか事務的だった。彼は眼鏡の奥で、俺ではなく俺の腕の中のシロをじっと見つめている。
「バグ……?」
「瀬戸、その犬をこっちに渡しなさい」
斎藤さんが一歩前に出た。彼女の声は平坦だが、制服のポケットに突っ込んだ手は、布越しでもわかるほど固く握りしめられている。
「ダメだよ。この子は俺が面倒を見るんだ。誰にも迷惑はかけない」
俺がシロを強く抱きしめると、鈴木くんが大きなため息をついた。
「君はアパートで一人暮らしだろう。ペットなんて飼えるわけがない。それに、野良犬を見つけたら保健所に連絡するのが、この社会の『ルール』だ。君がこれ以上、この不毛な世界に『執着』する要素は排除しなきゃいけないんだよ」
「執着……? 何を言ってるんだよ、鈴木くん。命なんだぞ!」
俺は後ずさりした。だが、鈴木くんは素早く回り込み、俺の腕から強引にシロを奪い取った。
「キャンッ!」
「シロ! やめろ、鈴木くん! 返してくれ!!」
俺が飛びかかろうとした瞬間、斎藤さんが俺の前に立ちはだかり、思い切り俺の胸を突き飛ばした。
「いい加減にしなさいよ!!」
落ち葉の上に尻餅をついた俺を見下ろし、斎藤さんが怒鳴る。
「夢みたいなこと言ってないで、現実を見なさい! あなたは何も救えないの! 自分のことすらどうにもならないくせに、他人の……犬の心配なんかしてる場合じゃないのよ!!」
彼女の叫びは、ただの罵倒には聞こえなかった。
「現実を見なさい」「何も救えない」——その言葉の刃は、俺ではなく、彼女自身に向かって突き立てられているように感じた。
「お願いだ、斎藤さん。その子を保健所に連れて行ったら殺されてしまう。俺が、俺が何でもするから! 殴ってもいい、蹴ってもいい! だから、その子だけは助けてくれ!」
俺は土下座をするようにして懇願した。なりふりなど構っていられなかった。
「……っ」
斎藤さんが息を呑む音が聞こえた。見上げると、彼女のクールな仮面は崩れ去り、顔をぐしゃぐしゃにして泣きそうな顔をしていた。
「なんで……なんであなたは、いつもそうやって自分の身を削るのよ……っ! バカみたいにへりくだって、全部許して……そんなの、誰も望んでないのに!!」
彼女の声は震え、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「私たちを憎みなさいよ!! こんな理不尽なことして、あなたの犬を奪う私たちを、殺したいほど憎んでよ!! 怒ってよ、瀬戸!!」
「斎藤、もういい。行くぞ。時間がもったいない」
鈴木くんが冷徹な声で斎藤さんの腕を引っ張った。彼もまた、顔面を蒼白にさせ、シロを持つ手をガタガタと震わせていた。
「待って……行かないでくれ……シロ!!」
俺は地面を這うようにして手を伸ばしたが、二人は足早に山を降りて行ってしまった。
残されたのは、静まり返った雑木林と、自分の無力さだけだった。
俺は地面に突っ伏し、落ち葉を力任せに握りしめた。
怒りではない。ただ、どうしようもなく深く、暗い『悲しみ』が胸を覆い尽くした。
「ああ……あああああぁぁぁっ……!!」
俺は初めて、この世界で声を上げて泣き崩れた。
なぜ、誰も彼もが苦しそうに俺を傷つけるのか。なぜ、彼らは俺に『怒り』を求めるのか。俺が何をしたというんだ。
その時だった。
『ジジッ……ジジジッ……』
耳の奥で、古いラジオのチューニングを合わせるような耳障りなノイズが響いた。
顔を上げると、夕暮れの空が——信じられないことに——ステンドグラスのように無数の亀裂を走らせていた。
ヒビ割れた空の向こう側から、血のように赤い光が漏れ出している。
カラスの鳴き声も、風の音も、ピタリと止んだ。世界が「停止」したのだ。
そして、空の彼方から、無機質で、どこか合成音声のような女の声が雑木林に響き渡った。
【Warning(警告)。対象者の精神的負荷が許容値を超過】
【深層心理における『悲哀』の増大を確認。クリア条件『怒り』の検出、失敗】
【バイタル低下。心拍数低下。エラーコード排出。……接続強制終了まで、残り時間わずか】
「なんだ……これ……」
俺は呆然と空を見上げた。
赤いノイズは数秒でフッと消え去り、元の美しい夕焼け空へと戻った。風が吹き、カラスが鳴く。
今のは幻聴か? 幻覚か?
いや、違う。昨日、血の雫が消えたのと同じだ。
『対象者』とは俺のことか? 『接続』とはなんだ?
「現実を見なさい」と叫んだ斎藤さんの涙顔がフラッシュバックする。
この世界は、何かが狂っている。いや、もしかしたら……狂っているのは「世界そのもの」なのかもしれない。
俺はゆっくりと立ち上がり、自分の手のひらを見つめた。
怒りなど湧いてこない。俺の心にあるのは、俺のために泣きながら鬼を演じる彼らを、どうにかして救い出さなければならないという、強烈な使命感だけだった。
ご視聴ありがとうございました!
この後も気になりますね!
次回もお楽しみに!




