次も四人で
次の朝、観測の前にリナは見張り台へ上がっていった。下りてくると見張りの年配の男の人を連れていた。
「北の街道で跡を見たのは、この人。自分の目で見たって」
「三日前の夕方だ。二つ目の道標の先で柔らかい土に足跡が四つ五つ。爪が深かった。新しかったよ」
「ほかに何か聞いていますか」とアイリが聞いた。
「昨日、上の隊の伝令がここを通った。高地の縁で、でかいのが一頭ゆっくり南へ下りてくるって話だった。伝令が自分で見たのか、隊の誰かが見たのかは聞かなかった。俺は見てない」
アイリは紙の折り目を境に、左右へ書き分けた。
「跡はあなたが見たもの。大きいほうは、伝令の方から聞いた話です。誰が見たのかは、まだ分かりません。分けて書きます」
見張りの人は少し驚いた顔をして、それから笑った。
「そう書いてくれると助かる。噂だけ大きくなるのは困るんだ」
その日の昼、セレスさんに連れられて集会所の一階へ下りた。日焼けした大柄な剣士が卓に村の地図を広げていた。ガルドさん。Cランクで、村の守りの現場をまとめている人だという。
「北の高地には上の隊が入っている。大きいのは向こうの受け持ちだ。こっちは村の守りと村の仕事を止めないことだ」
アイリが紙を地図の横に並べた。
「北の街道の跡は見張りの方が三日前に見たものです。大きいほうは伝令の方の話を見張りの方から聞きました。誰が見たのかは分かりません。北の地点の読みは前の年の控えからずれています。この二つが関わっているかどうかは、まだ分かりません。東の古い水路沿いにも跡がありますが古いものです。今の様子を確かめた報告は、私たちの手元にはありません」
ガルドさんは紙と地図を見比べた。それから北の街道に指を置き、少し考えてから南へ滑らせた。
「粉の荷車は、しばらく北の街道を使わせない。南の道から出す」
次の日からハンスさんの粉の荷車は村の中を回って、南の道から出ることになった。少し遠回りになる。それでも荷車は止まらなかった。粉は町へ出ていき、村の人は焼いたパンを食べた。俺たちが紙に書いたことが、荷車一台分の道になった。
「遠回りの分、粉は昼の鐘までに積めって言われた」とハンスさんは文句を言いながら、粉袋を俺に渡した。
二日後の朝は、夏の終わりにしては冷え込んだ。上着の前を合わせても、指先が冷たかった。
「冷えた朝です」とアイリが言った。
「前の冬ほどではありませんが、線を足した朝に近い冷え方です」とセレスさんが言った。
セレスさんはもう台と小さな棒を抱えていた。集会所の前の地面に板を置き、印を付けて棒を立てる。俺は回数を数え、棒を同じ向きで印に戻した。交互に二十回。途中で一度、セレスさんは手に息を吹きかけて休んだ。
今度は外したほうの揺れが目に見えて大きかった。アイリが二つの欄を並べるまでもなく、セレスさんの読む声で分かった。
「冷えた朝には、あの線は効いているように見えます」とアイリが言った。「一朝だけです。霧の朝は、まだ試していません」
「ええ。一朝だけです」とセレスさんも言った。
勝ったとも負けたとも、二人とも言わなかった。セレスさんは書き付けの余白に短く何かを書き足し、アイリは自分の紙の「差が分からない」の下に、その朝の日付と冷え込みのことを書いた。
その次の日、比較調査を納めた。セレスさんの印が押され、二人分で千五百の手取りが入った。
集会所を出たところでセレスさんが言った。
「この先も四人で組めませんか。比べる地点を増やすには私一人では手が足りません。それに北があの様子なら、この村の人の近くにもう少しいたいんです。報酬は分けます。記録に名前も並べます。アイリさんとの約束はそのまま守ります」
リナが俺を見た。アイリも俺を見た。
「俺は組みたい。二人は」
「組みたいです」とアイリが言った。
「あたしも。止まれって言ったら止まってくれるならね」
「止まります」とセレスさんは言った。
その晩、食堂で四人分の煮込みを頼んだ。セレスさんは今度は、椀が来るとすぐに匙を持った。
「冷めると、悠真さんが棚へ運んでしまうので」
アイリは自分の椀を両手で包むように持ってから、霧の朝の話を始めた。
*
その翌日、ガルドさんから次の仕事が来た。もしもの時に村の人を南の救護所へ移せるよう、物資と、誰がどこに住んでいるかの表を整えておく。その前に救護所で担架の運び方を教わることになった。
救護所の担当は腕の太い年配の女の人だった。
「荷物と同じに運ぶと思ってるだろ。違うからね」
ハンスさんとニコも交代要員として来ていた。
最初は砂袋を載せて運んだ。俺とリナが前、アイリとセレスさんが後ろ。角を曲がる時、俺はいつもの癖で担架を少し傾けて、角に当たらないようにした。
「止まれ」
担当の人の声で全員が止まった。
「今、砂袋が右に寄ったね。人だったら、どうなってる」
「……落ちかけてます」
「人は傾けない。角は持ち手の高さを変えずに足で回る。じゃあ次は人を載せる」
リナが手を挙げて担架に横になった。空いた前の持ち手には、ハンスさんが入った。
今度は角の手前で止まり、前の二人が先に足を運んで向きを変えた。持ち手の高さは変えない。腕が重い。砂袋の時よりずっと重く感じた。
「マスター、右の持ち手が下がっています」とアイリが言った。「少しだけです」
俺は肘を締めて持ち上げた。リナは担架の上で目を閉じていた。
見ると、アイリの腕のほうが先に震え始めていた。後ろの持ち手は、思ったより重いらしい。
「交代をお願いします。あと十歩はもちません」
アイリは震えを隠さずにそう言って、ニコと替わった。担当の人がうなずいた。
「それでいい。もたないって先に言える人がいると、落とさないで済む」
救護所の戸口は狭かった。水車小屋の裏口では、箱を縦に立てて通した。人を載せた担架は立てられない。前後で二人ずつ横に並んだままでは通れない。
「前は一人。後ろも一人」と担当の人が言った。
ハンスさんが手を離して脇へよけ、俺が前の持ち手を両手で一人で取った。後ろはセレスさんが一人で持ち、ニコが横から担架の縁を支えた。担架を水平にしたまま、リナの足のほうから戸をくぐる。抜けたところで、ハンスさんがまた前の片側に入った。
「持ち替えるよ」と担当の人が言った。「下ろす、の声で全員一緒に膝を曲げる。剣を下げてる人は持つ前に背中へ回しな。止まれ、戻る、離れて、はあんたたちの合図だね。担架の時もそれでいい。誰が言っても全員が聞く」
俺は剣を背中へ回してから、前の持ち手を握り直した。下ろす。持つ。上げる。声のたびに、担ぎ手四人の動きがそろっていった。
リナを載せたまま、同じ道をもう一度回った。二回目は、角でも戸口でも止まらずに通れた。
最後にリナが担架から降りて、首を回した。
「兄さん、二回目は全然揺れなかった」
「一回目は」
「戸口で落ちるかと思った」
*
それから四日、四人で物資をそろえ、表を作った。
毛布、水樽、包帯、担架二台。救護所の棚に何がいくつあるかを俺が棚ごとに数え、アイリが札に書いて棚の端に下げた。札の品名は、俺にはまだ読めない。それでも棚の形と数は覚えた。家ごとに誰が住んでいて、歩けない人が誰かは、アイリがエダさんと一緒に聞いて回った。名前と数はアイリが書き、家の目印と顔はエダさんが足した。
エダさんは家の前に立つたびに、ひと言ずつ付け加えた。
「ここのおばあさんは耳が遠いから、戸を叩くより窓から呼んで」
「ここの子は二人。下の子は犬が怖いから、抱いて運んだほうが早い」
アイリはそれを名前の横に小さく書いていった。表は日ごとに厚くなった。
最後の日にガルドさんが物資と表を検めた。印が押された。
その夕方、集会所で村の人たちとガルドさんがもしもの時の順番を話し合った。
「製粉所は最後だ」とハンスさんが言った。「ふだんは臼に入ってる分を挽き切ってから輪を止める。挽きかけの粉は湿って固まって臼を傷めるし、輪を回したまま出ると軸が焼けるからな。でも逃げろって言われた時は別だ。新しい麦を入れるのをやめて、輪だけ止めて出る。止めるのは俺たちの仕事だから、どうしても最後になる」
「どの道で」とガルドさんが聞いた。
「北の橋だ。荷車の道だからな」
ガルドさんは地図の北の端を指で叩いた。
「北の群れは、上の隊が高地の縁で見ている。村まで下りてくるとしても、知らせが来てからずいぶん間がある。それでも、知らせを受けたら挽きかけは捨ててくれ。輪を止めている途中でも、何か近づいてくると思ったら手を離して出ろ。臼は直せる」
「分かった」とハンスさんは言った。
セレスさんが言った。
「製粉所の近くで何かあっても、私は火を使いません。粉が舞っている所では危ないので。使えるのは風を少しだけです」
俺は少し考えてから手を挙げた。
「歩けない人と小さい子のいる家を先にして、荷車は一台ずつ空けておいたほうがいいと思います。救護所の前で詰まると後の人が止まります。製粉所の三人が最後なら、迎えの人を一人橋のこちら側に置けませんか」
ハンスさんは腕を組んで少し考え、それでいい、と言った。
「置こう」とガルドさんが言った。「知らせもその者に持たせる。製粉所まで走って伝えて、三人が止め終えるまで橋のこちら側で待つ。ただ、東の水路は人が足りなくて、見張りを一人しか置けない。そこは覚えておいてくれ」
安全だと言える人は誰もいなかった。俺も言わなかった。ただ、順番の一部は俺が言ったものになった。
話が終わって外へ出るとニコが追いかけてきた。
「悠真。全部済んだら、下の段の留め具、まだ一個残ってるから」
「分かった。また来る」
「親方も倉庫の棚またやってくれって」
その晩は四人とも早く寝た。アイリは横になるとすぐに寝息を立てた。
*
次の朝、救護所の前で製粉所の三人を待っていた。
夜明けに北から伝令が来て、上の隊が北の高地の縁で群れを見つけ、追っていると知らせていた。村まではまだ遠いという。それでもガルドさんは、決めてあった通り村の人を救護所へ移すことにした。迎えの警備の人が製粉所へ知らせに走った。
村の人たちが毛布を抱えて、表の順番に救護所へ入ってくる。アイリが名前を読み上げ、俺が表の横に印を付けた。知らない名前はまだ読めなくても、印を付ける場所は覚えていた。移動はもう半分済んでいる。製粉所の三人は、麦を入れるのをやめて輪を止めたら来ることになっていた。
遠くでずっと聞こえていた水車の音が、ふっと止んだ。輪を止めたのだ。もうすぐ来る、と思った。
日が屋根の上に出た頃、東から男が一人走ってきた。東の水路の見張りだった。
「東から群れだ。水路沿いに北の橋のほうへ向かってる。数は見えた分だけで四つ。橋の板が落ちて、荷車は渡れねえ」
ガルドさんが短く指示を出し、警備の二人が北へ走った。上の隊へ知らせを出すこと、東の見張りを増やすこと。救護所の中では、村の人たちが毛布を抱えたまま顔を見合わせていた。
俺は表を見た。アイリが横から読んだ。
「まだ来ていないのは製粉所の三人です」
表を持つ手に力が入って、紙の端が折れた。
ハンス、エダ、ニコ。紙の上ではただの三行だった。でも俺は、その三人が粉袋を担ぐ肩も、帳面なしで数を言う声も、梯子の上で振り返った白い顔も知っている。
しばらくして、橋の手前で迎えに立っていた警備の人が走って戻ってきた。
「三人は輪を止めて出てきた。橋へ向かう途中で、茂みから出てきた犬に前を塞がれた。三人とも小屋へ引き返して中に入った。俺に見えたのはそこまでだ。そのあと上の窓から男の子が顔を出して、エダさんが転んで足をやった、下の戸は閉めた、上にいる、と叫んでた」
全部済んだら、下の段の留め具。ニコはそう言って、俺は「また来る」と答えた。
喉の奥が詰まった。言いたいことはいくつもあった。けれど、先に聞くことがあった。
「エダさんは、歩けますか」
「分からん。転んだのは、男の子の声で聞いただけだ」
アイリが紙に書きながら言った。
「エダさんが歩けるかと、犬が今どこにいるかは分かりません」
リナが剣帯を締め直した。
「犬は橋の前に何頭いた?見えた分だけでいい」
「三つ。茂みの奥にまだいるかもしれん」
アイリが言った。
「橋の正面は、上の隊が戻るまで渡れないと思います。上の隊がいつ戻るかは分かりません」
俺はアイリの紙の端の、小さな図を見ていた。製粉倉庫と、細い線と、小屋の西の裏口。水を止める日に箱を縦にして運んだ道だ。
「ガルドさん」
声が少しかすれた。
「倉庫の裏から、小屋の西の裏口へ行く通路があります。水を止めれば、溝は歩いて渡れました。今も使えるかは分かりません。確かめさせてください」
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