追ってくる虚像
江尻が開けた扉の先には誰もいなかった。
「…え?井原?どこだ?」
江尻は左右を交互に見て、困惑している。
そんな様子を見ながら天羽が口を開いた。
「扉をご覧ください。電子機械の先生ならわかるでしょう?」
「…っ!?これは…!」
江尻の開いた扉には小型のスピーカーがついていた。
「井原さんに協力してもらいましてね。録音した音声をスピーカーで流させてもらいました。」
「なぜ…な、何のためにこんなことを…?」
江尻は緊迫した顔で振り返った。
江尻は天羽と目が合い、蛇に睨まれた蛙のような顔をした。
「私の技術では録音した音を流すことしかできませんでした。しかもこんなに装置が大きくなってしまった。」
「…な、何が言いたいんですか…!?」
天羽は少し口角を上げ、にやけた。
「ねぇ、江尻さん。電子機械に精通してるあなたならこの装置を小型化して、その場で録音した音声を流す、と言うことは可能ですか?」
「…!」
江尻は天羽の言葉に戦慄して、脂汗をかいている様子だった。
「私は井原さんの後ろの音について考察しました。佐藤さんなのか、たまたま通りかかった人なのか、もしくは犯人なのか。」
天羽は立ち上がり、江尻に向かって歩き出した。
「しかし、井原さんが音を聞いた坂を登り切った時、付近には誰もいなかった。それを聞いて、私は井原さんが犯行に利用されたのかもしれない、と思いました。」
ゆっくり近づいてくる天羽に、江尻は後退りした。
「しかし、佐藤さんを連れ去るのに、井原さんを利用しようとしたなら、二人が一緒に下校していることを前々から知っておかないと不可能。」
江尻は後退しているだけなのに、少し息が荒れていた。
「そこで、容疑者になってくるのが、二人の高校の関係者。しかし、それだけでは証拠にならない。」
江尻が恐る恐る口を開いた。
「な、何言ってんですか!?そんなん、ただの暴論に過ぎない!」
「江尻さん。あの日の18時に傘を差さず、何をしていたんですか?」
江尻は開いていた口を閉じた。
「駅の監視カメラの映像を見た時、違和感を覚えました。江尻さんが異様に濡れているのです。あの大雨の中、車から駅まで歩いたとしても、こんなにはなりません。何か奥まで染み込んでいるような。」
江尻が少し震えているように感じた。
「江尻さん。大雨の中、自転車を漕いで橋まで行ってたでしょう?」
天羽は怯えている江尻を気にも止めず、話を続けた。
「しかし、江尻さんは自転車を橋から落としたので、井原さんが後ろから聞こえた音は発せない。
犯人が自転車もないのに井原さんの後ろから自転車の音を聴かせたとすれば、それは人間では不可能、機械に頼るしかないでしょう。」
天羽の目はどんどんと鋭くなっていった。
「二人の下校について知っていて、機械を作る優れた技術を持っている人間。」
江尻はついに耳に届くほどの息遣いになっていた。
「江尻さん、私はあなたに注目してとある仮説を立てました。」
天羽は続けた。
「江尻さんは前々からこの犯行を計画していた。
そして絶好のチャンスが訪れた。
朝から大雨が降っている中、自転車で登校する井原さんと佐藤さんを見つけた。
あなたは二人が下校も自転車で帰ると踏み、装置を井原さんの自転車後方に付けた。
もし、二人が自転車で帰らなくても、装置は学校の駐輪場にある、バスか何かで帰った後に外せばいいでしょう。
そして、自転車を見張っているところに、二人が自転車で下校しようとしているところを見つけた。」
江尻は天羽の話を聞き、完全に目が泳いでいた。
「しかし、常人には佐藤さんに声を出させず、連れ去ることなんて不可能でしょう。
しかし、あなたは常人ではない、優れた技術者です。
雨で濡れた人間を気絶させるくらいのスタンガン、あなたなら朝飯前ですよね?」
天羽がどんどんと江尻に近づき、ついに目の前まで辿り着いた。
「そして、あなたは学校で佐藤さんを気絶させ、井原さんに気づかれず、連れ去った。
井原さんは停電で視界も悪く、雨音で音が聞こえなかったため、気づかず駅に向かった。」
江尻の息は走った後のように荒くなり、天羽からなんとかして目を逸らそうとしていた。
「その後、佐藤さんを誰にも気づかれないところ、恐らくは自身の車のトランクへ拉致。
そして、佐藤さんの自転車で橋まで向かい、自転車を落として学校に戻る。
この間で、大雨は体に触れており、スーツはびしょびしょになった。」
江尻の背中はぴったりと壁に触れており、ついにこれ以上、下がれなくなった。
「江尻さんが橋で自転車を落としてる間、井原さんはあなたの装置によってまだ後ろに佐藤さんがいると錯覚してしまう。
井原さんは自分がギアを変えた後、後ろからギアを変えた音がした、と言っていました。
装置にはその場で録音した音声を流す機能が搭載されていたのでしょう。」
天羽は江尻を壁に追い詰めて、顔を覗き込んだ。
江尻の泳いだ目を捕まえるように。
「そして、井原さんが駅に着いた時、佐藤さんがいないことに気づき、通報。
その間には江尻さんは橋から離れ、傘でもさして歩いて学校に帰っていた。
警察も無灯火の自転車が橋の下にあったら、事故だと錯覚するでしょう。」
江尻は天羽に見つめられ、目が合ってしまった。
江尻のその目は震えていた。
「そして、川の下流に佐藤さんの所持品を持たせた別の死体を遺棄。
死体は歯と骨を重点的に粉々に折り、DNA鑑定を遅らせた。
警察は完全に、事故と思い込んだ。
井原さんの『橋を越えた先でも音が聞こえた』という、情報を無視するまでに。」
江尻はもはや、言葉を発することができず、喉を絞ったような声しか出てなかった。
「しかし、死体は佐藤さんのものではなかった。
そうなると、井原さんの情報が正しく聞こえる。
佐藤さんは橋を越えた先でも生きていた、と。
しかし、犯行は不可能。
そりゃ、音を聞いた坂を超えて10秒で行方不明…そして、付近には誰もいない。
誰がどう考えたって無理です。」
江尻の毛穴という毛穴から汗が吹き出ていた。
江尻のおでこには無数の水玉が散らばっていた。
「今も、警察はこの不可能をどうやったら可能にできるか、と考えてるところでしょうか。
私も、私の助手も、ずっとそう考えていましたよ。」
又賀は江尻の行動を一挙手一投足を警戒していた。
末岡の時みたく、反撃されるかもしれない。
しかし、天羽はそんなことお構いなしに、目と鼻の先まで近づいた。
「し、しかし…しょ、証拠は!?」
「ございません。」
「…は?」
江尻は口を開いたまま固まった。
「あなたが学校から橋まで行き、自転車を投げ落とした証拠、その場で録音した音声を流す装置を作る、もしくは設置した証拠、あなたが駅の駐輪場で装置を外した証拠。全てを通して何一つありません。」
天羽は口角をあげ、言葉を続けた。
「停電によって大方の監視カメラの情報は闇に封じ込まれ、おそらくこの数ヶ月の間に犯行に使われた装置は隠されたでしょう。
とても運が良いですね。
天気にも、この街にすらも味方につけ、証拠を無くされた。
晴れて、あなたは完全犯罪者だ。」
「は…?な、何が目的なんですか…?」
「私は顔を見たら大体の真偽は見分けれます。あなたが犯行に及んだ可能性は高い。
しかし、証拠がないので…今日はただの偵察…でしょうか。」
天羽は江尻から離れ、地面に置いていた荷物を持った。
「まぁ、心配しないでください。代わりに使った死体の証拠がない限り、あなたは罪から逃れられるでしょう。
では、これで失礼します。」
「待っ…!」
天羽と又賀は呼び止める声を無視して、学校を出た。




